来ては去る

顔皺くちゃになる

来ては去る

泣く、涙泣く

ただ一人

雪の障子の雪明かり

心細げに土間は冷へ


猿、簑笠の雨に濡れ

雪みぞれふる

雪しずり

みな来ては去る

雪しずり

春待つ顔に雪しずり


雨だれの

雪の根方に斑はだれゆき

猿わたりゆく

婆ひとり

みな来ては去る

婆ひとり

手に大根の、あまりゆく

顔皺くちゃになる

待つをのみ

雪解け春を、待つをのみ


繫縷はこべ、繫縷

唐土とうどの鳥は・・・


倉石智證

「猿簑」ばせう

初しぐれ猿も小蓑をほしげ也

(webより)

1680年(36歳)、江戸の俳壇には金や名声への欲望が満ちており、

宗匠たちは弟子の数を競い合うことに終始していた。

この状況に失望した芭蕉は、江戸の街中を去って

隅田川東岸の深川に草庵を結び隠棲する。

宗匠間の価値観では、日本橋から去ることは「敗北」と見なされたが、

芭蕉の弟子達は深川への移転を大いに歓迎し、彼らは一丸となって師の生活を支援した。

草庵の庭にバショウを一株植えたところ、見事な葉がつき評判になったので、

弟子達は「芭蕉庵」と呼び始め、彼自身も以降の号を“芭蕉(はせを)”とした。

※この頃から禅を学ぶ。

芭蕉の俳句はいよいよ写生句として侘び、寂び、枯れ、の核心へと入ってゆく。


昔、豪雪地帯越後の辺りでは

薄筵の一端を寄せ束ねたのを笠にも簑にも代えて、

頭上から三角なりに被ぶり、

今しも天を仰いで三四歩ゆるりと歩き出す。