花は花色
人は土色
死んでった、たくさんな人
空は空色、麦は青色
ひとは人色、みな、後を追えば
先がなくて、流れ、される
手をば出して、指を握る
ほどけゆく
人はみな、忘れない
顔と顔、あの顔も
笑い顔も、泣き顔も
人はみな、思い出す
思い出を
坂を登り、坂を下り
海に出る
古き校舎、海の近く
海の声の、騒ぎゆく
小さき子らの、歌い出す
歌の声の、高く低く
肩を抱き、いつまでも、いついつまでもと
笑い顔の、泣き顔の
白い波の濁った波
黒い水の校舎を超えて、街を超えて、村を超えて
襲い来る
ねーさんの、にーさんの、あれ、とーさん、かーさんの
家をこへ、家をつぶし
押し流し、ばあちゃんも手を振り、流れ
わたしをひとりぼっちにした、水の流れの
大きな。巨きな。
高い、高い上からのしかかる
水の無言の圧力の
重たい、寒い
痛い、さみしい、つらい
声が流れる、声が途切れる、もがれる、もがく、風のなかに、
津波の、海嘯の
あふれる
あなたである必要も、
私である必要もなかったのに、運命の
遠く遠く離れ離れに
今も探せないが
いつかって云ふから、けふ、出会ふ
明日がその日だから
晴れることを願って、明日、集まる
花は花色、人は土色
死んでった、たくさんな人に
空は空色、麦は青色
もうすぐ桜色になるから
校庭にランドセルを水で洗って
並べやう、忘れないために、
すぐ近くに
みんなの息を感じるから
はずむ、かわらぬ笑顔の
一人ぽっちのわたし
一人ぽっちのあなたにも、
すべてに芽生えの時季が来て
もうすぐ麦の青色も、桜の満開の色も
つよく、つよく
高く、遠く、何処までも行けるよと
まちがいはない
みんなの顔の
さう、わたしに伝えてくる
いくつもの主のゐない手紙の
倉石智證
午後2:46分、宮城県沖に巨大領域に入る(「東北地方太平洋地震」)
明治以降観測して以来国内最大の地震に。
M8.8(スマトラ沖がM9.0)、震度7。
東京でも震度5強。
交通網は電車がストップ、全線で運転を見合わせている。
駅は帰宅できない人たちで混雑している。
都営バスは全線で運転を復活。
本棚の本が大分落ちた。
すぐに津波警報が出され、後片付けをしていると
津波が宮城空港や海岸の村落に襲いかかっていく映像がTVに映し出された。
駐車場や道に駐車されたままの車がまるで紙屑かなにかのように
軽々と泥流に押し上げられ流されていく。
道路を走って逃げてゆく車。
呑み込む泥流。
畑のビニールハウスも、家々も簡単に呑み込まれてゆく。
千葉県市原市にあるコスモ石油のタンクが爆発炎上している。
ブタンガスの文字が確認できる。
ライターに使うガスである。
我々は云い続けていたのですけれど、最悪の状況になっていますね。
入って消化活動ができる状態ではありません。
東京タワーの先端のアンテナが右側に曲がってしまっていることが確認された。
「バンザイ ! 」大船渡
「なっちゃん、はい」。
岩手県大船渡市の元保育士、志田由紀さん(49)は仮設住宅で毎日、
ダウン症で全盲の重度障害を持つ長女、名津紀さん(27)に
約1時間かけ朝食を食べさせる。
介助を手伝ってくれた母は、名津紀さんら家族を守るため津波の犠牲になった。
震災の日、高台に向け自宅から車に乗ろうとする両親と妹、
名津紀さんのすぐ後ろに津波が迫った。
間に合わないと判断した母、勝部満代さん(当時74)は叫んだ。
「おらはいいから、後ろ向かねえで早く車走らせろ! 頑張って生きろ!」。
声に押され急発進した後ろから
「バンザイ!」と家族の脱出を喜ぶかのような叫び声。
直後に黒い水が一帯をのみ込んだ。
満代さんの遺体は1カ月半後に見付かった。
大震災の日は山元町内の自宅にいて、趣味の家庭菜園の世話をしていた。
花壇には好きな花がいっぱい咲いていて、穏やかな幸せな日だった。
それが午後2時46分を境に、天国から地獄に突き落とされた。
大きな地震の後、モクモクした黒いものが遠くに見えた。
