経済はつまるところ「欲して、得る」。
微生物から食物連鎖の頂上にゐる人間まで、
その経済の命題におけるものは変わらない。
集団社会である人間に関して経済を考える上で、
「雇用,利子および貨幣の一般理論 」(ケインズ1933)は便利だ。
ケインズは経済は所与の要件において
不安定で失業と経済の循環は必然の事実であるとした(不均衡状態が一般的な状態)。
ところでわれわれは植物など光合成によって自らエネルギーを獲得し、
栄養を取り入れ成長する独立系経済ではなく、
まったくそれらに依存する従属経済系である。
基本的には飢餓と危険に常にさらされているわけだ。
そこにさらに人間には所与の要件として集団的存在、という掣肘が加わる。
これらの条件の中で間断なく仕合せに暮らすためにはどうしたらいいのか。
ロビンソンクルーソーではないが、
労働は価値をもたらした。
釣り糸を垂れるという労働力から褒美として魚(賃金ないしはサラリー)が得られる。
孤島における閉鎖経済では、十分に食物が得られれば
それでも平和の内にあるときまでは暮らせるかもしれない。
だが、天候も荒れる時もあれば、いずれ時間と共に老いが容赦なくやって来る。
集団の中で交換ということから解放されるために貨幣が発明された。
貨幣によって、人々はようやく交換するための時間や、距離や、
或いは交換するモノ自体からの自由も得られるやうになったのだ。
こう考えるとマネーこそは、歴史をさかのぼることの自由の淵源であろうと思われる。
自由は深くマネーに帰依する。
「雇用,利子および貨幣の一般理論 」
バブルほどでなくともいいから、景気が良くあって欲しいと思う。
雇用はどのように生まれるかと云うと景気のよさから生まれるだろうと想像できる。
景気はどこから生まれるかと云うと、
モノや財やサービスの活発な取引からやって来るだろうと想像できる。
(モノや財やサービスの活発な取引)とは=有効需要のことである。
一般的には誰かの支出はほかの誰かの収入になる。
誰も支出をしなかったら、誰も収入がないことになる。
だれもマネーを使わなくなったからデフレになったのだ。
貨幣が必ずしも重要なのではない。
貨幣が重要なのではなく、それで得られるものが大事なのである。
消費されるもの───
栄養、着るもの、住処。
自分を褒めてあげる効用などの満足感も。
消費されるためにはまず所得がなければならない。
所得はいずれにしても何らかの労働に対する対価である。
通貨の価値とはそれで得られる「量」。
ようやくインフレとか、デフレとか、為替の概念が表れてきた。
社会におけるマネーのあらまほしき量というものもあるらしい。
さらに流量ばかりではなく、流速というのも重要なファクトになる。
消費は所得の増加関数(所得が増えれば・・・)。
マネー需要は利子率の減少関数(利子率が下がれば・・・)。
それでもって、しかし、人間は従属系経済に置かれ、
しかもさらにいつも自由でありたいものだから、
自由の象徴でもあるやうなマネーをやはりいつも手元に置きたがるやうになる。
貯蓄するか(使わなければ誰かの収入にはならない)、
消費するか、あるいは、
投資するか、などの集団的状況の中での様々な局面にさらされているわけだ。
ケインズが云った流動性選好とは人間が後天的に得た自然的本能になった。
モノを買っていつでも安心しして食べられる、というような便益や安心感を手放してまでも、
預金や、あるいは債権を買ったりするには、手放してもいいよと思われる利子率が必要となろう。
しかし、この“我慢料”のやうなものにもそれぞれ個人の時間選好とか、
また外部的状況からやって来る不確実性などという厄介なものまで加わるから、
経済は余計にややこしくなる。
マクロを分解すれば
・家計部門
・企業部門
・政府部門
そして、
・経常収支、ということになる。
そして、これらのすべてに金融や為替が関わって来ることになる。
GNPやGDPは国籍or国土のどちらに注目するかのことである。
一定期間に国民によって新しく生産された商品やサービスなどの付加価値(儲け)の総額のことの
略称はGNP(Gross National Product)。
総生産=総供給=総所得
2000年からは名称が「国民総所得」になり、略称はGNIに変更になった。
整理整頓して───
有効需要 = 消費 (C) + 投資 (I)
consumeとinvestment
総供給 = 国民所得
消費の定義は=国民所得-貯蓄
需要と供給が一致している時
→国民所得-貯蓄+投資=国民所得
→貯蓄=投資
:景気が良くなるとは取引が活発になる。
有効需要と総供給がともに増大することである。
有効需要は
・(イ)民間の設備投資(供給サイド)と
・(ロ)政府支出(財政出動)
・(ハ)民間消費で、
民間消費は所得の増加関数(所得が増えれば・・・)となってゐる。
民間の設備投資と政府支出はNi(国民総所得)に依らないところから独立支出と定義づけられている。
経済の動向は必ずしも需要決定型(ケインズ的理論)に依ってもたらされるものではないが、
(イ)(ロ)(ハ)は基本的要素であることは間違いない。
そしてこの(イ)(ロ)(ハ)のすべてに金融や為替が関わって来ることになる。
整理整頓して───
分配面から見た
「国民総生産(GNP)=消費+貯蓄」の公式から、支出面から見た
「GNP=消費+投資+純輸出+海外からの要素所得」
★「貯蓄―投資=経常収支」
「国民総所得=税金+民間消費+民間貯蓄」が成り立つ。他方、支出面に注目すると
「国民総所得=民間消費+民間国内投資+政府支出+経常収支」も成立する。
両式を等号で結び、
「民間貯蓄―民間国内投資」を貯蓄超過、
「税金―政府支出」を財政収支と定義すれば、
★民間部門(民間貯蓄-民間投資)+政府部門(税金-政府支出)=経常収支
さらにこれら全部に関わる金融部門を加えると、
★(民間部門)⇔【金融】⇔(政府部門)=経常収支
と大雑把に書き表すことができる。なお、
経常収支には⇔為替が関わって来る。
GDPは雇用の根本である。
たとえば中国では“保八”と云って
GDP成長率を8%に保つことが雇用の目安とされているようだ。
国家はなんで成り立っている、
税で国民への安全、安心、サービスなどが維持されている。
名目GDP(日本約500兆円として)×8%くらいが=おおよその日本の税収約40兆円。
雇用のことで云えば、
雇用こそが何よりの社会保障の根本であることは云うまでもない。
景気の対応は国民国家という形態がなされて以降、
・財政
・金融
・為替
のおおよその3点セットが常道のようで、
戦前では高橋是清は蔵相(犬養内閣)になるやただちに金輸出を再禁止(1931,12)した。
財政出動をする、
金融を緩和する、
為替を安い方に誘導する。
ここまで書いて来て現在の日本はと云うと、
失われた20年ということで、その核心はデフレ。
ほとほと深い病、この国の宿痾になった。
デフレは=消費 (C) + 投資 (I) < 総供給
潜在的供給能力に対して要するに有効需要が足りない。
吉野家、スキヤ、松屋などのバトルばかりかと思っていたら、
家電量販のヤマダデンキもビックカメラもヨドバシも
安値競争の崖っぷちに立たされるやうになって来た。
倉石智證
もっと上がるのではないか、下がるのか、
自信や不安や恐怖など、合理的にとらえられない人間の感覚には
経済活動を突き動かす必ずしも合理的ではない働きがある。