「浪の上にも華はあるとぞ人の音せぬ浪江桜は」
お江戸を過ぎて、桜前線はいよいよ陸奥へと駆け上ってゆく。

 

2011,4/10は都知事選───

また石原慎太郎に雪崩てしまふのか。

わたなべ美樹、東国原、小池・・・候補。

「桜花、連翹の黄、際立たせ」

投票を済ませ、平穏なお花見日和の日曜日。

防衛省、法政大学の土手、靖国神社、千鳥ヶ淵、公文書館、武道館・・・

飯田橋・神楽坂へ、お堀端沿いに市ヶ谷、また靖国通りに戻る。

 

「震災のあとの桜の白さかな」

「あの人は桜の花を見に行った」

「薄化粧して花あれば花の色」

「防衛省欅の緑桜かな」

「釣り堀に桜散り込む日和かな」市ヶ谷の釣り堀

「母ありて子ありて父ありて桜」

「人を待つブルーシートに桜かな」文庫本がよく似合う。

「春告げる音のよきかな桜聞く」

「鳥の声いと楽しくて花の声」

「さ蕨を土手に見つけて山手線」

「花あれば椿の花もつまらなき」

「桜花みな若かりし頃のあり」

「頭つむに花のせてオヤジの酔い心地」
「葉桜や老ひの二人を楽しめり」

「花疲れ子供は親のほどじゃなく」

「桜褒め松ほめてまた桜ほめ」

「焼き芋につい足止める花見かな」

「花の蔭水の影ゆくポートかな」恋人たち。

妻と二人で、わたしたちは花盛りの下を、石の上、甍、雲か霞か、

山手線を下に聞き、靖国に詣で、千鳥ヶ淵の往来に難渋し、

しかし、それでも全くのこと、ほかの大勢の花見客の人たちと寸分たがわず、

まったくの太平楽であった。

 

しかし、健全な精神は

「都知事選日本列島いたるとこみな一斉にボランティアする」

「絶対元のきれいな潮来にして見せます」

女の子たちは額の汗をぬぐってさう誇らしげに云ふ。

自分たちの町なんだ。

「教室に車飛び込む学校にけふボランティア泥を掻き出す」

福島いわき市永崎小学校。

教室の廊下に乗用車が流れ着いている。

廊下もなにも厚い泥で埋まっている。

「気仙沼インドカリーのインド人頭(つむ)にインドの布の形の」

ボランティアで本場のインドカレーをふるまう。

普段は肉が苦手だという女性も思わず美味しく食べてしまいました、と。

 

しかし、天然はいたるところに気のせいか物語する。

「雪柳地のかなしびを噴き出だし」

「瞬きすそは鳥の啼き桜咲ききのうはけふとなどてなからむ」

 

「ランドセル置かれたままに泥のままはや一ト月の石巻はや」

大川小学校、108人中犠牲者は74人、まだ行方不明10人。

佐々木利充さんは今日も

「見つかるまで探す」と水の引かない現場を彷徨ふ。

姉弟の下の鉄馬くんは遺体で見つかった。

姉の和(なごみ)ちゃんは10歳の誕生日に。

一緒にしてあげなくてはかわいそうだと。

「脚長き鷺歩みゆく瀬の潟の片づけやらぬ瓦礫大川」

「親たちの時間子供も止まってる「行ってきます」のあの日のままに」

「卒園の歌「こんなことあんなこと…」口いっぱいに幼な無邪気に」

53人中3人死亡、3人が不明のまま。陸前高田幼稚園はけふ卒園式。

「先生と呼ばれて無色葱坊主」(坂本玄々)

 

「免震棟約300人疲れきる人の足りなさ防御福島」

300㍍ほど原発から離れて建てられているところに、

様々な部署の方や、外部の協力企業などの人たちが詰めている。

放射能担当の人たちは限られている。

これが戦争だとしたら、圧倒的に足りない人数で立ち向かっていることになる。

長い戦いになるのなら大きい防御棟を新たに作り、

大ぜいの人たちによる交代制による途切れない出撃しかないではないか。

半径30㌔以上まで広がっている放射能に対して、

たったの数百人の実働部隊では心細いかぎりである。

3/10、今日初めて公開された。

 

釜石───

「工具拾う泥の中から鉄鋼所微かな希望銜えタバコす」

船にはエンジンが必要なんだ。

たくましい如何にも職人タイプのおやじさんが銜えタバコで仁王立ちする。

機械を回して何とか再生するきっかけを。

それには潤滑油が必要なんだ。

政府や自治体や金融などのだ。

浜千鳥の社長は

「うちだけ店を開けても仕方がないけれど開けなければ周りも開かないから」と、

津波ではるか遠くに流された看板を見つけてため息を。

政府が早い段階で出来ることとできないことなどの線引き等、

方向性を全体的に出さないと、希望が打ち消され、心が折れてしまうことに。

 

