ほとほとまゐる
ゆらゆらゆれて
途方にくれる
髪梳く間にも
時は流れて
乳房を抱いて
子らも胸に
ふらここゆれて
天上を見る
雲の茜の
塔の高みの
雲の片ひら
古代の鏡
銅、錆びて
神かむさびて
鏡をかへす
鏡の中に、雲は流れて
踏む甃いしのうへ
郎女いらつめの
裳裾流れて
つくづくと
つくづくと、過ぐ
髪の広ごり
雲の流れの
倉石智證
(銅鏡「盤竜鏡」13,1/16日経)
新潟県胎内市にある日本海側最北の前期古墳「城の山古墳」(4世紀前半)で
昨年見つかった副葬品の銅鏡が、
1~3世紀に中国で作られたとみられる「盤竜鏡」
=写真は胎内市教育委員会提供=と分かり、
同市教育委員会が(2013,1,15日)発表した。
同古墳は、大和政権の日本海側での影響範囲の北限とされる。
盤竜鏡は近畿以西を中心に出土しており、
国立歴史民俗博物館(千葉県)の上野祥史准教授(東アジア考古学)は
「中国から直接新潟に入ったのではなく、大和政権から渡ったと考えられる」としている。
盤竜鏡は直径約10センチで、表面には竜の文様などがあった。
中心の鈕(ちゅう)にひもを通したような跡があり、中国での使用方法と共通する。
布でくるまれていた可能性もあるという。
私の推測ではおよそ崇神天皇のころではないかと考えてゐる。
糸魚川からさらに越しの国に、
“妻問い”が行われるのだ。
百済が、朝鮮半島中部まで国土拡大(396)。
倭が、新羅を救援する。百済は、倭と和通する(399、400)。
倭寇、潰敗、斬殺するもの無数なり(404)。
391年の神功じんぐう皇后は、
広開土王碑の「倭が渡り来て、百済と新羅を臣民とする。」による。
神功皇后の“三韓征伐”がおよそ400年ころとして、
崇神天皇からその間に、ヤマトタケルが関東から東北の方をうかがっていたとみえる。
崇神天皇(およそ300年ころからとして)神功皇后(およそ400年ころとして)
約100年間の間の出来事である。


