おそらくを手の平にのせて
ゆうち出でてゆけば先に
顎がゆったりと待ちかまえへ
フッと息を吹きかけるだらう


富士の高嶺にノーエ
清水へは小夜の中山
人落ちて、まゝ命なりけむ
茶の香り
それにしても渋い声だ
胴間声を胴間に聞いて
たぶんは一歩足を踏み出す

むかし人は
こんなことでも杖を曳き杖を頼りに
先行く人の跡を頼りに
一里行き二里行き、五里、六里を行き
心細さに
ままならん
おそらくを懐手してきっと
ノーエ、富士の高嶺を


おそらくはあの人の場合は
手の平に太陽を
足裏あうらに月を
胸裡に桜吹雪を抱えて
どこへ行かれるのかと聞いても
どこへでもと、ふうらふうら
存分に大股に歩いて行ったものだ


倉石智證
西行さんは富士山に煙を見ながら旅をしてゐる。
1143年、西行26歳、最初の奥州の旅に出る。
23歳で出家してから3年が過ぎていた。
「風になびく 富士のけぶりの 空に消えて 行方も知らぬ わが思ひかな」
「年たけて また越ゆべしと 思ひきや いのちなりけり 小夜の中山」

平清盛は北面の武士として仕えるころの同期である。
保元、平治の乱も過ぎ、さすがの権勢を誇った清盛も
1181に亡くなり、いよいよ源平の戦へと突入して行く。
1185には元暦の大地震があり、大津波、山津波が日本を襲う。
疫病も流行り、都には死人が路上にあふれる、
と「方丈記」の鴨長明はその悲惨さを記す。

「命なりけり」───
とは、そんな果てに、命や時代の天変の無常を抱えつつ、
1186年、文治二年、西行69歳、2回目の奥州の旅だったのである。
中山峠にさしかかり、西行さんは木の根方を跨ぐ、
その瞬間、若かりし26歳の自分が
この根方を寸分も違えることなく跨いでいったことを思い出し、
「あゝ、命だなぁ」と慨嘆なされたに違いない。
鎌倉では頼朝にも会い、
"金"の約束をしつつ、奥州へと向かった。