■1997ウォルター・ジュール「空虚の測定」
極点に立つといふ
地衣に溶け込むといふ
道教者、タオではなく
彼は何者だ
重力に逆らふ
従順なる者達よ
われわれはすべて重力に従ふといふのに
一人敢然として極北に向かう
空虚、を測定すると云ふのだ
我々はすぐに紙の白さに惑う
何もないといふ空虚に胸騒ぎする
手を間遠に延ばすが
ぎりぎりで
多分その背後にある膨大な空虚には届かない
その空虚に手を浸すことはないのだ
永遠に
死以外では
手(道具)と言葉が落ちてゆく
2001宇宙の旅では
これほど時間といふモノが心細く思へたことはない
彼はとつじょとして怒り、
BONE、骨が虚空を舞い上がる
助けを求めるのものではなく空虚
何も生み出さず
少しの記憶も、したがって時間もなく
したがって、同時にありふれた配慮や後悔もない
誇り高き王オーラヴは
戦いの朝、
詩人トルモドを呼び
「われらに歌を聞かせよ」
といった。
詩人は朗々と歌い、
臣下らはそれを聞いて王とともに勝算のない戦いに挑み、
その日オーラヴ王は戦場に倒れた。
「偶然とは何か」
量子力学によって真の偶然が達成されたとして、
その手なずけられた偶然に私たちは向き合えるのか。
世界に意味があるとは何か、
真に不条理な数列はあり得るか。
(「偶然とは何か」イーヴァル・エクランド著)
「偶然以外とは何か」
世界に偶然以外はあり得るのか。
そこに生まれおちること、
酷寒の地、或いは熱砂の砂漠に
そこに死ぬこと、
戦い合うこと以外に、
愛し合い、生きること。
自分で選んだのでは決してないのに、
世界は真に偶然であるかも知れないのに、
ではなぜ私はここにゐるのか。
著者イーヴァル・エクランドは現代数学の見地から
人間の経済活動と共通善を語り、
「わたしたちの旅は神が退いた世界で終わる。
人類は自分で選んだのではないこの世界にひとりで取り残された」
と宣言する。
神の退いた世界
残されたのは物語である。
そもそもが憂いと悲しみに満ちて
一介の大工ヨセフは自分の子でもないイエスを受け入れた
愛をとことん突き詰めてゆくと藁の馬小屋に着いて
信仰なのか、
「金利」消滅という戦慄すべき事実にたどり着いた
それなのに、再び世界は砂まじりの暴風雨のなかに在り
狂せるニーチェは馬の首を掻き抱いて泣いた
神は、死んだのか
「最適」とは何か、
可能な中で最善の世界とは何であるか。
部分的エゴと全体最適はあり得るのか
周にあまりにも豊かな精神世界が広がっていると、
外の世界をもはや羨んだりしない。
架空の物語も、
創造神話も必要がなくなる
目の前に在るもの以外、
そして、
ついに信仰を失ふ
挨拶もなく、お前もわたしもないのだから
はなから神めいたものはなく
ウォルター・ジュールはそこが自分の「庭」だと示した
湖にビーバーが巣を作る、
天地水面の境目がない風景が広がる
その片隅に広さ3畳ほどの小屋がある。
ただ静座し、沈黙と向き合う。
北方圏、マイナス20℃以下にも凍てつく
部分的エゴと、全体最適と
世界はまだ砂交じりの暴風雨のなかに在る
涙まじりのニーチェの馬を
世界はまだ未完成だ
倉石智證
■東日本大震災が死者行方不明者で約2万人。
すでに7万人と云う数字のすさまじさが実感される。