外にいた中学生の孫が駆け込んできて叫ぶ。
「津波だ!」。
夫と3人で急いで2階に上がった瞬間に波が来た。
2階も浸水し、逃れ出たベランダの柵につかまったまま家ごと流された。
家は西に500メートル行って山にぶつかり、
600~700メートル北に、
さらに引き波で東の海の方に500メートルほど流された。
まるで「ノアの箱舟」のようだった。
流されながら、これまで語ってきた津波の話を思い出していた。
「3.11という民話」ノアの箱舟
庄司アイさん
1995年に宮城県山元町の保育所を定年退職後、
地元周辺に残る民話を聞き取り、人々に語り継ぐ活動を続けている。
98年には「やまもと民話の会」を結成した。
その庄司アイさんに───
「死の陰の谷を行くときも 私は災いを恐れない。
あなた(神)が私と共にいて下さる」
9・11の同時多発テロが発生したときだった。
米国大統領のブッシュ氏は、世界にむけた緊急演説のなかで、
旧約聖書のダビデ王の言葉にふれてこういった。
「死の陰の谷を行くときも 私は災いを恐れない。
あなた(神)が私と共にいて下さる」と。
それは、その後につづく対テロ戦争の開始を告げる宣言だった。
創世記の冒頭に出てくる「ノアの方舟」の物語であるが、
「ノアの方舟」とは…。
人間の悪行をこらしめるため、神が地上に大洪水をもたらす。
ただノアだけは無垢の人だったため、木の方舟をつくり、
妻や息子たちと生きのびることができた。
しかし地上に残された生き物はすべて息絶えて死んだ。
――ノア一族だけが神との契約のもと、神の許しをえて生き残ったという物語である。
救命ボートに乗って生き残った、
それが世界の始まりだった、という話である。
(山折哲雄12,3/11日経)
ノアの方舟=「救命ボート」
■:契約、許しを得て
→“選民思想”“適者生存”
→進化論・アングロサクソンの文明論の根幹に
「水」と「火」をめぐる古代的な物語、いわば文明の業が語られ始まる。
“ノアの方舟”JAL
東日本大震災の起きた11年3月11日も、急きょおにぎりをご用意した。
米シカゴから成田に着陸したJAL9便は駐機場に入りながらも、
度重なる余震でドアを開けることができない。
13時間強のフライトを終え予備の食べ物も残りわずか。
待機中の機内では誰が頼むわけでもなく、
客室乗務員が総出で米を炊いておにぎりをこしらえた。
具も、のりもない、形も不ぞろいで
乗客の皆さん全員には行き渡らなかったかもしれないが、
温かな心が通い合った瞬間だった。
(日本航空社長 植木義晴13,2/8日経)
西洋の物語には、
生き残る者と死にゆく者を選別しようとする思想が、見え隠れするが、
われわれの生きている世界はすでに燃えはじめている「火宅」にほかならない。
「事故調」最終報告書(12,7/6日経)より
3/11,夕方
混乱は事故直後に始まっていた。
11日夕、官邸が東電から電源喪失などの通報を受けた後、
原子力緊急事態宣言を出すまで2時間以上を費やした。
海江田万里経済産業相は首相に、宣言発出の了解を求めたが、
首相は
「本当に全部(電源が)落ちたのか」
「なぜこんなことになったのか」と繰り返し質問し、発出を認めなかった。
この間に炉心の損傷が始まり、電源喪失で多くの計器や通信機器が使えなくなった。
報告書は発出の遅れが
「避難指示などが遅れる原因の1つとなった」とみている。
3/11,午後7時過ぎ
吉田昌郎
「あれは生(なま)蒸気です!」。
午後7時すぎ、1もしくは2号機から連絡が入った。
作業員は原子炉の蒸気をタービン建屋に送る配管が壊れたと考え、
「この原発は終わった。東電は終わりだ」と思った。
中央制御室の外側で放射線が検出され、
東電社員らは
「まさか爆発しないよな」と口にし始めた。
「ベントしろ」
「注水しろ」。
東電本店からの指示に所長は
「何でもいいから液体を持ってきてくれ」と応じていた。
