1937,7/7CHINA盧溝橋

1941,12/8パールハーバー

一体どこと戦っているか───と思ったら、

いつの間にか多くの国と戦争になっていた。

「集団的自衛権」行使容認。

自国のためにあれやこれやの都合のよい都合を連ねるけれど、

戦争は、一方のことを待ってゐてはくれない。

それどころか思いもかけないことが先端で起きて、

掻きむしるやうに、自乗発熱してゆくのだ。

 

太平洋戦争は、第2次大戦も含めて、大勢はすでに連合国の掌中にあった。

1943,2ガダルカナルから撤退“転進”。

1943,4/18山本五十六戦死

1943,4/25ムッソリーニ放逐され、処刑、木にぶら下がる。

1943,10/21神宮国立競技場で「学徒出陣」

1943,11/25「カイロ宣言」

ここでは、毛沢東も、スターリンもゐない。

尖閣諸島の“曖昧な立ち位置”はここで米国の国益とともに保存される。

蒋介石は“日清戦争以降の事を”全部返せ、と云ったが、・・・

■1943,11,25「カイロ会議」連合国の対日方針などが話し合われた

■カイロ会談における蒋介石・ルーズベルト・チャーチル(1943年11月25日)

■当然ながらまだ共産党解放軍と戦っていたわけではない。

1944,6/6、6時30分「ノルマンディ上陸作戦」

ドイツ帝国の葬送の序曲が始まる。

1944,7/7サイパン陥落

日本は制空権を失った。

東条英機内閣辞職。

1944,7/15「ブレトンウッズ会議」

すでに戦後の連合国側の世界の金融秩序在り方を決定した。

■ドル本位(金本位制)

■自由民主主義、資本主義市場主義体制

■ブロック経済の反省に鑑み、自由貿易体制を。

■戦後の西側における復興と、金融体制

■IMFとIBRDの創設の確認

すでに勝利することを前提にした会議だったのだ。

日本はまだ世界のインテリジェンスを読解するに至っていない。

カイロ会談から

→ノルマンディー

→ブレトンウッズ

 

1944,8/26「パリ解放」シャルル・ドゴールノ凱旋。

因みに悲惨な「対馬丸事件」はこの4日前、

1944,8/22学童830人を含む約1660人。

“箝口令”護衛防護艦は現場から逃走。「軍隊は救ってくれなかった」。

 

1944,10/4特攻“十死零生”



1945,2,4~11(ヤルタ会談)

米英ソ首脳が戦後処理について協議した。

・ドイツの分割管理、

・国際連合の設置、

・ソ連の対日参戦など世界秩序が固まった。

この戦後秩序は「ヤルタ体制」と呼ばれた

■1989,12,2~3(マルタ会談)米ソ首脳(ブッシュ・パパとゴルバチョフ)が冷戦の終結を宣言した。

 

1945,2/13~15ドレスデン大空襲

1945,2/19硫黄島の戦い。米軍上陸開始。

1945,3/3~フィリピン「マニラ市街戦」

1945,3/10東京大空襲(陸軍記念日)

1945,5/8ナチスの無条件降伏

1945,6/23沖縄戦了

 

1945,7/17~8/2「ポツダム会談」

この前日の

7/16“赤ん坊が生まれた

原子爆弾実験の成功がトルーマンに伝えられた。

 

1945,7,26“ポツダム勧告=ソ連抜き

夜、スターリンは、思いがけない知らせを受ける。

それは、アメリカがソビエトに事前に相談もなく発した、

対日降伏勧告「ポツダム宣言」だった。

参加しているのは、アメリカ、中国、イギリス。

会議に参加していない中国が入っているのに、ソビエトには打診もなかった。

 

1945,8,8午後5時“ソ連参戦・中立条約破棄宣告”

「日本は、連合国によるポツダム宣言を拒否した。

それゆえ、日本がソビエトに求めていた和平調停は、根拠を失った。

また、連合国は、ソビエト政府に対し、日本に対する戦争に参加するように提案した。

ソビエト政府は、連合国に対する義務に従い、

この提案を受け入れてポツダム宣言に参加する」と。

 

1945,8,14“ポツダム宣言受諾→停戦命令

トルーマンは、「日本の本土はすべてアメリカの占領下に置く」と、

このスターリンの要求を拒否する。

北海道の北半分にソビエト軍が入り、日本軍の降伏を受けることにしたい」スターリン

■留萌⇔釧路line

停戦命令があったにもかかわらず、

1945,8/18占守島シムシュにソ連軍が上陸、戦闘に。

1945,8/22「三船遭難事件」1700人以上。

潜水艦(おそらくソ連軍の)による魚雷により、留萌沖などで一般引き揚げ船が沈没させられる。

 

何故米国が、廣島に次いで長崎にまで原爆を落とすに至ったのか。

日本には、原爆を落とす前に降伏して欲しくなかった。

米国はソ連による日本の占領を恐れていた。

つまり、対共産陣営に対する米国の国益が優先されたのである。

 

今の現在も続ゐてゐることだが、

現実を鳥瞰しない、する能力の欠けた超現実主義───

このときは、すべての会議や、枢軸国の情勢や、連合国側の態勢などが本当の現実で、

終いの終いまでソ連の仲介に希望を託す東郷茂徳外相などの根拠のない楽観主義。

現在はあり得ない“ホルムズ海峡の機雷”とか、

米艦による婦女子などの護衛、護送などのたとえ話などが、

いかにも超現実的なことではある。