苗場和田小屋に向かう林道の深い森に、春ゼミの鳴き声が満ちて・・・
春蝉のものの憂ひの
ゆくりなくとほくちかくに
潮騒のごと胸の騒ぎの
退いては満ちて
森の緑の羊歯の伸びゆき
岩間の苔の水したたり
声なつかしく、うれしくかなし
山間まの道の深山の奥の
谷に下りゆけば
森の緑の、道を背に幾重にも閉ざし
潮騒の中、声立ち止まる
ああここに今年もギフ蝶が舞ひゆき
眼をそばだてるまぼろしのごと
潮騒の声のひときわ高まり
谷川の瀬の音も
とほくひくくまぢかに
春ゼミの声の落ちきて
膝上に、両の手の平に
谷筋に分け入って膝で
ときに手の平に楤の芽をかけば
透明な樹液の激しく噴き出し
あけびの蔓の薄赤緑色に
木の枝に巻き付き這い上がりゆく
山藤は紫
眼に朧にほどけゆき
転ずれば深山躑躅の紅が点々と新緑に冴える
なにか愛かなしき
藤の朧に
なにか愛しき
アケビの蔓のはげしく萌ゑて
あゝ、ついにここにゐて径に迷へり
ひきりなしに、
膝に、手に、背中に落ち来る春ゼミの
時の思ひ出
刻の背にすこし切なく
ふりかへり、ふりかへりする声の潮騒
谷川に沿って林道を奥深く和田小屋に向かう。
道の両脇に斑雪が残り、蕗の薹もまだ淡く咲きだしてゐる。
ブナの大木がリフトの索道の脇に生え立ち、
気持ちのいい風が額の汗を忘れさせる。
和田小屋の下、山毛欅の林に
風渡る緑の風の
谷瀬から鶯鳴けば
山背からホトトギス鳴く
蒼の緑の山毛欅のうれしく
斑はだれ雪を投げて遊めり
空に、青く
空に、青く
遠山に残雪をのぞむ