■1914村山槐多「尿する裸僧」(18歳で)

狂おしい恋と放浪に明け暮れる。


セブンチーン、と云へば

聞こへはいいが

私のガランス〈村山槐多〉

本郷のカフェで、足を踏み鳴らし

朝まで遊んでいたもんだ(関根正二)


女に接吻を求めたら、すぐに応じた

ロシアでは革命が熾き上がって

チタに向かって汽車が鋭い汽笛を悲鳴して疾走してゆく

翌年にはコメ騒動が鳴動した

あらぬ脳髄から脳漿を絞るやうに

おちんちんからはありたけの精液を搾り出して

ぶん撒いた



■1919関根正二「子供」関根20歳、没年の作。

遊び仲間の今東光は晩年の回想で、

「関根は思い切りの朱を使えて嬉しかっただろうな」と。


はらわたから浸み出るやうな

あれだけの朱の色を使へて

そのときほど昂揚する幸せを感じたことはない


むかし、そこに林があった

今はひっそりと静まりかえってゐるが

いまもそしてそこに変わらぬ林が在る

幸せと、云ふべきか

あの若者たちは死してなお横たわる

と云ふことがない

勃然と己の矜持のままに立って

いまも私たちを叱咤し続ける


倉石智證

世の中がひっくり返るやうなことが立て続けに起こって───

1911大逆事件で処刑

1914第1次大戦

1915対華21カ条要求

1917ロシア革命

1918コメ騒動とシベリア出兵

1923関東大震災



ロシア革命後、いわゆるシベリア出兵によって派遣された日本軍が

1918年9月にチタを占領。しかし、

1920年10月22日には再び赤軍が制圧し、極東共和国に組み込まれた。

幸せと云ふべきか。

若き革命家ムーヒンは手錠をかけられたまま逃走、

直後路上で射殺された(ブラゴベシチンスクで)。


夕暮れてゆく。

もう此岸だけでは間に合わない。

彼岸を目指すわたしのグァランス。

関根正二の朱色。


青木繁1882,7/13~1911,3/25

石川啄木1886,2/20~1912,4/13

宮沢賢治1896,8/27~1933,9/21

モジリアーニ1884,7/12~1920,1/24

エゴン・シーレ1890,6/12~1918,10/31

村山槐多1896,9/15~1919,2/20

関根正二1899,4/3~1919,6/16)たった20歳と2カ月で

三岸好太郎1903,4/18~1934,7/1

靉光1907,6/24~1946,1/19

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累々と横たわる己を恃む異端の天才たちの屍。