“こんな女にだあれがした”
「星の流れに」1947,10
1946,5~1947,5第1次吉田内閣“傾斜生産システム理論が”
1947,5~1948,2片山哲内閣(社会党)
1948,3~10芦田均内閣(民主党)
私が“薄氷の”と云ふのは、つまり、
それが幸なのか不幸なのかは分からないけれど、
辛うじて共産主義システムの国家に陥らずに済んだ、と云ふことである。
大戦後、アジアでも、南米地域でも、多くの国が共産主義国家になったり、
あるいは共和を掲げるが独裁国家に転身する例が見られたからだ。
そして、それらの多くの国が戦後の長い間、経済の低迷に、
貧困や社会の混迷に苦しむことになった。
我が日本国でさへ、あと数年、戦後期の混乱が増幅したり、
あと数年の間、国民が耐えられないほどの貧困と飢餓と、不平等が続いたなら、
必ずやひょっとして、あの耐えられないほど退屈な、
それでいて不安で、妙にいびつな社会主義国家になっていたかもしれない。
国家の発展経路に欠かせない必須事項は、まず平和であることである。
韓国、台湾でさえ、国民の絶えまない民主化運動の末、
“戒厳令”が解かれたのは韓国が1981年、台湾が1989年、ついこの間のことなのである。
この何十年間の間に、日本はアジアでトップに躍り出ることになった。
余計なことはしない。
そして、それに邁進することこそが国家の発展経路なのだ。
地勢、社会空間に軍が関与しない。
国民の中に通じる風通しの良さこそがイノベーションのさらなるきっかけになる。
見事な“吉田ドクトリン”のお陰である。
また日本には優秀な官僚がそのまま存在していた。
財閥解体などの「マッカーサー5大指令」はあったものの、
銀行システムは毀損せずに維持されていた。
昭和恐慌以降、銀行再編が繰り返され、信用システムが強靭化されていたことも
有効な材料となったことだろう。
そして、我々の象徴天皇に属すると云ふ、日本固有のメンバーシップ、である。
「みそ一文字」しかり、パクストクガワーナを通じて寺子屋システムが
日本人の文盲率の低下に資した。
1946,3月に「IMF」創設される。
International Monetary Fund
第2次世界大戦後に米国主導で構築された
ブレトンウッズ体制と呼ばれる国際金融・経済システムは、
国際通貨基金(IMF)と世界銀行という2つの国際機関により運営されてきた。
世銀の使命は
・戦災からの復興と
・旧植民地を中心とする発展途上国の発展のために
長期資金を提供することだった。
特に重要だったのは、
加盟国政府の保証を担保にして世銀債の発行で多額の民間資金を動員し、
世界規模でのインフラ整備に投入したことだ。
(行天豊雄 国際通貨研究所理事長12,10/3日経)
しかし、真の目的は冷戦構造が始まったなかで、
“マーシャルプラン”と相俟って
西側の「自由主義社会経済」の防衛であることは明白だった。
1947年に入ると、3月12日に
トルーマンは一般教書演説でイギリスに代わって
・ギリシアおよび
・トルコの防衛を引き受けることを宣言した。
いわゆる「トルーマン・ドクトリン」であり、
全体主義と自由主義の二つの生活様式というマニ教的世界観が顕在化した。
さらに6月5日にはハーヴァード大学の卒業式で
ジョージ・マーシャル国務長官がヨーロッパ復興計画(マーシャル・プラン)を発表し、
西欧諸国への大規模援助を行った。
こうして戦後アメリカは、継続的にヨーロッパ大陸に関与することになり、
孤立主義から脱却することになった。
(Web)
1946(クルド人)───
ソ連の保護下でイラン北部に念願の
クルド人独立国家「クルディスタン共和国」が成立すると、
勇猛なペシュメルガは晴れて自らの国を守る軍隊となった。
しかし、同共和国はソ連の撤退後、イラン軍の侵攻を受けてわずか1年で崩壊。
カジ・ムハンマド大統領は公開処刑された。
「対イスラム国」、今につながるペシュメルガは
“死の淵に佇む者”という意味であるらしい。
“赤化”のことで前にも書いたことであるが、
ソビエト・シベリアからの引き揚げで───
例えば、帰還船内での、
「赤旗グループ」と「日の丸グループ」との一触即発的対立、
舞鶴港でも両陣営の引き抜き合戦などが展開される。
引揚運動の保守系と共産党系の対立は、米ソ冷戦の反映であり、
帰還促進団体も離合集散する。
結局、日本政府は、抑留者の帰還を急がせるために、
領土問題で譲歩し、さらに抑留中の労働に対する
ソ連政府の支払い義務までも免除するといった
きわめて屈辱的な交渉に臨んだのだった。
米国は日本にまず
①武装解除と
②民主化と、そして労働者の
③組合化を、指示したが、
組合活動が次第に先鋭化するに及んでついに───
1945秋“引き揚げ”
終戦で外地から600万人もの人々が帰国した
(朝鮮半島から博多港へ引き揚げた日本人を撮影した米軍フィルムの一場面、1945年秋)
何百万人と云ふ引き揚げ者。
破壊されつくした企業資産。
1945,8,17(出光佐三)
「愚痴をやめよ。
世界無比の三千年の歴史を見直せ。
そして今から建設にかかれ」と訓示した。
当時、多くの企業が人員を整理する中、
出光佐三は約1千名の従業員の首を切らないことを宣言した。
日本独特の戦前からの企業内組合もあって、
日本的風土のなかで、経営者たちは従業員を首にする、ということではなく、
また、賃金労働者も日本全体の貧しさの中で、よく耐え、
労働を分かち合った。



