彼女はなにを朗読するのか

朗読してゐる限りは彼女は郎読者だ


カンボジアのメコンに水位が上がって来る

石組に木の根が入り込み

さすがに堅固な回廊もいまや空に分解しさうだ

やさしいアルカイックが多くの無念な死者たちを慰める

殺戮があったなんて

木の根をかじり、生きた虫たちを食べる

川を渡り切れば生き残ることができるかもしれない

もし、捕えられて尋問を受けても

素性は隠し通さねばならない

裸の足は踏みつけられて悲鳴を上げる


歴史の時間で測ればごく最近の話しにはちがいない

クメール・ルージュ

赤い血が濁った川に流れ込む

読んで聞かせてゐる限りは彼女は郎読者だ

読み聞かせの相手がただの一人だったとしてもだ

彼女は鼻に眼鏡をずらせ

窓の外のぼんやりとした明かりを眺めやる

メコンに水位が上がり

いままさに水位は彼女の喉元までやって来る


「バニヤンの木陰で」 ヴァディ ラトナー

破壊と虐殺の嵐の中で少女を救ったものは───

200万人、と云う数字のところで

朗読者は本を閉じた


倉石智證