・・・は云ふまでもない
むかしパリで暮らしていたころ、と或る人は
地下鉄のアントワーヌ乃至ないしはアントワネット
彼乃至或いは彼女たちは
いきなり地下鉄に飛び込んできて
センターポールを手に一周する
道化師でもなくパントマイムでもなく
ただ片言の言葉で身振り手振りするのだ
決定的に飢えてゐるわけでもないが
まことしやかに電車賃がない
食べ物が買えない
本代がないなどと
まことしやかにひと通り述べて
それで帽子を回す
遠慮深くはないが狷介けんかいでもなく
しょっちゅうお腹をすかせていたが
誇りを捨てたわけではなく
眼は希望に飢えてキラキラしていた
一方、カワセミは川の上の枝に止まってゐる
そして、ダイブする
川の上のカワセミはいつも孤独で羽つくろひをし
キラキラ七色に光沢する羽根を後生大事に
しかし、他に目立たない
と云ふ選択肢もあっただらうに
川をさかのぼる鮠はやの
ときにオイカワの婚姻色に張り合うのだ
川の上のアントワーヌは何よりも目立ちがりやで
そのために水中への急降下といへども
容易に成功することはなく
ただ透明な泡を噛むときもある
だから、カワセミもアントワーヌもいつも腹をすかせてゐた
そのくせ身はきらきらと輝いて
眼はいつも何かを求めてゐる
あゝ、これらしかし青少年と云へども
いつかどこかでダイブしなければならない時が来て
それこそがパリの、
それから森のおんふぁんてりぶる
センターポールをぐるっと一周する間に奇跡が起こる
青年たちはいきなり地味な
ダルな大人たちに変身する
倉石智證