秋麗らかな日和でございました
ひとりのば様がいざりのやうに畑にうずくまっています
草引き女
日よけの手拭をま深く被り
ば様の影が小さく黒くじりじりと少しづつ進み
おばあちゃん、せいが出ますね
ば様はゆっくりと顔を上げ
おばあちゃん、いつもすみませんね。
草の種がそちらの畑に飛んでいって
畑の境にはねこじゃらしが真っ黄色になって呆けてゐる
種をすっかり放出したあとなんだ
草のことは云はんでいい
お互い様だ
あんたらえらいね、東京からかへ
毎月じゃなくてもええ
半年にいっぺんでも、その気持ちが大事だ
うちなんか子供らは好き勝手ねやってる
この畑だっていつまでもつものやら
ダイナモの音が高くなる
激しく回転する羽根車
刃物の光りが土を抉り
草を蹴散らしてゆく
根をちぎられ黒い土の中に埋め込まれる雑草たち
あゝ、ちょっと油断していると畑じゅうが青々として来る
それにしてもけふはずいぶん蛙たちがゐるもんじゃないか
朝の露を吸って雑草はいよいよ青く元気に生きかへって
そんな草叢の間からぴョンぴょんと蛙たちが大忙しで飛び出してくる
あゝ、そっちへ行ってはいけない
そっちは私のゆく方向だ
ダイナモの響き
回転羽根車の音
刃物の眩しさ
妻は急いでゆく手の何匹かを手に拾い上げ
遠くの畑に放り投げた
畑の方形を端から端へと巡ると
第百階級
蛙の白い腹が黒土に見え
無残やな、手足がちぎれ
あれほど云ったのにと心でつぶやくが
普段はすぐに鳥たちが飛んでくるのに
けふは来ない
「わたしたちはずっと昔からの兄弟なんだから
決して一人を祈ってはならない」
眼の奥がかゆくなるほどにアワダチソウが黄色に泡立ち
ついこの間まで勢いづいてゐた葛は末うれに枯れかかり
代わってセイタカアワダチソウの季節になった
あそこはそのまへには葭が茂り
ヨシキリたちがうるさいほどに鳴き交はし
ヨシキリたちのけっこうな隠れ家だった
それより何代か前は確かに田圃だったんだ
アワダチソウが風になびき
黄色い色彩の帯が住宅地に迫る
あれもあんなに盛んなんだけれど
あんまり行き過ぎると自傷するんだってね
おゝ、おゝ、さうかへ
また賢治さんの声がする
「もしたくさんのいのち為に、どうしても一つの命が入用なときは、
仕方ないから泣きながらでも食べていゝ、
そのかはりもしその一人が自分になった場合でも
敢て避けたりなんかしてはいけないよ」
部分的エゴが全体最適に行き着くか
春先からこの方
雑草とは追いつ追はれつ
息せき切って汗みどろになって
それこそくんずほぐれつして来たもんだが
雑草の下の蚯蚓が鳴く
すっかり冬籠りの安堵に浸っていたものを
あれら、第百階級のものらよ
地を叩き呼び起されたばかりに
無残に白い腹を畑地のうへに曝す
かーん、と
木が伐り倒される音がする
葡萄の大樹が四、五本も切り倒されたものか
麗らかな秋の日和でございます
あの畑のほらあそこを越へた向うに
未だ、透明な秋の空気に樹の精霊たちが漂ってゐるやうな気がします
どうやら新しい家が立てられるみたいだね
ブロックが数段に積まれ
人気ない建機が所在無げに立ってゐる
かうやって、ひとつひとつが油断なく手渡され
セイタカアワダチソウが黄色い帯をあちこちに泡立て
気が付くとば様はもう畑にはいない
私は除草機のエンジンを切り
畑の真中に立つ
倉石智證
草野心平は蛙の詩人だ。
「るてえる びる もれとりり がいく。
ぐうであとびん むはありんく るてえる。」
「なみかんた。りんり。なみかんたい。りんり。
もらうふ ける げんけ しらすてえる。
けるば うりりる うりりる びる るてえる」
(ごびらっふの独白)
「幸福といふものはたわいなくつていいものだ。
おれはいま土のなかの靄(もや)のやうな幸福に包まれてゐる。」
「みんな孤独で。みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し。
うつらうつらの日をすごすことは幸福である」
(日本語訳)
ごびらっふは殿様蛙(かえる)で、ケルルリ部落の長老。
その蛙の独白を書き取って日本語訳を付けるという変わった詩を書いたのは、
蛙の言葉の翻訳者である自負と幸福をもちつづけた草野心平。
福島阿武隈山脈の南端の小村に生まれ育った詩人だ。
(長田弘・詩人11,9/11日経)
(秋の夜の会話)
さむいね
ああさむいね
虫がないてるね
ああ虫がないてるね
もうすぐ土の中だね
土の中はいやだね
痩せたね
君もずゐぶん痩せたね
どこがこんなに切ないんだらうね
腹だらうかね
腹とつたら死ぬだらうね
死にたくはないね
さむいね
ああ虫がないてるね