気仙沼の加工食品大手の社長も壊滅的な各沿岸の工場の打撃にも関わらず、

社員を解雇しない方針を打ち出した。

休職ということにしても1カ月当たり保険支払いだけで2000万円の負担になる。

しかし、断固たる復興を期して社員の前で決意を述べた。

西日本も含めて、経済を止めてはならないのだ。

 

4/11

「防災服未だ脱ぐ気にはなれないと政府着換えに息まくお人」

都知事選で圧勝した勢いもあってか、

政府の平常時のモードに息を撒いた慎太郎知事。

猪瀬副知事もTV番組に防災服で

「宮城県から1000体くらいのご遺体を都の側で搬送して、こちら側の斎場で───」

 

石原慎太郎4氏選───

東京都知事選で、現職の石原慎太郎氏(78)が4選を決めた。

東日本大震災の非常事態の下、都民が求めたのは「変革」よりも「継続」。

防災という重要課題が改めて浮上する一方、

高齢化社会への対応や多選問題などの論点はかすんだ。

「東京は日本の心臓、頭。よく分からん人に譲るわけにはいかない」。

告示から17日間の選挙戦で石原氏が街頭演説に立ったのは、最終日の9日のみ。

有楽町駅前に防災服姿で現れた。

 

「統一選、民主大敗4割の公認候補みんな落選」

統一地方選、岡田幹事長の地元三重県でも知事選に惜敗。

みんなの党が躍進した。

今後の政界再編を占う結果に。

 

生臭い選挙が終わり、街の空気も少し落ち着いた。

「ドミンゴのテノール歌う「故郷」の声被災地へ故郷届け」

チャリティーで最後に「故郷」をブラシド・ドミンゴさんは歌った。

ゴマ塩のひげ面が揺れる。

「被災を乗り越えることを願ってます」(4/11NHKニュース)

 

「マスターズ石川遼くん20位にグリーンに映える厳しき笑顔」

「いーゴルフをして被災地に届けたい」

マスターズ3回目の挑戦で20位に。

今日からの試合の賞金などを被災地に寄付すると

賞金約800万円にプラスして、900万円を寄付した。

Ryo Ishikawa to donate all of his 2011 earnings to earthquake victims of Japan.

Ishikawa, just 19 years old ,

he announced on Wednesday that he will be donating all of his 2011 prize money

to victims of the natural disaster 

「僕と被災地の皆さんはゴルフを通してずっとつながっています。

そう思へば僕のゴルフに100%集中できます。

僕はゴルフを通して被災地の皆さんと戦っていきたい」

 

松山英樹くん(宮城県東北福祉大)も19歳の若武者である。

グリーンの観客はみな彼が被災地からやって来ていることを知っていた。

ナイスプレーの度に大きな拍手と歓声と。

27位、ベストアマチュアの銀杯を獲得、

授与される時また大きな拍手が沸き起こった。

大学は休止中なので帰ったらボランティアに精出したいと思いますと。

 

「サイレンの音長々し禍禍(まがまが)し5時16分震度6弱」

ニュースで2:46の黙とうのニュースを見ていたら

今度は実際に足元が揺れた。

福島県浜通り中心。サイレンはニュースの中で長く長く鳴らされていた。

「寄り添ひぬいわきの宿の避難所に震度6弱子供泣き出す」

おばあちゃんがだっこしてあげて頭をなでている。

体育館から出ようとする人たちを誰かが外に出ないように押しとどめている。

夕方からそして余震が何度もやってきた。

8時42分には震度5弱の。

■福島県浜通りで震度6弱の地震が発生した(夕方5時過ぎ)。

11日20時42分頃 茨城県北部 M5.9 震度5弱

■12日07時26分頃 長野県北部 M5.5 震度5弱

■12日08時08分頃 千葉県東方沖 M6.3 震度5弱

 

「日曜日、時間返して被災地に南三陸、電気、水道」

は未だ通じていない。

避難所にずっといると日曜日も今何時かもわからない。

いままではみんな夢中で、今では着る、食べるは何とかなって来たが、

外に出ると相変わらず茫漠とした現実が広がっている。

「なんにも、ねや」。

被災者たちはいよいよ次の、将来や生活の先行きのことなどを考える段階になり、

重く気がふたぎ始めた。

ちょうど1か月が過ぎた。

 

