香月泰男“シベリア抑留”───

1956秋から半年間に及ぶヨーロッパ旅行後本格的に「シベリアシリーズ」に取り組む。

1943,4下関から朝鮮半島に渡る。

駐屯先は旧満州のソ連との国境に近いハイラル(敗戦後)シベリア抑留。

1947,4帰国決定。ナホトカまでシベリア鉄道で移動。

引き揚げ船「恵山丸」で舞鶴へ、三隅の実家に帰還したのは5,24のこと。

 

わたしは知らなかったと云ふ

いや、あなたたちは知っていたと云ふ

泣く泣くわたしは見なかったと云ふ

いや、あなたたちは確かに見て知っていたはずだと

あの人たちは云ふ

何万と云ふ尻がこそげた男とか女とか区別のつかない人たちが

佇つている

何万人と云ふ人たちがひどい目に遭っているとき

わたしは声を上げなかった

知らんふりをした

列車に乗せられてどっか知らないところに連れていかれようとするとき

わたしは目を瞑り、必死に自分の足元を見ていた

1946・ヴィクトール・フランクル「夜と霧」本書 「苦悩の冠」より引用。

 ドストエフスキーはかつて、

「私は私の苦悩にふさわしくなくなるということだけを恐れた」と、云った。

 

午前11:02分が佇ってゐる

知らなかったて云ふわたしが佇ってゐる

大勢のわたしらがもう用もなく佇ってゐる

棒切れのやうにさめざめと用も為さずに

例のごとく戦争は廊下の隅に佇ってゐる

何百万、何千万と云ふ死者たちが無言のまゝに佇ってゐる

もう言葉は意味をなさない

見なさい、と云ふ

目をそらさずに

でも触ったらすぐに炭になって崩れた

 

ワタツミのヤマツミの海にも出れず山にも上れず

雲が垂直に天を目指して立つ

水をください、盲ゐて

過ぎ去った時間の中に手を伸ばす

「おかあさん」

あるはずの未来の時間の中に両手を伸ばす

「おとうさん」

何万度と云ふ熱線が降り注ぎ身の悉くを眼球の後ろに貫いた

頬を灼かれたアベマリア

わたしは知らなかったと云ふと

いや、あなたたちはみんな知っていたはずだとどこかに声がする

どうして立ってゐるのって聞くと

横になれないからだと

そしてまたさめざめと泣いた

どうか横になってください

平和のためには戦争が必要なんだといふのはどうもおかしな話です

1945~46フランシス・ベーコン「人物像習作Ⅱ」

人間が崩れてゆくんだ・・・。

 

倉石智證

 

1945,8/9

午前11時02分、

二つ目の原子爆弾が長崎に落とされた。

 

平和のためには戦争が必要なんだと

ムッソリーニは拳を振り上げて演説する

そのムッソリーニは吊るされた。

 

安倍首相は

「平和のためには戦争(解釈改憲9条)が必要なんだ」

と云い募る。

 

クノップ社、デュポン、VW・・・

モービル、フォード、モルガン(ウォール街)・・・

みんな巨大資本は戦争の加担者だ。

そして今は、経団連、三菱重工などがそれにまた乗っかろうとしている。