水を聞く。
蝶をかへす。
おまへはわたしの思惟のカタパルトから、
あのみどりの山へかへれ。
夏がまた来るかと思って待っていたのに
夏は黙って行ってしまった
微かに白いレースの衣擦れの音を残して
あんなにもまた夏がきっとやって来るだらうと思っていたのに
急に辺りはしんとしてしまった
しばらくの間、
何度となくおまへとお話をしていたものだ
でも、もう今年の夏はやって来ない
とうとう今はわたしはおまへを放してやらなければならないやうだ
最初、おまへがわたしのところに不意とやって来た時には
吃驚したよ
乾いた石の間をきれいな水が幾重にも流れ
私は石に腰をおろし、
清流のよどみの向かう
子供たちの夏の歓声を聞いてゐた
水につけた足の間を水流が自在に流れてゆく
ためらひ、と云ふものがないね
まるで、何度も何度も舞ひ降りて来て
たうたう、わたしの手の上に休んだ
私がわたしの手の甲を翳すと
わたしとおまへは真向かいになって
そして、それからおまへは優雅に翅を広げたり閉じたりしはじめた
宇宙、と云ふものを考えたことがあるかい
時間と云ふものをつかまへたことはあるかい
あそこではパラソルの下
妻が日影に目を閉じてゐる
はっきり云って、
おまへはわたしの中にゐるのだ
わけもなくわたしのカメラの中に棲んで
そして、いつもひっそりとわたしの上を飛び交ってゐる
なんと云ふことはないが
ほら、それは御まへさんかい
ついこの間天国に召されたから
ついつい世間が懐かしくなって
それで
わたしは河原で水流に足を浸し
確かに過ぎてゆく夏を見てゐた
御まへさんは何度も何度もなつかしさうに
そしてわけも分からない水音のやうに私に話しかけて来た
でも───
夏が来るかと思ったら
夏は黙って去って行ってしまったから
おまへをわたしの思惟のカタパルトから
あの空へ帰して上げなくてはいけない
カメラと云ふ狭い函から出ておいで
あの山の上へと
おまへこそが思惟の一片になって空へと還ってゆく
倉石智證
