■(14,1,30南シリアのヤルムーク難民キャンプ)
このヤルムークキャンプはもともと
1948年に、アラブ・イスラエル戦争から逃げ出したパレスチナ難民を収容するために建設された。
(THE WORLD POSTNick Robins-Early
1948,5,14(イスラエル「建国宣言」)
第1次中東戦争が勃発した。
65万人のパレスチナ難民が発生。
国連の停戦勧告を受けて終了するが、
結果はイスラエルが国連分割案より多くの領土を獲得し、
エルサレムは旧市街地を含む東地区がヨルダン領に、西地区がイスラエル領になる。
第2次大戦後に創設された国連は、米国が盟主であり、
その米国議会は第1次大戦前よりウォール街(ユダヤ系資本)に支配されており、
結果として国連決議の"半々"は、今ではパレスチナ領分は23%ということになった。
1948イスラエル国によって故郷を追われ、パレスチナ自治区と周辺国に逃れた
パレスチナ難民とその子孫は500万人を超える。
ヤルムーク難民キャンプにはシリアの内戦前、
約18万人が暮らしていた。
それがないと生きた心地がしない
それがないとただ歓びがない
信仰が足りないのではと云はれた
手に持つ仕事がない
息子は渡航前、仕事が見つからず
「ここには居場所がない、未来もない」と云った
シリアからは「ここから出たい」と連絡があった
銀色の翼がふっと現れてミサイルが炸裂する
息子の消息が途絶えた
それを思ふと今でも胸が痛む
水をふゝむ
水で手を洗ふ
臭いが消え去るまで水て手を洗ふ
あそこには水さへなくて
すべてが乾き切っているから
水を流す
水を流してやる
それからが私の夢だ
水を流す夢を見た
砂漠に次々と水が浸みてゆく
巧妙な罠にも思へてくる
柱廊が一つ崩れ、また一つと崩れ落ちてゆく
マーインチウ総統は
「文化は偉大な都市をつくる」と挨拶した
柱廊の上には様々な国家の指導者の顔が並ぶ
どの顔も信用ならんね
息子の声がする
わたしが故郷を追われガザに逃れたのは1948年だった
艶然と女が笑ふ
豊満なおっぱいが胸からこぼれさうになる
息苦しくてリビア、エジプトを転々とする
それからシリアのヤルムークには25年間暮らした
奇妙な連中が来て銃で脅し
大勢の人々が殺された
貧しい人々たちをさらに砂漠の端へと追いやった
わたしは何十年かぶりにガザへと戻った
するとここでもまたミサイルが空に舞った
水が少しずつ私の躰から出て行った
もう泣くに泣けない
わたしなんかいい方で
ほんたうに躰に穴が開いちまった人達は
何度でも自分の躰に手を当てて穴をふさごうとするが
穴からは水が浸み出て、
流れた
むろん愛が感じられないと花は色がない灰色になる
思ひが届かないと羽がない飛べない鳥になる
カタツムリの殻はその通り棲む家だ
瓦礫の中になけなしの愛を探す
閉塞が続くと絶望が巣食う狂信者を生む
強圧が続くとさすがに顔がひん曲がる
沖縄では知事がそれを「魂の飢餓」と云った
倉石智證
1916,10「サイクス・ピコ協定」
アラブの独立ではなく英国とフランスによるオスマントルコ帝国領域の分割密約。
シリアはフランスの信託統治になる。
フランスがアサド家に軍事を教えるところとなる。
1917,11/2「バルフォア宣言」
英国はイスラエル国の建国を保証
(クロアチア・オストイッチ副首相兼内相15,10/16日経)
クロアチアは2013年にEUに加盟した。
パスポート審査なしで国々を行き来できる「シェンゲン協定」にも加わる意向。
ただクロアチアは難民の受け入れに積極的なものの、
大半はドイツなどを目指しハンガリーやスロベニアに向かう。
これを理由にハンガリーは
難民を通過させるクロアチアのシェンゲン参加に反対する意向を示している。
「複数の国が我々をシェンゲンに入れないと言っている。
我々も、こんな状態のシェンゲンには加わりたくない。
ギリシャで制度が崩壊しているのに、規則に従えといえるのか。
苦難にある何千人もの人々を
(入り口で)せき止める制度は、私は間違っていると思う」


