いまニュース番組を見て思ったのだが、
小野寺五典さんて個人的には好きなんだけれど、よくないね。
この、元防衛大臣は「3.11」にしても頑張ってらっしゃる。
しかし、この手の善人の顔をして、が一番大衆をして危うくさせる。
物事は───
・正しいことを、正しく行う。
・正しいことを、間違って行う。
・間違ってゐることを、正しく行う。
・間違ってゐることを、やっぱり間違って行う。
さて、ぼくの考えでは五典・元防衛大臣は、
「間違ってゐることを、さも正しいことのやうに」行おうとしているのではないか。
沖縄の根本の問題の論理は───
「船に10人が乗り込んでゐるとして、9人が助かるためには、例えば一人が死んでしまうかもしれない」
と云ふやうな問題なのだ。
日本国の安全保障、日米の同盟のために、
本土のために、では沖縄の皆さんにはごめんなさいね、と云ふことで、
それでは本土決戦の前に、沖縄を捨て石の如くに崩滅させた、
あの悲惨な沖縄戦の論理と少しも変わらない。
五典さんは、翁長知事などを取り上げて、
本来は地方行政責任者は、地方の福祉や、行政や、厚生などのために、
それを主眼としてマツリゴトを執り行うのが筋にも関わらず、
安全保障、外交の問題に、問題を敷衍させ、本来業務をおろそかにしてゐる、
と云ふやうなことをおっしゃった。
逆である。
普天間の跡地に「ディズニー」の誘致とか、
そこに住む人たちの理性を危うくさせる物事へと誘導させるのではなく、
とことん、では「9対1」のやうな民主主義の根本に対しての問題を取り上げて、
深堀させるべき問題だったのではないか。
物事は「20年の忍耐」(1995少女暴行事件を端に)の問題ではないはずだ。
沖縄70年、ないしはもっとさかのぼった問題であり、
それこそが、人類普遍の、権利としての「理性」の問題であるはずだ。
五典さんは、本来議論されてしかるべき最も大事な問題を、
生活の必要性、便宜の問題へとすり替えてしまっている。
根本の問題は、なぜ、日本全体のために、
ないしははっきり云って冷戦中でも、そのあとでも、
米国のための国益であって、ベトナム戦争も然り、
それらのいわゆる安全保障とすり替えられている日米の、
今の共同の共同幻想のために、
沖縄にほんたうに基地が必要なのであるかどうか、
沖縄はやはり本土のために我慢を強いられてしかるべきなのか、
と云ふことに関しての国民全体の問題なのではないだらうかと考える。
・普天間は要らない。
・辺野古は許さない。
別な立候補者は上記の筋のことを取り上げた。
当選した市長は───
・普天間は要らない。
ただそれだけではあまりにも分かりやす過ぎる。
人間はどこかで痛めつけられるか、閉そく状態が続き過ぎると、
“動物化したポストモダン”突然自分で考えることを止めて、
体勢へと、或る空気感へと納得させることで幸福感を感じるやうにさへなってゆく。
世界のあらゆるところで今それが起こりつつある。
欧州の選良たるエリート、米国の民主主義も、国家も、
それらの定義をもう一度洗い直す必要がある。
とりあえずともかく、現今では国家といふものが、
あらゆる諸悪の根源になりつつあるのではないか。
人々はただ暮らしたがっているだけだ。
それを国家と云ふものが出て来て、息の根を止めやうとする。
中国では───
・ウィグル
・チベット
・香港「一国二制度」
・台湾「両岸は一体」
米国はパレスチナを独立国とは認めない。
トルコ、イラクは「クルド」の独立さへも支援しない。
ロシアは「クリミア」を自国の領土として併合。
国連の常任理事国の一人でもあるにもかかわらず、戦争を起こした。
そして竹島然り、尖閣然り、
みな国家を前提とし、“国益”と国家主権を何よりも前提としてゐる。
第2次大戦後のほとんどの戦争ないしは紛争は米国が種を撒き、
病巣が→世界に転移した。
例えばISの源流は(米国がサダム・フセインのバース党“スンニー派”を排斥)
2003年のイラク戦争後の混乱下で生まれたイスラム教スンニ派の過激武装勢力だ。
これに隣国シリアの内戦が勢力を広げる余地を与えた。
いわば、イラク戦争が「ふ化器」、シリア内戦が「ゆりかご」になった。
そして、ISは国家を名乗るけれど戦争を“私物化”してゐる。
(15,12/3日経)
権力を市民の近くに置くことだ。
暮らしを支えるためには、地域のコミュニティーを維持するためには、
行政を賄う政府があればいい。
国家はあまりにも大上段に振りかぶるきらいがあり、死人が出る危険性が伴う。
正義はいつも危ないのだ。
それにポピュリズムはいつも必ずや大赤字をもたらす。
民主主義、選挙の在りやうをもう一度構築し直す必要がある。
倉石智證