重要棟1階では手動ベントに向け、
東電社員や関連会社の人々がおよそ20人1隊で5列に並んだ。
防護服に身を包み、全員が震えていた。
「言葉にはできないほど怖がっていた」
免震重要では───
「防護服姿の作業員はみな、顔面蒼白だった」。
報告書は3月11日、
福島第1原発の対策本部にいた作業員1人の緊迫感に満ちた証言を紹介した。
証言によると、地震発生時、作業員は5、6号機近くの屋外にいた。
向かった免震重要棟には700人が避難していた。
「これとこれを教えろ!」。
マイクで吉田昌郎所長の怒号が響く。
夕方、
「原子炉の水位が把握できない」
「午後10時には燃料棒の露出が始まる」との報告が届いたが、
所長は「了解」としか答えなかった。
(日経12,2/28 )
3/12,午前3時過ぎ
ベント
海江田経産相、武黒一郎フェロー
3月12日午前3時すぎ。海江田経産相は東京電力との記者会見で
「ベントを実施する」と発表した。
ベントは格納容器内にたまった気体を外に排出し、容器の破損を回避する。
しかし、現場は全電源喪失で弁をなかなか開けられず、
ベントが実施されない状況が続く。
官邸にいた東電の武黒一郎フェローには現場の状況が伝わっていない。
ベントができない理由を問われても
「分からない」と答えるだけだった。
(12,5/29日経)
3/12,午前7時11ヘリ着
首相が官邸屋上からヘリコプターで出発したのは
3月12日午前6時14分。
「『邪魔になるのでは』という抽象的、感情的な政治的批判は免れない」
という枝野幸男官房長官の進言を振り切って実施された。
民間事故調の報告書によると、
ヘリの中で首相は班目春樹原子力安全委員長に
「俺の質問にだけ答えろ」と一方的に質問。
水素爆発の質問に班目委員長は
「爆発はしない」と答えたが、
午後には実際に水素爆発が起き信頼を失った。
7時11分にヘリが原発に到着。
免震重要棟の会議室で
「早くベントをしてほしい」と迫る首相に、
吉田昌郎・福島第1原発所長は
「決死隊をつくってでもやります」と答えた。
首相は
「この所長ならしっかりやってくれる」という印象を持ち、
8時に原発を離れた。
9時過ぎにベントの作業が始まり、約1時間後にようやく成功した。
3月12日午後3時36分。
党首会談を終えて執務室に戻った菅直人首相が目にしたのは、
1号機の建屋が吹き飛んで白煙が上がる映像。
当時は官邸で正確な状況を把握できず、
水素爆発という原因もなかなか分からなかった。
ただ関係者の間では、原子炉に水を入れて冷やす必要があることで一致していた。
“水素爆発”
東電、専門家、政府に対する不信
班目春樹
事故後の原発視察で首相から水素爆発の可能性を問われた班目委員長は
「ない」と答えた。
しかし帰京後に官邸で1号機の水素爆発の映像がテレビで流れる。
委員長は
「あー」とだけ言い、頭を抱えて前のめりになった。
ぼうぜん自失し
「(水素爆発とすぐにわかったが)誰にも言えなかった」。
■報告書によると、1号機の原子炉内の蒸気を放出するベント実施前に、
避難区域が3キロとされたことについて、
班目(まだらめ)春樹原子力安全委員長は
「(放射性物質を含む気体を直接放出する)ドライベントは失念していた。
「海水注入の方針」
国会原発事故調聴取に対して(12,5/29)
菅直人、武黒、吉田昌郎
「(海水が)既に入っているなら当然入れ続ければいいと思っていた。
それを(東電の)
武黒フェローが判断して
吉田所長に止めろと言った。
東電関係者の発言を官邸の意向と表現されるのは間違っている。
海水を入れることがいかに重要であるか、
そのことが再臨界とは関係ないことはプロであればよく分かっているはずだ」(菅直人)。
3/12,午後6時
海江田経産相、菅直人、斑目委員長
午後6時に海江田経産相が首相に対し、
原子炉に海水を注入する方針を説明。
