平和的な文明は、同じくらい好戦的である(ブローデル)。

文明の働きとは、光りを放ち支配することである。

キリスト教文明ももイスラム教文明も、世界を教育しやうとする。

いわゆる帝国主義のことである。

都市、港湾、技術、政治、経済の形をとって世界に浸出しはじめる。

世界を教えやうとするのだ。

そして、戦争は文明の最たる一形態になる。


文化は深く掘り(カルチャー)「述語的」母性的であり、

一方、文明は「主語的」であり、父性を思はせる。

1900,3月、山形有朋内閣は治安警察法を公布した。

1900,5月、軍部大臣現役武官制を確立。

これを1914,5月、山本権兵衛内閣は廃止したが、

1936,「2.26事件」のち内閣を首班した広田弘毅がこれを復活させた。

つまり戦争をやりやすくしたのだ。


1904明治天皇御歌

「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさはぐらむ」

1905,1/1ニコライ2世日記

「主よ、この1年を祝福し、平和でありますよう」

伊藤博文などの和平工作もむなしく、日露戦争は始まり、

すでにロシアの体制内に浸潤して来た厭戦、革命気分と相俟って、

つまり、この戦争は日本の勝利と云ふよりも、

ロシア体制内のおのずからの溶解に助けられた側面が大いにあると思われる。


05,1/1レーニン書簡

「専制政治は弱体化した。みんなが革命を信じ始めてゐる」

1月、旅順のロシア軍降伏。

1/21「血の日曜日」サンクトペテルブルクで。

3月、奉天会戦。

「まるでアリのように日本軍が這い上って来る。

ロシア兵に取り付いては転げ落ちていく」

パニック状態に。

略奪、祈り、怒鳴り声・・・。

旅順から奉天にかけて、中国人の難民が大量に発生した。

大将クロパトキン司令部の撤退。

4/21兵士シクーツの日記

膝を撃たれ気を失い、捕虜に。

「無気力・・・遠いロシアは混乱し、我々は忘れ去られた存在になった」

司令部と戦争を疑い始める。

革命機関誌には───

兵士からの匿名の手紙が続々と届くようになる。

公に皇帝批判が始まったのだ。


5/27日本海海戦

対馬海峡で、世紀の海戦は30分で大勢が決まる。

司令長官ロジェストベンスキー負傷、捕虜に。

ロシア側戦死=約5000人。捕虜=約6000人。

レーニンは『壊滅』と云う題で、

「日本海海戦の敗北は専制の完璧な敗北である」とプロパガンダ。

シベリア鉄道で続々と帰還兵たちが。

あらゆる駅で革命戦士たちがプロパガンダを。

帰還兵たちは武器を手渡したりする。

このシーンはあのバラライカの調べが流れる『ドクトル・ジバゴ』のシーンに重なる。

革命は兵士の靴の底から始まるのだと、主人公の一人はつぶやく。

兵士の靴底が破れ、ぬかるみに足が取られるやうになると───


6/3戦艦ポチョムキンで水兵たちの反乱。

夜の10時、賄いの肉にウジが湧いていると兵士たちがさわぎだす。

オデッサの市街で市民が蜂起した。

市民から革命機関誌に手紙が。

「革命」が起こってゐる───。

瞬く間に波及していった。

ニコライ2世『日記』

「神よ、このつらく恥ずべき一日が早く終わりますように」


6月、米セオドア・ルーズベルト大統領がロシアに降伏を勧告した。

ロシア軍の捕虜は7万人にも達し、

東郷平八郎は“東洋のネルソン”と称えられ、各地で銅像が建てられた。

軍人で神様になった最初の人である。

やがてこの神様になった人は、もはや批判することが出来なくなってしまう。


日清・日露の戦いは、

ペリー来航以来、不断にその地位と安全を脅かされ続けていた日本が、

苦心惨澹の末、その国家存立のぎりぎりの危機を最終的に乗り越えた戦いで、

ようやく西洋に伍して、自らの本質的独立を勝ち取ったとも云へる戦いではあったが、

ポーツマスに臨むまでもなく、実のところ、まこと薄氷の勝利であった。