「春よ来い貝の甘さよ三陸の海の蒼さよ清水(しず)の漁師の」

ホタテやワカメの養殖で生計を立てていた。

南三陸町では今日、集団退避が始まった。

バスに乗り込む佐藤仁町長。

「みなさま様々な思いでご決断されてくださったと思います」

「仮設住宅を早く建設して必ずお迎えに行きますからしばらく辛抱して下さい」

手を振る町長の眼鏡が涙で曇る。

しかし清水部落のように海から離れようとしない住民も大勢いる。

仮設住宅を建てる場所も限られている。

津波で浸水した場所を指定する住民もゐる。

「ゆとりがない」のである。

自治の財政のゆとり、永延と続く瓦礫に阻まれて土地のゆとりも、

そして、混迷した先行き不安に人々は気持ちのゆとりさへ持ちようが無いのだった。

 

「あちこちの瓦礫に掲ぐ大漁旗負けるわけには風、石巻」

58幅洋丸船長は瓦礫の中に大漁旗を結んでいく。

夏のお祭りも開催するることに決まった。

大漁旗が瓦礫の中ではためいている。

 

気仙沼───

気仙沼人口7万5000人弱、

1万3000人に未だ水がストップしている。

漁業水産の復活がきわめて象徴的な道しるべとなる。

6月に市場を開けるのが目標だと。

 

「原発の無人の街にアラームの鳴り牛犬の放し飼いなり」

犬たちも、牛たちもみな集団になっている。

車が5㌔圏内に入るとアラームが鳴りっぱなしになった。

海近くには満身創痍のパトカーが半分泥の中に埋もれている。

原発の避難指示地域ではまだまったく遺体回収作業は始められていない。

犬たちは人が現れると親しげに尻尾を振って近寄って来る。

食い物を投げやると喜んで食べた。

 

「乳止めるまた乳搾るモー大変原乳農家ほっと一息」

4/8日に出荷制限は解除され、

4/11日、出荷。

牛さんはいつもの表情だが、久々に原乳農家の人たちに笑顔が戻った。

福島県と茨城県の小美玉地区。

「全国から大勢の方の激励が届いていました。

良質、安全なミルクをみなさまにお届けしたい」

 

飯館村───

「云われてもはいそうですか飯館(村)に身動きとれない牛も人さへ」

計画的避難区域を設定すると枝野官房長官の発表。

1カ月くらいをめどにする。

飯館村の南の方に下がった地域では緊急的避難準備区域に設定された。

(乳幼児等は入らないように)

■清水社長は福島にお詫びに入ったが、県知事はそれを拒否した。

福島は放射能との長い付き合いを始めなければいけなくなった。

セシウム等の放射能は畑地の表面5㌢ほどを除去、

あとは鋤きこむことでほとんど問題なくなるという。

冷戦後の核実験の頻発の所為で実際は

1960年ころが被曝の値は今の何十倍ものピークを示していた。

 

飯館村は全住民が避難されるように求められております。

5000人の村民が今も、約1000人が自主的に避難している。

 

「夫婦して瓦礫のなかに遍路する波間に出れば波の音する」

大久保三夫さん夫婦は杖をついて二人して一人娘の真希さん(27歳)を探し続けている。

 

「流されたとご連れていがねランドセル孫にはとても桜すぐ咲く」

ランドセルは流されてしまった。

おじいちゃんは孫のためにまた新しいランドセルを買ってあげた。

桜の花がこの東北にももう少しで咲きはじめる。

蕾が膨らみ始めた。

 

「黙祷す一月のはや過ぎてゆきサイレンの音丘に手繋ぎ」

「娘が半分帰って来たようで嬉しがったですね」

瓦礫の中から娘のハンドバッグを見つけた。

宮城山元町。

 

「敗戦後」がまだ終わらないうちに、

翌2012,4/16、石原都知事は米国の講演で尖閣購入を表明した。

引きずられるように、

7/7野田首相は尖閣諸島の国有化を表明する。

ケンカを売ったのか。

1937,7/7は日中開戦(盧溝橋)の日に重なる。

9/9、ロシアで開いたアジア太平洋経済協力会議で野田首相・胡錦濤主席は立ち話をするが、

9/11、閣議で釣魚島など3島を地権者から購入すると決定。

 

浪江町「桜」───

忘れないでよ、私がここにいたことを、忘れないで、僕もここにいたことを。

また花の季節が来るから。

亡くなられた方は二度死ぬんです。

実際の死と忘却と

《なにもかもかたづけられていく、消されていく。まってください、声がするんです》

逃げる人は逃げない人を、逃げない人は逃げ行く人を深く傷つける。

(佐藤通雅(73)歌集「昔話」むがすこ)



■立ち入り禁止区域浪江町。

請戸地区を過ぎるとすぐに海に出る。

私達はすぐに忘れると云ふこと。

幻覚か幻か、はたまた願望であるか・・・

「美しき人ゐて夜の桜かな顔の真中に花散りゆけり」

忘れないで・・・

 

倉石智證