首相は真水を海水に代えることで再臨界が起きる可能性について質問し、
班目委員長が「再臨界の可能性はゼロではない」と答えた。
その場では海水注入は決まらなかった。
民間事故調の報告書では、
この応答に驚いた政府・東電の関係者が別室で協議。
次の会議では説明者を班目委員長から交代させることを決め、
首相に疑念を抱かせないように発言内容を入念にリハーサルしたとされる。
3/12夜
(官邸、吉田昌郎、武黒一郎)
吉田氏は事故調の聴取に「指揮命令系統がムチャクチャなんですよ。
官邸から電話がかかってきて、十分な議論ができなかった。
電話で『四の五の言わずに止めろ』ですから」と振り返った。
報告書は事故発生後の首相官邸や東電の混乱ぶりを浮かび上がらせた。
「おまえ、海水注入は」
「やってますよ」
「おいおい、やってんのか。止めろ」
「何でですか」
「おまえ、うるせえ。官邸がもう、グジグジ言ってんだよ」
3月12日夜、福島第1原発で陣頭指揮をとっていた吉田昌郎所長の電話が鳴った。
相手は首相官邸に詰めていた武黒一郎東電フェローだった。
淡水がなくなり、注入できなくなったため、炉心溶融の危機が迫っていた。
吉田氏は1号機への海水注入に踏み切ったが、
再臨界の可能性を懸念した菅直人首相に官邸で問い詰められた武黒氏は、
現場に中断を指示。
耳を疑った吉田氏は受け入れたふりをして、
独自の判断で注入を続けた。
一方、現場ではすでに
午後7時4分から海水注入が始まっていた。
それを知った武黒フェローは吉田所長に
「首相の了解がまだとれていない」と中止を要請。
政府の事故調によると、吉田所長は担当者に小声で
「これから海水注入中断を指示するが、絶対に注水を止めるな」と伝えたうえで、
部屋全体に響き渡る声で中断を宣言した。
3/14
「吉田所長とは3月14日に2回、会話した。
1度目は『非常に厳しい』。
2度目は『注水できた。まだやれる』という話だった」
「(東電本社で大声を上げたことは)叱責というつもりは全くない。
命をかけて頑張ってもらいたいと強く言った。
私の夫婦げんかよりは小さな声だ」(菅直人)
3/15、午前3時ころ
(海江田万里、菅直人、清水正孝社長)
「15日午前3時ごろ、首相秘書官から
『海江田経産相が相談したいことがあると言っている』と報告を受けた。
経産相に『東電から撤退したいという話が来ている。どうしようか』と相談された」
「撤退と聞いて、とんでもないと感じた。
清水正孝社長に
『撤退はありませんよ』と伝えたら『はい、分かりました』と言うので、ほっとした。
意思決定を統一しなければ大変なことになると感じ
政府・東電統合対策本部の設置を提案した」(菅直人)
3/15、午後5時半過ぎ
「撤退」
“やぶの中”
事故処理に何人残すといった言葉はない。
官邸側は「全面撤退」と受け止め激しく反応した。
菅直人首相(同)は、15日午前5時半過ぎ、東電本店に乗り込んだ。
幹部の前で
「日本がつぶれるかもしれない時に撤退はあり得ない。
会長、社長は覚悟してくれ。
60歳以上が行けばよい。自分はその覚悟でやる」と“叱責”したという。
■非常時の危機管理は多くの場合、
国家的規模の惨事と事故処理者の人命とのトレードオフに帰着する。(大機小機)
(大和ハウス工業、住友林業、積水ハウス、三井ホーム)
陸前高田で仮設住宅を
阪神大震災の経験を生かし、全社の組織が即座に動き始めた。
震災当日の午後3時には災害対策本部を設置し、
同6時には第1回会議を開いて社員の安否確認と現状把握を進め、今後の対策も練った。
翌12日には施工業者や設備業者で構成する
「協力会連合会」の会長が四国から本社に駆けつけ、
「われわれにできることはありませんか」と申し出てくださった。
その結果、物流網が寸断するなか、
3月19日に岩手県陸前高田市の市立第一中学校校庭で最初の仮設住宅36戸を着工できた。
