鳥が道へと降りて来た
シマフクロウがかへる
ネスト、空に架かる鳥の巣ばかりが気になる
色々な卵が巣に入ってゐる
むしろカラフルで、丁寧だ
親鳥はどこへと行ってしまったんだらう
不思議だ、それを訝しむ
蚯蚓を嘴に空へとまたたくまに舞い上がる
シマフクロウがかへると神の歌が聞こへる
カムイユカラの弓矢を番えて
広大な空から俯瞰する
むしろ貧者が富者になったり
富者が貧者になっていたりするのはよくあることだ
通り雨がゆく
ふもとの扇状地や、川の瀬にも虹がかがる
銀の雨ふるふるまはりに
金の雨ふるふるまはりに
ネスト、空に架かる虹のたもとに
気になる鳥の巣があって
シマフクロウが空いっぱいに翼羽を広げて
傾いで、放物線を描いて
親鳥が巣に帰るころ
虹色の卵は次々に雛鳥に孵り
「銀の滴降る降るまわりに
金の滴降る降るまわりに」
という歌を私は歌いながら
倉石智證
幸恵の祖母はユーカラクル(アイヌの口承の叙事詩“カムイユカラ”の謡い手)
そのやうにして炉端で、アイヌの価値観・道徳観・伝統文化等を子孫に継承していく。
幸恵が一番くつろげる時だ。
明治政府は1899,3/2「北海道旧土人保護法」を制定。
旧来からの漁労、狩猟などを禁止、農業への転換を図った。
創氏改名などや、入れ墨の禁止なども含まれる。
アイヌ人(明治政府による正式呼称:旧土人)
学校(明治政府による正式校名:旧土人学校)
1903知里幸恵は登別に生まれる。
学校で繰り返し教わることは、
いかに君たちは非文明的な遅れた人種であるか、
と云うことばかりだった。
蛇足ながら、国家の恣意性とはこのやうなものである。
国家は文明を曲解する。
正義を歪曲する。
“美しい国”“日本を取り戻す”「靖国」の根本にも、
国家を国権として国民を一つのベクトルの方向に無理やりに持って行こうとする、
あのころの明治政府と同じ強力な恣意性を感じるのだ。
安倍政権は日本国憲法を変えようとしている。
押しつけられた憲法が戦後の日本をダメにしたかのやうに嘯いて・・・
一方、文化とは物事を相対化する。
多様な時間を意識して生きよ。
文化人類学者、金田一さんが登場する。
この幸恵の家を言語学者の金田一京助が訪れたのは、
幸恵が15歳の時であった。
次第にアイヌに目覚め、誇りを取り戻してゆく。
(webより)
その後、幸恵は
アイヌ民族の文化・伝統・言語を多くの人たちに知ってもらいたいとの一心から
カムイユカラをアイヌ語から日本語に翻訳する作業を始めた。
やがて、カムイユカラを「文字」にして後世に残そうという金田一からの要請を受け、
東京の金田一宅に身を寄せて翻訳作業を続けた。
幸恵は重度の心臓病を患い、医者からも絶対安静を告げられていたが、
病気をおして翻訳・編集・推敲作業を続けた。
『アイヌ神謡集』は1922年(大正11年)9月18日に完成した。
しかしその日の夜、心臓発作のため死去。
享年19。
幸恵がその命と引き換えに完成させた『アイヌ神謡集』は
翌1923年(大正12年)8月10日に、
柳田國男の編集による『炉辺叢書』の一冊として、郷土研究社から出版された。
豊かな感受性が一瞬にして通り過ぎてゆく。
プラズマ、天才の光芒とはこのやうなものか。
■水素原子の放電である。
北の国では宮澤賢治が七転八倒している。
妹トシがこの年の11月に死ぬ。
「こよい異装のげん月のした
鶏の黒尾を頭巾にかざり
片刃の太刀をひらめかす
原体村の舞手おどりこたちよ
・・・楢とぶなとのうれいをあつめ
・・・こよい銀河と森とのまつり
・・・Ho!Ho!Ho!
むかし達谷たこくの悪路王
まっくらくらの二里の洞
わたるは夢と黒夜神
首はきざまれ漬けられ」
■ご存じ陸奥の英雄、阿弖流為。坂上田村麻呂とやりあったが・・・
■達谷(平泉町の山中にあり先住民が住んだ洞窟)
■黒夜神(夜を司る神)(宮沢賢治1922,8/31)
また、宮沢賢治「春と修羅」詩集では
制作日として「1922.4.8」という注記がある。

