そこいらへんに棲む精霊たちよ
みんな起きて来て我を手伝へ
わが妻が痛いと云ふてゐる
この古い屋敷で
ひとり老いたる父と老いたる母を養ふ
あの人たちは棒のやうに立ち、棒のやうに座る
時に林のやうに静かになる
ぼんやりがあたりをうかがふ
どんよりが妻の吐く息を吸い取りに来る
1940パウル・クレー《なおしている》
楽しみの夕餉の時よ
はやばやと寝所に向かふ棒のやうにぎこちない後先の影よ
わたしが朧げにやっと死と云ふものが理解できた頃
ば様はまたやって来て
「けふは何日」と
問うのだ
許されてよ、ほどほどに
しらばくれてゐるわけではなく
ごく正気に
そして、繰り返し繰り返し
日がな一日また振り出しに戻る
妻が痛いて云ふてゐる
古き屋敷に棲む昔ながらの精霊たちよ
起きて来て我を手伝へ
人々がようやく眠りに就くころ
妻もまた体を横たえる
星々よ、屋根の上の星々
瞬きよ
伸縮と覚醒と繰り返し星明りが屋根をひらいて妻の顔を照らし出す
たしかにおい、と声をかけると
妻はもう眠りに落ちてゐる
棒が寝てゐる
倉石智證
人と人との付き合いはエネルギーのやり取りだ。
介護の場合は健康な人のエネルギーが
衰忘してゆく者へとどんどん吸い取られてゆくのが目に見える。
妻と云へども、二人の老耄を抱え、
明るく、楽しく、元気よく、がむつかしくなる。
