喉元過ぎれば、である。

そしてこれもすっかり忘れてゆく。

民進党は怠惰だ。

人でもあり、そしてプロジェクトでもあり、プログラム、でもある。

おいおいと分かってきたことだが、

30年以内に、70%の確率で───

と云うことである。

2020,5,31馬越陽子「不屈」

 

憲法論議は始まってしまったことだから致し方がないが、

デジャヴ、である。

日本はいちばん率先してかからなければならないことを二の次にして、

何か三の次、四の次をやり始める。

バブル絶頂期に向かう竹下政権の末期の頃から、

株に現を抜かす閣僚、ワリコーに匿名を隠す大臣、

政府内閣をはじめ、爛れたやうな日本列島ではあった。

「山は動いた」

政治の幼稚化が始まった。

小沢一郎は自民党を飛び出し、「行政改革」を主眼に、その後連立細川内閣時に、

1994,1,29「政治改革関連法案」が成立する。

・衆院小選挙区比例代表並立制の導入

・政党助成金制度(国民一人当たり=250円負担)

・企業献金の扱いを規定

派閥や、利益誘導や、個所付け、議員や閣僚と企業のマネーの往ったり来たりを無くす・・・

 

さて、日本が当時一番取り掛からなければならなかったことは何か。

1989,12,/29日経平均は=3万8915円、ピークを付けた。

三重野日銀総裁はまるで枯れ木の上にゐるやうだ、と

1990,3/27橋本蔵相による「総量規制」

急激な引き締めによるバブルは弾けた。

一庶民に至るまで、バランスシート不況。

日本の金融信用システミックは毀損した。

 

1989,12/2~12/3マルタ会談はブッシュ・パパとソ連のゴルバチョフさん。

1945,2/4の「ヤルタ会談」から“マルタ”へ。

船の上でくつろぐ笑顔の二人、冷戦構造は一気に氷解したのである。

 

ペンタゴンをはじめ米国の軍事ICTが一気にその圧力を解き放たれて民生へと向かった。

多国籍企業が中国をはじめ東側諸国へ、或いは東側諸国も、

またアジアの新興国群も、一斉にグローバルプレーヤーとして

新たなマーケットへと解き放たれた。

 

さて、その間日本は何をしていたかと云ふと、フィクサー小沢一郎をはじめ、

古い浪花節的な旧自民党の体質を引きずったお歴々なドによって、

世界の歴史的、もう走り出してしまってゐる、グローバル化と云ふ

世界の歴史的事実に対して全く背を向けて、

全ての政治的エネルギーをごく極めて内政的な物事へと国民一般大衆も含めて、

バキュームして行ってしまったのである。

「半導体」「牛肉オレンジ」「大店舗法」「ミニマムアクセス」「自動車」───

1995までは米国による日本叩きがこれでもかと執拗に続いてゐる。

 

1995,1/17阪神淡路殆震災

1995,3/20地下鉄サリン事件

何か社会の偏執なるマグマが溜まっていたとしか思へない。

 

1972「ローマクラブ」が成長の限界と云ふことで

地球規模の偏った発展に対して警鐘を鳴らした。

1979大平内閣が消費税導入をはじめて閣議決定、選挙公約として取り上げる。

高度成長は田中角栄と共に終わりを告げ、

社会福祉政策にいよいよ負荷が掛かり始め、政府の歳入欠陥が露わになって来たころだ。

そして、相変わらずの社会福祉の過重とともに歳入欠陥は今に引き継がれて来た。

1995生産年齢人口がピークに、

1997労働力人口がピークに、

1995,12村山内閣時に住専への公的資金(=6850億円)注入を果たすが、

まだまだ腰が引けたまま中途半端で、

日本は決定的に金融機関の不良債権を手当てをしないままに、

1997の拓銀や山一證券の破たんを迎えることになる。

 

たいていの事柄は1972の「ローマクラブ」を待つまでもなく分かっていたことだ。

「負け戦が分かってゐながら」と云ふ点では戦前戦中の、

大本営軍部中枢の思考停止状態に似てゐる。

1979「ゆりかごから墓場まで」にノーと云ってサッチャーが登場。

その金融ビッグバンによって“英国病”を退治する。

レーガンは政府としては小さな政府を目指すものの、

軍事としては断固強いアメリカを目指す。

日本はそのアメリカにさんざん云われて「前川レポート」、

土日休みや、内需振興策を提言する。

国民は踊ってちょうど「わたしをスキーに連れて行って」などなどとなった。

 

公定歩合を下げ続け、減税に円高、さらに石油価格の低下もあって、

バブルが次第に醸成、猖獗へと向かって行く。

 

日本はただいま戦時である。

国債依存度は1945終戦時のそれを超えつつある。

恐るべき事柄が現在進行中なのである。

つまりそして、事の本丸は社会保障、と云うことである。

決して夢、本来はイデオロギー的な“憲法論議”などではないのである。

「集団保障」など今はもってのほか。

中流が崩壊し、国民が途方に暮れてゐる。

しかも、なにやらこの国でもすでに分裂が始まってゐる様子だ。

 

1990年代に入ってスウェーデンが社会保障と財政改革を始めた。

■特に年金など「私有財産」に対しての再定義が必要になって来てゐる。

34兆円の借金(国債発行)に対して、社会保障費関係の支出が=32兆円。

あり得ないことである。

 

デジャブ───。

今は自民党の手のうちに嵌められたまんまだ。

メルケルさんは伊勢志摩サミットの直後、9回目の北京詣でを果たしていたと云ふのに・・・

あの頃はグローバルと云ふ意味に全く政界は理解が追いついていなかった。

それに伴う米国のインテリジェンス(戦略)を深く読み解きもしなかった。

「Stupid ! It's economy 」とブッシュ・パパにクリントンは云って、

日本をバッシングして、パッシングして中国へ行った。

 

景気の或いは社会の閉塞感のあらゆる根本には将来不安、

つまり、社会保障の問題がある。

稼ぐのか、給付を減らすのか、増税をするのか、

或いはそれらをポリシーミックスするのか、

とにかく、社会保障が日本の最大の問題の核心であるのは間違いない。