「亭主の好きな赤烏帽子」

■アート08細江英公「人間ロダン」(2008年/2013年)


愛や子育てに追われてゐるうちに

麦の穂の熟れるころや

果物の熟する時や

木の実のはじけるときを忘れてしまふ


笑いさんざめくことは少しも悪いことではない

手紙を書くことも

長いTELすることも

おいしい午後を過ごして

夜にはしたたかに酔ふことも

あながち否定することなんどはできない


人間ロダンを探して緑風のなかを行く

鼻孔を一杯にふくらませて季節のにほひを嗅ぐ

おいちにおいちにと両手を精いっぱいに振って

クラヴィーアの平均率

次へとあと追いかけて

眠くなるほどの真実だ


スフレがうまく焼けたと妻は出掛けて行った

そこにはむろん考える人はいない

極上のコーヒーを淹れて

静かな語らいが流れる

モデラートカンタービレ

リビングに家具が飴いろになる

眼が見えないといふことは不思議なことではなく

触れれば世界がひらける

この感触は素晴らしい

スフレは甘くさくさくと口に溶け入る


僕たち、私たちは結婚します

と眼の不自由な若いカップルは進み出て

老人がまず祝福し

スフレも上手く出来たとほめそやす

愛や子育てに追われてゐるうちに色々と忘れることが多いが

緑陰の中を人間ロダンを探しに来たが

この緑風はすばらしい

立って、進みてで、祝福される


平均率は次へとあと追いかけて来て

スフレは甘く口に溶けて

考えるよりも味わうことと感じることの方が

けふは先になった


倉石智證