(写真家・畠山直哉)
故郷の岩手県陸前高田市は津波の被害を受け、畠山さんも肉親を亡くした。
被災した直後の故郷を見て、彼はは自然に「撮るぞ」と思った。
「自分がいなくてもこの世界は存在し、続いていく」。
世界がわたしに開いてゐる無関心───
自然はどこまでも人間に無関心なものであるはずだ。
「白河以北一山百文」・・・
「東北は単独ですでに偉大なのである」(司馬遼太郎)
しかし、またその東北が打ち破られた。
陸前高田中校庭。
また雪がちらついて来た。
寒さが心底足元から立ちあがって来る。
長靴を履いた佐藤祐樹さんは両の拳を強く握りしめている。
アルビノーニのアダージョ、三陸に悲しみの縁をめぐる。
ダイバーは5分と潜っていられなかった。
水面から顔を出すと息を詰まらせて
「とても、ダメだ。水死体がそこいら中水面下に200も300体も沈まっている感じだ」
眼路続く限り、神が退いた世界だ。
見える風景がまるでバキュームされたかのように空虚で無意味に連続してゆく。
自分で選んだのでは決してないのに、世界は真に偶然であるのに、
ではなぜ私はここにゐるのか。
水と火を巡る古代的な物語が神話のやうに無造作にそこいらに放り出されて、
そしてそれらは、凝っと我らを無言で見つめてゐる。
何百機と云ふ自衛隊のヘリコプターが緊急に飛び立ち、
ついで科学的事実が先行する。
死者行方不明者が2万人と云うのは痛恨の極みですが、
地震から3分後にすべての市町村に津波警報が出され多くの命が救われたことも事実です。
新幹線が04年の中越地震の教訓を生かし、
地震到達60秒前に自動制御でブレーキがかかり脱線事故は起こりませんでした。
仙台のと都市ガスはマイコンメーターが点いていたおかげで、
家庭の台所からの出火はほとんど起きていません。
(竹中平蔵12,1/23日経)
再び陸前高田に───
(樋口武男・大和ハウス工業)
阪神大震災の経験を生かし、全社の組織が即座に動き始めた。
震災当日の午後3時には災害対策本部を設置し、
同6時には第1回会議を開いて社員の安否確認と現状把握を進め、今後の対策も練った。
翌12日には施工業者や設備業者で構成する
「協力会連合会」の会長が四国から本社に駆けつけ、
「われわれにできることはありませんか」と申し出てくださった。
その結果、物流網が寸断するなか、
3月19日に岩手県陸前高田市の市立第一中学校校庭で最初の仮設住宅36戸を着工できた。
被災地には仮設住宅を建設しなければならない。
私は住宅関連の業界団体でつくる住宅生産団体連合会の会長として、
3月14日、副会長を務める住友林業の矢野龍会長、積水ハウスの和田勇会長、
三井ホームの小川修武会長(当時)たちとともに
大畠章宏国土交通相に時間をもらった。
大畠国交相は開口一番「2カ月で3万戸を建ててほしい」と切り出した。
大混乱のなか、必要戸数は膨らみ、誰も正確な数を読み切れぬまま
見切り発車で6万2000戸分の資材を手当てした。
(樋口武男・大和ハウス工業会長12,3/28「私の履歴書」)
「最適」とは何か、可能な中で最善の世界とは何であるか。
日銀白川総裁は───
翌日朝一番から3100億円の現金を東北に送った。
みなさん手もとの現金が必要になりますから。
被災地金融機関へは1兆円、市場へは120兆円の供給を半月で。
円が急落するだらうとの相場に、こんな時にもヘッジファンドは大胆に動き、
マーケットをスウィープするように円高へと落ちて来るマネーを吸い上げていった。
2011年3月の東日本大震災直後に円相場が急騰した際、
主要7カ国(G7)は協調して円売り・ドル買いの「為替介入」を行いました。
円が過去最高値を付けた同年10月末には日本が単独で介入しています。
為替介入とは自国通貨の相場安定のために、
通貨当局が外国為替市場で直接通貨を売買することです。
(学習院大学教授 清水順子13,3/1日経)
「明文化された手順の→自動立ち上がり」
IBM保守部門
「責任者は状況と社員の安否を速やかに報告するように」――。
騒然とした雰囲気が収まらない3/11日2時50分、
日本IBMで保守部門の遠隔会議システムが動き出した。
東京都中央区の本社と被災した仙台事業所を含む全国の拠点を結び、状況を確認する。
災害時の地方拠点の状況把握は保守部門が中心になるとあらかじめ決められている。
(情報システムなどのアフターサービスを担当する)
明文化された手順を基に訓練を繰り返しているため、
いざという時に一人ひとりがやるべきことを熟知している。
災害が発生すると半ば自動的に状況確認が始まる仕組みになってゐる。
