富士に向かひ積乱雲が幾重にも立ち

ぴくりとも動かない

甲府盆地が汗ばんでくる

櫛形山には少しずつ雲がわき

雲は少しずつ動いているやうだ

甲府盆地が汗ばんで


動かない風景に、それでも微かに動くものがある

風のかよい路

ふだうの棚のずっと向かうの方で

空に延びた一叢の蔓が揺れる

どうかするとそれらが誘い合ひ

緑のぶだうの棚の風の波が

微かに揺れながら私のほうにやってくる

風は飛び飛びにやって来て

不意に庭先の式部の枝叢を揺らし騒がせるのだ


座敷から見える矩形の風景に

起こり得ることのあらゆることが起こり

さうやって間違いなく繰り返されてきた

軒の庇と土蔵の壁の縁とに縁取られ

子供部屋の突端

矩形の景色に今は葡萄の棚が青々と重畳として広がり

時に、風の通い路

雲は富士に動かないが

甲府盆地に釜無川や笛吹川が白く長々と蛇行し

空の中層に光と熱が嵩をつくりそれが、

あゝ、けふもまたかと人々を辟易させもするが

だが、それとは別に地表には微かに風の通い路があり

そこかしこに、もう

ちいさなつむじが起こり

櫛形山には眼に見えないが雲がわき

いくつも集まって雲が山にかぶさる


この矩形にすべてを押し込まなければならない

とは父が云ったことだ

また、おそらくはその祖父が云ったことだらう

余所では稲の苗がようやく膝を超えるほどに育ち

葛の蔓葉が余力を路にまで伸ばす

ヘクソ蔓が墓石にのぞき

鎮守の寺の甍は冗長になだれ

あゝ、そんなこともあって

祖父や父らはこの座敷から見える葡萄の青々とした棚に

いろいろな期待を込めた

この土蔵とこども部屋が両脇に挟んで

母屋の庇が矩形をかもし出す

掘り抜きの井戸が目の前にあり

その前方に広がる重条とした葡萄畑の

そこにすべてが在って

祖父や父らはそこから、まるで

王様の如くに様々に指図をした


櫛形山に次へと雲が涌くが

富士山に向かって甲府盆地の上には

真っ白な積乱雲が幾重にも連なり

それらはピクリとも動かず

甲府盆地は午前10時にはすでに

暑さのピークに向かって全速力をかけ増す

風は動かず

祖父は歯軋りをする

しかし、

それは祖父だけがかんじることができなかっただけで

地表では風の通い路がめまぐるしく交錯し

人々の思惑とは別に

人々をいくらかは幸福にした


掘りぬき井戸に水を汲む

どんな器に容れても

今は霜に冷へ、器の表皮は汗をかく

いい按配に、また風が出てきた

気がつけば、王様なる祖父は、

またデッキチェアにすやと眠っている。


倉石智證