被災地には仮設住宅を建設しなければならない。
私は住宅関連の業界団体でつくる住宅生産団体連合会の会長として、
3月14日、副会長を務める
住友林業の矢野龍会長、
積水ハウスの和田勇会長、
三井ホームの小川修武会長(当時)たちとともに大畠章宏国土交通相に時間をもらった。
大畠国交相は開口一番
「2カ月で3万戸を建ててほしい」と切り出した。
大混乱のなか、必要戸数は膨らみ、
誰も正確な数を読み切れぬまま見切り発車で6万2000戸分の資材を手当てした。
(樋口武男・大和ハウス工業会長12,3/28「私の履歴書」)
この世界は真に偶然であるのか。
そこになぜ私たちは生きるのか。
自分で選んだのでは決してないのに、世界は真に偶然であるのに、
ではなぜ私はここにゐるのか。
「最適」とは何か、可能な中で最善の世界とは何であるか。
(竹中平蔵12,1/23日経)
死者行方不明者が2万人と云うのは痛恨の極みですが、
地震から3分後にすべての市町村に津波警報が出され多くの命が救われたことも事実です。
新幹線が04年の中越地震の教訓を生かし、
地震到達60秒前に自動制御でブレーキがかかり脱線事故は起こりませんでした。
仙台のと都市ガスはマイコンメーターが点いていたおかげで、
家庭の台所からの出火はほとんど起きていません。
“マネー”
白川芳明日銀総裁
翌日朝一番から3100億円の現金を東北に送った。
みなさん手もとの現金が必要になりますから。
被災地金融機関へは1兆円、市場へは120兆円の供給を半月で。
(財務省・日銀「円為替介入」)
2011年3月の東日本大震災直後に円相場が急騰した際、
主要7カ国(G7)は協調して円売り・ドル買いの「為替介入」を行いました。
円が過去最高値を付けた同年10月末には日本が単独で介入しています。
為替介入とは自国通貨の相場安定のために、
通貨当局が外国為替市場で直接通貨を売買することです。
■(1997アジアショック)
→2000年代に新興国の外貨準備が急増したのは、
通貨を高くしないように為替介入を行ったことが一因です。
(学習院大学教授 清水順子13,3/1日経)
(倉石4/3~4/5三陸を)
陸前高田市の市立第一中学校校庭に私たちはいる
また雪がちらついて来た。
寒さが心底足元から立ちあがって来る。
長靴を履いた祐樹さんは両の拳を強く握りしめている。
アルビノーニのアダージョ、三陸に悲しみの縁をめぐる。
ダイバーは5分と潜っていられなかった。
水面から顔を出すと息を詰まらせて
「とても、ダメだ。水死体がそこいら中水面下に200も300体も沈まっている感じだ」
■味噌と少しの野菜食べ───宮沢賢治である。
おお、それではない、もっと別なものを。
■「白河以北一山百文」・・・
「東北は単独ですでに偉大なのである」(司馬遼太郎)。
『古今和歌集』以来の陸奥へのあこがれ、辺境へのロマンとは別に。
松本隆
歌詞が完成した4日後に東日本大震災が起きた。
「幸魂奇魂」とは国土に幸せをもたらす魂のこと。
三輪山を仰ぎ見る大神おおみわ神社には、
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が祀られている。
「幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまひ さきはえたまえ)」
この詞は大国主大神(おおくにぬしのみかみ)が伝えられた言葉とされ、
神の二つの姿。
荒々しい魂である荒魂(あらみたま)と、
恵みをもたらす和魂(にぎみたま)。
和魂がさらに幸魂(さきみたま)と奇魂(くしみたま)に分けられている。
幸魂は人に幸を与え、収穫をもたらし、
奇魂は奇跡によって幸を与えるとされている。
「幸魂奇魂守給幸給 ちりぢりの魂を光の糸でつなぎ結んで……
花が咲き、草萌(も)ゆるこの国を風の櫛(くし)で梳(と)かして」
(12,6/20日経)