真民さんがこんなところにお出でたものだから
真民さんにはほんたうにびっくりするなぁ
きっと、とぼとぼとどっかを歩いてゐても
きっと、どっかで出会うんだ
苗を植える方ではなく田圃を三角に歩いて見る
買い物をする風でもなく
街区を三角に歩いて見る
すると、きっと見つかるんだ
真民さんは決して嘘をつかない方だから
屋根から軒下にしずる雨粒みたいに
さざれ石をゆっくりと彫るんだ
正受庵に行ってどっかと坐った
何もないばかりだったけれど
白隠さんが今歩いて通って行ったばかりだった
風が吹く
墓石の肩に止まるのはやはり蝶々だ
しっかりしろよと云われる
ただそこにゐろ、と云はれる
千曲川がまたやけにゆっくりと流れてゆくなぁ
小布施を通って善光寺さんまで行くと
参道の脇に真民さんがお地蔵さんになって
ほんわか在って
ほんたうにびっくりした
倉石智證
白岩裕之氏のfbによると、
善光寺さんの参道の脇に“真民地蔵さん”があって、
「念ずれば花ひらく」と。
坂村真民(仏教詩人)1909~2006
1970年 「念ずれば花ひらく」第1号碑が、京都市鷹峯常照寺に建つ。
「念ずれば/花ひらく
/苦しいとき/母がいつも口にしていた
/このことばを/わたしもいつのころからか/となえるようになった
/そうして/そのたび
/わたしの花が
/ふしぎと/ひとつ/ひとつ/ひらいていった」
1974年 新田高等学校退職。
詩作に専念。
1980年 文部省中学校教育課『道徳指導要領三』に、
詩「二度とない人生だから」が採録され、多くの教科書に掲載されるようになる。
「二度とない人生だから
/一輪の花にも
/無限の愛を
/そそいでゆこう(後略)」
暮らしはまるで修行僧のようだった。
午前0時に起き、読経や座禅をし、
3時30分から「祈りの行」を行うため近くの重信川まで歩く。
家に帰って家族と共に朝食をとり、
昼間は読書などをして過ごし
就寝は午後4時半。
真民の詩に
「わたしがいちにちのうちで/いちばんすきなのは
/みめいこんとんの/ひとときである」
という一節がある。
妻によると、未明の時間は長年、真民にとっては詩人としての貴重な時間で
家族も顔を合わせないように配慮していたという。
2006年 12月11日、97歳で永眠。
1970でもうひとついいお話し───
「エノケンの楽屋明るく花になり慈悲賢僧のそのままになり」
(1970,1/7日、65歳)
逆縁もあり、脱疽で右足の大腿部を付け根から切断。
しかし、寂聴が楽屋を訪れると慈悲深く笑みを浮かべるようで、
その様子はまるで賢僧に逢っているかの如くであった。
「冥利につきますねぇ」
(「奇縁まんだら」11,5/8日経)
・・・・・・
その寂聴さんも最近とんと音沙汰がない。
心配だ。