表札の文字白みゆく春剥落
/春日や刻を思へと鳥が鳴く
/かのように日はとびとびに四温かな
/荊棘に陽が当たりたる冬芽かな
/小松菜の掘り抜きの井に抛られし
じいさんにウンが出たよ
蕗の薹も見つけたよ
(ほんの少しばかり便が出たようだ)
/まず一句今年の蕗に奉れ
/蕗の薹やれやれいつもの場所に出て
/蕗の薹散らせば春の香のしせり
/来てみれば眼鏡に花粉白くなり
/じいさんに経帷子きょうかたびらを出してやるまだ死ぬことは決まりもせんに
/ばーさんは経帷子をお揃いで繕ひしこと春のうらうら
/黒髪のなくて母娘の毛づくろい葬儀のことも少し話せり
/春の家や娘が母を呼ぶ五度六度
/転ばないようにねと別れる春の夜は
/じーさんに耳元で云ふ梅咲きぬ
/じいさんは鼻の管抜く仕方なし苦し紛れにひもでベッドに
/腹張って苦しきなかにじーさんの這裡しゃりの消息奈辺に在りや
倉石智證
這裡=「ここ」こことあそこ。
関山慧玄は1360に83歳で死去。
「そろそろ行くよ」と云って寺門に向かってすたすたと歩みつつ、
立ったままのお姿でこと切れた、と云ふお話であった。
わたしの故郷は信州の今の中野市、昔の高梨藩のお生まれ。
法は引き継がれる───
関山慧玄は
1307建長寺で大応国師の下で修業。
大燈国師(大徳寺)より慧玄の名を与えられ、
関山慧玄(妙心寺)を開山。
明治天皇に「無想大師」の諡号を与えられる。
(webより)
慧玄這裡無生死(慧玄が這裡に生死無し、里に帰らん)
「ワシのところに生死などはない」と言って、「生死事大」を聞きに来た坊さんを
棒をもって追い出したという。
生きるときは生きる死ぬときは死ぬだけの話、
それをああだこうだというのは凡人の浅ましさだということ。
「生死無し」ということは、生も死も無いということではない。
生と死が別ものではないということで、
生は生、死は死という絶対性において、一つのものだということであろう。