専門家集団が事務局 担当者との連絡や課題の洗い出しなど
対策本部の事務局を務めたのが、リスクマネジメント・オフィスと呼ぶ10人弱の部署だ。
ふだんは開発プロジェクトなどで生じたトラブルの解決や
事業リスクを評価する業務に就く専門家集団。
このチームが災害時は全社に対応を広げて動く要となる。
対策本部には外からも遠隔会議システムで参加できる。
11日に福井県に出張中だった社長の橋本孝之(56)もその1人。
急ぎ帰京の手段を探ったが断念。金沢市内に移動し、
社内ネットワーク経由で会議に参加。
それまでの間も、対策本部は着々と手を打っていた。
早い段階で「帰るまでは一切の決裁を任せる」と橋本が下野に権限を委譲した。
保守部門は12日には日本海回りで仙台市に到達するルートを確保。
新潟に中継拠点を置き、レンタカーなどで生活物資や補修部品を供給する体制を整えた。
すぐに被災地で顧客対応を開始。
15日時点までにシステムの再起動や装置の修復など100件の対応を完了できた。
クラウドサービス無償提供 13日。
週末返上でクラウド・コンピューティング事業担当執行役員の吉崎敏文(49)が
対策本部にアイデアを持ち込む。
被災した自治体や救援活動を担う非営利団体が、
コンピューターの機能を使えるようクラウドサービスを無償提供するというもの。
電力供給や余震の不安がない米国に置いたコンピューターを利用し、
安定したサービスを提供する。
「IBMグループはハイチや中国・四川の大地震など世界中で災害復興を支援し、
その経験を共有している。それが生きた」。
社長の橋本は満席が続く航空機をあきらめ、陸路東京へ向かった。
本社に到着したのは12日の昼過ぎだった。
社員全員の無事と対策の進ちょく状況を確認すると、
その足で首都圏にある2つの事業所を訪問。
震災対応に取り組む社員を激励したという。
(大山健太郎・アイリスオーヤマ社長)
マザー工場の宮城県角田市の角田工場や、巨大配信センターが被災。
自社社員の奮闘、自律的自社の日頃のDNAの発現に誇りを持つ。
宮城ホームセンターを運営するグループ企業ダイシンは、
震災の翌日から独自の判断で営業を再開した。
電池や毛布、コンロなどを求め、被災者が店頭に押し寄せたからだ。
店内は停電し、商品も散乱してゐる。
店員たちは入り口で必要なのを聞き、暗く混乱した店内から探しては売っていた。
手持ちの現金のない人はノートに名前を書いてもらうだけで手渡す。
代金は後で全額戻って来た。
気仙沼店では寒さの中を並ぶ客に、暖房用に灯油を1人10㍑まで無料で配った。
まだ電話が通じておらず、本社と連絡が取れていない。
居合わせたテレビの取材に店長はこう語ったそうだ。
「クビになるかもしれません。それでもいいんです」
緊急時のマニュアルを持つだけではだめだ。
普段からの朝礼、研修、仕事を通じての企業哲学の涵養、
それらが即応時にいかに自動的に立ち上がって来るか。
2011/3/11楽天社長、三木谷浩史(47)は本社14階の社長室で誕生日を祝ってもらっていた。
役員が贈ってくれた中国製の茶器がテーブルの上で
午後2時46分カチャカチャ音を立て始め、
すぐにビル全体を揺さぶる大きな揺れに変わった。
三木谷は滑り落ちそうな茶器を、慌てて両腕で抱え込んだ。
この瞬間から三木谷の部屋はウオー・ルーム(戦争司令室)と化す。
社員は無事か、事業は継続できるか、楽天市場の出店企業は大丈夫か。
何台ものホワイトボードに刻々と情報が書き込まれていく。
翌日、東京電力福島第1原子力発電所の1号機が水素爆発を起こした。
三木谷は3月25日に宮城県石巻市の避難所を訪れ、
4月11日には被災3県を回って会社として3億円、個人で10億円の支援金を提供した。
「女児用の10センチの靴をお願いします」。
インターネットを使って被災者のニーズを吸い上げ、
本当に必要な物資をユーザーが寄付する「楽天たすけ愛」など、
いくつもの支援プロジェクトを立ち上げた。
そんな戦争のような2カ月間を過ごす間に、
三木谷の心の中に一つのわだかまりが生まれた。
経団連への疑念だ。
04年、当時の経団連会長、奥田碩(80)に誘われて入会したときの経団連は
「改革派だった」(三木谷)。
だが今は原発の早期再稼働を求めるだけで、発送電分離には消極的。
「一部の企業の声しか反映していない。
盲目的に過去を継続する日本的経営の一番危ない部分が出ている」。
そう考えた三木谷は、11年6月に経団連を退会。
1年後に新経済連盟を立ち上げた。
「ぼくはアナーキー(無政府主義)な人間じゃない。
日本興業銀行で教えられた使命感や規律が今も大好きだ。
