12,12/24


愛は痛いか

舞台の真ん中に立って祈っても

何にも始まらない

オンディーヌと呼びかけるが

白い衣装に光が空しく滑り落ちるばかりだ


両手を前に結ぶ

そしてただひたすら待つ

航海を止めた破船が港に舫う

灯かりがひとつ点けば

あゝ、まだ誰か元気だったんだなと気がつく


行けよ、

行けよ、

古い雁皮紙を持って

鵞鳥の翅を持って

波間に漂ふ

今は疲れた愛の賛歌

それらを古びた羊皮紙にも書き写さう


ただ泣くばかり

舞台に辛うじて立ってはゐるが

その塑像のもはやもぬけの殻の

そして少しばかりの泪の痕が、頬に残る

ぐわらん洞の後悔が

身ぬちに湧き起こり

祈れ、祈るが

今では何もかもが手遅れで

それは舞台の袖にゐる私にもすぐに分かるのだった


倉石智證

ある詩人、吉原幸子の場合───

(12,12/23日経より)


「あんなにきりきりと痛んだ私たちの生いのち

ほら、やっと静かにまたたいているよ

あそこに

ハツカネズミのとなりに」

(吉原幸子1932~2002「発光」より)

文学は個人の傷と社会のありようを結びつける回路を失って久しい。

人間の孤独を出発点に、繊細きわまりない生命の歌を生んだ吉原幸子。

そのしなやかな感性の来歴をそっとたずねてみたい。


「裏切りを下さい

もっともっと

傷を下さい

鞭を下さい(中略)

愛が微笑であるはずがない

苦しくない愛などある筈がない」

■詩人の軌跡。その転機は母の死。

「人さまのためになることをおやり」

明治生まれの母の口癖。

亡き母に捧げる詩集「花のもとにて 春」(83春出版)。

実存主義的舞台のヒロインだった吉原の初期の詩作品はどこか痛々しい自己劇化を含んだ。

40代後半の以降の作品は、

地球の広大な空間に漂う生き物のかけがえのない営みを歌う詩が多く、

柔らかで大きな叙情に包まれている。