■1945~46フランシス・ベーコン「人物像習作Ⅱ」
破壊された人体・・・
フランシスなんて聖なる名前をもらって
ベーコンといふ肉なる名前をぶら下げる
肉塊───
それはいまさらながら困難だ
人間の体に巣食うものがあるのだ
巣食う
蜘蛛の巣のやうに
脇の下とか
見えない背中にとか
われわれは子どもで
彼らは、手を取られ、導かれることを好み
全身全霊でそこに足を踏み入れてゆく
照準を定め
眼隠しがとられると
血を流して体をよじって倒れるものが在った
ダイヤはわたしの部屋に来て
忍び入ってわたしの皿や絵を盗もうとした
それは彼の一つの悪癖で
折檻してあげなければならない
ダイヤをドアの前に立たせ
はげしくその存在を罵る
例えばバラの花を持たせ
それで何度も何度も打ち据え続ける
(以下高橋秀元ブログ)
エルサレムの丘で盗人の一人ゲスタスはイエスをなじって、
「あなたがメシアなら、自分とわれわれを救え」 といった
それはバラバなのかは分からないが
すると、もう一人の盗人ディスマスは押し止めて、
「われわれは行ったことの報いを受けたのだから当然だ。
だがこの人は何の盗みもしなかった」といって、
「イエス、貴方が王位を受けて帰られるとき、私を思い出してください」
と頼んだ。
そこで、イエスは
「あなたは今日わたしとともに楽園にいる」
という言葉でディスマスに報いたという。
肉欲というものが在る
それはあるものを盗む、といふことで
いまさらながら困難なことである
両手両足を縛られて
せっかくドアの前まで行ったのに
ドアの前で力尽き
ようやくにたどりつけないダイヤのやうに
泥棒といふ古代からあって
盗賊は修道士になって
穏やかな日だから光と光が
ビルとビルの間に宙ぶらりんになって
倉石智證
ダイヤはベーコンの愛人で、ベーコンはダイヤの肉を盗むが、
ときに冷淡に見向きもしない時もある。
ダイヤは何度も自殺未遂をするが、
ついに3度目に天国に召されたようだ。
「泥棒日記」はジャン・ジュネの傑作で、
サルトルによって見出され、称賛された。
転倒、あらゆる無価値の追及。
歴史や、生や、個人などは
簡単に国家というものによっても、抹消(盗まれる)される。
国家は個人を略奪するのだ。
1957中国、毛沢東「五七体制」───
政治は苛酷である。
中国共産党による「反右派闘争」。
2011,12,2ワン・ビン監督「無言歌」
1956年に毛沢東は「百花斉放・百家争鳴」という
共産党指導部の批判を許容する運動を始めたが、
その後、方針を百八十度転換し、批判した人々を厳しく粛清。
右派分子と見なされた人々は労働改造という名の下に収容所に送られ、
多くの人々が命を失った。
そんな収容所を舞台に、本作は歴史の忌まわしい記憶をリアルに描いている。
60年、中国西部に位置する甘粛省のゴビ砂漠にある収容所。
囚人たちの生活は、昼間は不毛な荒地を開墾する炎天下の労働に従事し、
夜は砂山の下に掘られた穴倉で眠る。
食糧不足から配給の食事はお粗末であり、飢餓寸前の状態である。
しかも冬期になると厳しい寒さに耐えなければならず
、亡くなる人が絶えない。
