■天皇制の"一体不離"崩御すなわち継承。

 

1946,11/3日本国憲法公布

1946,11三笠宮崇仁親王が枢密院に意見書を提出───

「『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法の第18条の

『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』という精神に反してないか」

「(退位の)自由をも認めないならば天皇は全く鉄鎖につながれた内閣の奴隷である」。

新皇室典範が議会に提出される前のことである。

1946,12GHQより「新皇室典範」の作成が求められ、

同年の12月上旬、皇室典範案の審議が第91帝国議会で始まった。

 

天皇は唯一天皇制を担ってゐる日々その人のことである。

そして僕は意地悪でへそが曲がっているからこんなことも考えてみた。

慇懃無礼、と云ふんだな、あれは。

見た目は体よく、だな、あれは。

丁寧に恫喝してゐる。

「なにか喋ったり、ご意思を発表なさったりしたらただでは置きませんよ」。

体よくだな、あれは。

ハッキリ云って今回は、平成30年をもって、早々に今上天皇は首になる。

ほら、余計なことをお話になるから、

きっちり速やかにケリを付けざるを得なくなったのです、と。

恐ろし気な民主主義である。

「今回はこれでね」と云ふことは、

次回もまた「あなたに限っては」が特例されるに違いない。

徳仁皇太子に於かれては失礼ながらご家庭に問題を抱えていらっしゃる。

不測の事柄が起き上がっては、

ならばと云ふことで「特例法」の伝法が振り下ろされないとも限らない。

▲自党においてさへ万機公論に決してないではないか。

 

そもそも論、なのである。自民党は不真面目である。

これでは最初から「ありき」なのではないか。

それに向かって丁寧に、いかにも民意をさりげなく誘導してゐる。

民草と云ふものは大方は忙しい。

その上みんな暮らしと云ふものはそのやり取りにおいては

気分と感情で成り立っているものだ。

どうして奥の奥まで見通せるものか。

今上天皇が大変お疲れになってゐる、嗚呼、お可哀さうに、

早くご退位させてあげなくては、ならば今回限りは特例法もやむを得ないのでは、

が自民党の一代限り、と云う論理へと民意が否応なく導かれてゆくもととなってゐる。

一代限り、と云ふことの根底、前提としているところは

揺るぎのない天皇の"崩御論"のことであることは間違いない。

坐(ま)しまされるばかりで結構ですから、

魂魄が天に召されるまで、陛下は御簾の奥でお休みになってゐて下さい。

■つまり為政者にありがちな「由らしむべし知らしむ可からず」の論法。

多くの国民の皆様の一人びとりは国の将来を決める責任ある立場にはないのですから。

天皇陛下もご高齢でお疲れになっていらっしゃる。

なにしろ国民も世論も天皇も急いでいるので、

その上将来の様々なケースは分からないことであるから

有識者会議の皆様がまとめた今回はこれでね。

■いつの間にか「恒久制度」から「一代限り」にねじれてゆく。

皇位は世襲である。これは現憲法の云ふところである。

男系嫡系が践祚することになり、

これには外部の意図も、天皇家のご意思も入りやうがなゐ。

そして皇位の継承は国会の議決する皇室典範に依って為される。

明治の皇室典範は憲法の外に在って、触れる能わざるところのものであったが、

新憲法が公布された(1946,11/3)後、

GHQの指示(1946,12)によって作成が求められ、

帝国議会によって「退位制度」も含めて審議が始められ(1947,1~)た。

戦後の皇室典範は、翌年の昭和の新憲法の施行日

1947,5/3と同時に施行された。

審議は都合約6カ月に渡ったわけである。

これにより現皇室典範は憲法の下位に存することになった。

然るにしかしながら「その皇位は皇室典範の定めるところにより」と

憲法によって名指しされているところであり、つまり特例法がその場限りのものであり、

違憲の疑いがもたれる所以はここにもあると思われる。

なぜ皇室典範によると"名指し"されたのか。