フーコ、何処へ行く

そっちは厠だ

ベッドはこっちに在る

白いシーツの海に投げ出され今夜も

緑の枝がベッドに伸びゆく

そしておまへは、眠りの中で繰り返し言葉を紡がうとするが

緑の葉が夢に育つ


言説に依拠し輾転と、ゆへに

その楼閣はたよりなく虚しい

夢から覚めるたびに跡形もなく砂の

海に、波に、洗われて消えてゆく


あらゆるものは言説の体系として可能になる。

どうしても水の夢ばかりを見るのだ。


帆を立てろフーコ

幾千万の波頭の白く

その軽率な妄虚、船体を疾駆させる

しかし、実のところおまへは

母の羊水の中で眠りに就いたばかりで

身をちぢめ母の臍の緒の

どうしてもそのなつかしさから逃れられないのだ


行方も知らず未明に

ようやく小鳥の鳴き声で眼覚め

空の水平に水音を聞く

百合が咲いたよ、フーコ

白いユリだ

私たちは未だ夢の中にゐる


倉石智證

たとへば、便器のカーブは言葉の表象に他ならない。

我々を取り巻くあらゆるものは、

言説によって秩序づけられ、

かの古代においては肉体に依拠したものが(刑罰においてさへ)、

近代以降、精神へと移行して来た。

しかも、その精神ときたらあらゆる場合におても、

何らかの権力のまなざしにさらされ続けているとは。


1966『言葉と物』ミシェル・フーコ

この年サルトルはボーボワールと日本を訪れてゐる。

サルトルは「アンガージュマン」(参加せよ)と云ひ、

中国では文化革命がいよいよ猖獗をきはめ、

「造反有理」───

シンパシーを覚えるいわゆる教養主義者たちもいたが、

一方、知的に植えた若者たちには

レヴィ=ストロースの「構造主義」がもてはやされた。

しかしフーコは、構造主義の「無時間性」に反駁を加える。

(この場合「時間」とはマルクスの唯物史観のことか)


近代秩序にはあらゆるところで言説が跋扈する。

ベンサムが考案した「パノプティコン」(一望監視施設)と呼ばれる刑務所である。

さらに近代が生み出した軍隊、監獄、学校、工場、病院は、

規則を内面化した従順な身体を造り出す装置として

同一の原理に基づいていることを指摘した。


警察、戸籍、刑法の確立から文学表現の成立に至るまで、

あらゆるものは言説の体系として可能になる。

われわれが本質的、本能的に有する言説の秩序は

社会の中で時間とともに形成され、

その中には父や母を通じて「矯正」の意味合いがすでに隠されてゐる。

我々はそれを社会的に引き継ぎ、

われわれが言説的存在として、

世界を表象し続けてやまない。

あらゆる物事を意味の中で捉えようとするものだ。


現在も盛んに憲法解釈なるものが

侃侃諤諤と続けられている。