泣けとのう

烏鳴く声に、ふと、目が覚める

川の流れや、行く方にのみ

音の聞こへる枕の下に

幼き日々はすぐにと過ぎて

柱時計のボンと鳴る


泣けとのう

竈に火の爆ぜる音が

お釜からは飯炊きの泡がハップハップと溢れ出る

兄さんはそんなことでは駄目だと云った

かあさんがゐないこの家では

くじけるまへに頑張らなくっちゃいけないと励ます

皸の切れたほっぺを火吹き竹に膨らませる


娑婆に出るときが嫁に出る時で

すぐに結婚部屋で子供が出来て

兄さんはあんな砂利道を自転車で

村を四つも越えて笛吹川を越えて

それでも、時々様子を見に来る

苦労してゐるんだな、小夜子は

赤子に乳を含ませながら

小夜子はいつのまにか座敷に眠る


兄さんは、死んだ

あれほど抱きついてハグして励ましたのに

そんな幸せな穏やかな時間はそんなには残されてなかった

欅並木を往ったホームに

孫子まごこはそれでも賑やかに訪れるが

掌は既にテンボウとなり頑なに

車椅子の上で、言葉が一言も出ないのはもどかしい


朝、いつものやうに食事を摂り、

歯を磨いてもらひ

さて、襁褓だよとちょいと外して戻って来たら

異変が起きて、脳幹に詰まった

せはしい呼気も声をかければふと止まり

わたしだよ、と声を励ませば

足を持ち上げて反応する

でも、そんなことも次第に間遠になって

急に───

やうやくに、本当に久しぶりに家に帰れることになった


「ふるさとの右左口郷うばぐちむら

骨壺の底にゆられてわがかえる村」(山崎方代)


冷たい長いシベリア抑留の時もさうだったが

「ダモイ」、故郷には飛んで帰りたい

あれほど帰りたかった家に

兄さんはやっとまた帰って来た

大勢のうから達に覗きこまれ、さすられて

やたら、冷たい

ほんたうに冷たい

でもかうしてあなたの額や頬に触ってゐると

悲しいことは、悲しいのだが

心底、うれしい笑ひに誘われもするのだ


釘打ちの音が重たく鈍色にびいろに響き

さあ、葬送の時が来た

泣けとのう、笑へとのう

われわれを乗せたバスは斎場を中道の方へ、

山道をなだらかに曲がりくねってゆく。

悲しみはアワダチソウに黄になりて

帯に広がる山の畑に


倉石智證

智笑句など───

軒に来る雀親子の鳴き声の厠にをちて秋ふかみけり

みそひと(31文字)を棺に入れむ柿熟るゝ

納まりて無聊慰む棺の中

やれやれと肩の荷をろし白ほほ笑む経帷子のやはらかきかな

人声の庭に聞こへる読経の声肩越しに棺横たわる

野の花もありてすがしき納棺の旅立ちの人花に埋もれて

お旅立ち花に埋もれてうれしきかなつかの間花の夢を見るかな

釘打ちの重たき響き秋の声

酒好きの人亡くなりて紅葉初む

喋り出すかもしれない、

起き出すかも知れないと云ふがここがいいと云ふ棺の内


ダモイ=家へ、故郷へ、故国へ、の意


山崎方代

大正三年、山梨県東八代郡右左口村(現、中道町右左口)の貧農に生まれる。 

昭和十六年、二十七歳で召集。

翌年(1942)、チモール島クーパンの戦闘で砲弾の破片を浴びて右眼失明、

左眼視力0・0一となる。

二十一(1946)年五月、病院船で帰還。

年末に退院。

「兵隊にとられ、戦争に引っぱっていかれた七年間のあいだ、

私は、心の底から笑ったことは、ただの一度もなかった。

……何のために、人殺しの訓練をして、人を殺さねばならんのか、まるっきりわからない。

まさに私にとって軍隊生活は地獄の苦しみだ」

(「あじさいの花」)

「砲弾の破片のうずくこめかみに土瓶の尻をのせて冷せり」


みんな、戦争の影を曳いてゐる。

小父さんも戦争経験者の最後の方の人だ。

90歳と6カ月。

お疲れさまでしたと云ふしかない。