ぞろぞろとすずろに

またぞろくっ付いて行ったが期待するほどのことはなかった

メダカの縁をポンと叩く

一斉に方向が変わった

閾値いきちを超えつつある

それらのテーマを持ち

立ち上がり

零したり、忘れまいとして

前頭葉から耳の上の海馬の辺りまでしきりに抑え

トイレまで行って便座に腰を下ろした


すずろすずろ、あのご予定はどうなってゐる

申し上げて見よと何べんも

うんうんと顎に手をやり考える人になる

気になるのは北緯30度以南

飛行機がぶーんとジュラルミン色して飛んで行った

きらきらと光る

群れをなして

ぼくたちは群れなんだ

吃驚させさへすればポンと

メダカが一斉に方向を変える

血相を変えて、ごもっとも

あとは、できるだけゆるゆると


そろそろとすずろに

申し上げて見よと北緯30度以南

ずっと気になっていた右のこめかみのあたり

天気予報晴れ

海はちゃぷちゃぷ、島々が浮かび

灰色の艦船が過ぎて行った

魚がぽしゃんと跳ね上がる

もう一回分離独立するか

首相は「わが軍」と云った


倉石智證

(web参考)

1945 年、第二次世界大戦での日本の敗戦を受けて、その後

1946年1月29日、連合軍最高司令官(SCAP)は、日本政府に対して、

尖閣諸島沖縄諸島(奄美諸島)を含む

北緯30度以南のすべての島を日本から分離し、

米国戦略的信託統治下に置くという指令を発表した。

尖閣諸島を含む北緯30 度以南の南西諸島は

米軍の直接管理下に置かれ、サンフランシスコ平和条約に基づき

1952年4月に日本が独立を回復した後も、

同条約第3条により尖閣諸島を含む

北緯29 度以南の南西諸島は引き続き米国の施政下に置かれることとなった。

その後、

1971 年6月に日米間で調印された沖縄返還協定に基づき、

翌72 年5月、沖縄の一部として尖閣諸島の施政権も日本に返還された。


アメリカは基地が少なく復帰運動の激しい

奄美の統治を諦めるようになり、

1953年(昭和28年)12月25日に施政権を返還した。


小笠原諸島1968年(昭和43年)6月26日復帰。

沖縄1972年(昭和47年)5月15日復帰。


民主主義が機能していない。

スコットランドのように、独立に関しての“県民投票”でもしてみるか。