時間がものすごい勢いで埋め合わされていって
とても余所のことなど考えていられない
いや、余所のことを考えたとしても
それは次々と時の隙間に閉じられていって
よそ者が増えるばかりだ
歩いてゐても
屈んでも
畑にゐても
野菜や、樹木に触れてゐても
それはすでに時の、時だ
眼の見へるが届く限り
耳の聞こへるか聞こへないかが、聞こへる限り
思考の光速の果てまで
私の時がゆき
まぎれもなくわたしの瞬間が
であるが
どこか見知らぬところへ流れ去って行って
時の半島よ.と
手で呼びもどさうとする
しかし、この交接の時でさへ
あなたの肩甲骨に不意と浮かび
肌ゑに滑り無数に起伏に添って流れゆくときも
わたしの脛にあらはれ、こすれ合ひ
くすくすと忍び笑ひに消へてゆくときも
或いはまったく交り合ふこともなく
それは真正に
あなたの時であって
ほかならぬわたしの時であった
すぐ傍らに仰向けになって蝉のこはれる音がする
蝶の翅音のアンデスを越へ
鳥には、鳥の時があり
花がゆっくり開いて行くやうに
時間にはそれぞれの夢のやうなずれがあり
しかし、みんなが一緒に
消へてゆくとしたら
たとへば、干からびたば様の隣りにも
手を伸ばせば届きさうな距離の間にも
余所は余所だ
見知らぬ時の流れが
まるでがうがうと渦を巻いて
滝のやうに流れてゆき
でもすべて
私が認識する限りはそれは私の時間なのだ
「新聞ですよ」と
時間が投げ込まれる
倉石智證