でも、本当に正しいと思ったら世の中を敵に回してでもやる。
それが起業家だと思う。
絶叫とも云へず、押し黙った言葉とも云へず、
日本列島に何千、何万と云ふ言葉がひしめき合い木魂した。
■(12,8/6)東電テレビ会議映像公開
これらの言葉のやうなものはほんの表に現れた数行であるかもしれない。
しかし、100万の言葉や、うめき声や、つぶやきが地の表を被ってゐやうと、
現れた言説が自己リレーし、決め事が導き出されてゆく。
2011,3,24
ルース駐日大使。
福島第1原子力発電所で問題が連発するなか、ひそかに民主党の有力議員に会い、
強い危機感を訴えた。
「東京電力や日本政府の見方は楽観的すぎる。
状況はかなり悪い。圧力容器だけでなく、格納容器も損傷している可能性がある」
原子炉にこのまま海水を注入し続けたら、爆発しかねない」
ルース大使は米原子力規制委員会(NRC)の分析に基づき、
海水を直ちに真水に切り替えるよう促した。
「とにかく全面的に米国を信頼してもらいたい。できることは何でもやる」。
ルース大使は米海軍が真水を福島県沖まで運ぶ用意があるとも言い添えた。
米国では縦割り行政のために災害対応に多くの問題が生じたことから、
1979年にFEMA(連邦緊急事態管理局)が設立された。
すべての災害に際して、中央・地方政府、その他地元機関の業務を調整する。
3700人の職員を擁し、各州には緊急事態管理局という下部組織が存在する。
また災害対応には緊急対応・復興、被害軽減、準備というサイクルがあるが、
FEMAはこのサイクルを取り込みながら、危機対応の改善を図る。
ちなみに1979,3/28、米ペンシルバニア州スリーマイル島で原子力事故が起こってゐる。
日本でも阪神大震災などの教訓を生かし、危機管理体制の整備が進められてきた。
内閣に危機管理センターがあり、今回は緊急災害対策本部や
原発に関する統合連絡本部が設置された。
関係省庁にも対策本部が設置され、それぞれ危機対応を行っている。
それでも現状は統合的な危機管理には程遠い状況ではないだろうか。
そもそも情報管理が一元化されておらず、権限も集中していない。
そのため国民には、政府内のどの部署が誰に責任をもって何を発信しているのか分からない。
(11,3/19日経)
なぜ東電は設計の際に5.7メートルで線を引いたのか。
原子力部門の技術陣が
「たとえ5メートルの大波が来ても大丈夫です」と説明したときに、
「ならば10メートルならどうする?」と、
専門家ではない客観的な立場から問い返すのが、経営トップの役目であるはずだ。
安全・安心を担う原子力安全委員会や
経済産業省原子力安全・保安院は
首相官邸や東電の発表の追認に終始し、監督機関としての使命と責任を果たしていない。
外部の専門家を交えて事故認識や対応方針を分かりやすく表明し、
国民の不安をできるだけ取り除く必要がある。
政府が国際的な調査委員会を組織し、
東電や原子力安全・保安院はそこにすべてのデータを提出し、
国際委が事故を分析し公表することだ。
外国人が1、2人加わるのではなく海外の専門家が多数を占める必要がある。
日本人が多数の委員会では隠し事をすると疑いの目でみられる。
原子力の利用を続ける世界の国々は、今回の事故から多くのことを学べると考えている。
その機会を日本が提供し失敗をチャンスに変えることができる。
(11,5/9黒川清)
(2011,3/18日経)
政府内には地震発生後、様々な組織が設置され、
首相と全閣僚の緊急災害対策本部だけで開催数は12回に及んだ。
官邸の首相執務室前にはレクチャーのための官僚が列をなす。
17日夜、枝野官房長官が発表した突然の「仙石人事」だった。
問責決議を受けた仙石由人前官房長官を官房副長官に起用。
・原発対策と
・震災対策の指揮命令系統を分離する方向へ。
災害対応には緊急対応・復興、被害軽減、準備というサイクルと、
原発、放射能対策には深層防護、と云ふ概念が用いられる。
様々な装置が整備されていることによって、多重、多層に防護
■安全設計を大幅に超えたシビアアクシデント=原子炉が溶けてしまう状態になっても、
何とか対応するための対策を考えておくのが第4層
■人命を守る第5層
2011,3/29ゴーン社長「撤退せず」
日産いわき工場、4月に一部操業
「災害である。日本人のパフォーマンスが壊れたわけではない」
約300人の従業員や取引メーカー社員を前に
「危機をチャンスにしてほしい。今こそ日産スピリットを発揮してもらいたい」と激励した。
■ 被災したいわき工場を視察する日産自動車のカルロス・ゴーン社長
(29日、福島県いわき市)=共同


