チチポポと歌を唄ふ
媼と呼ばれる齢になって
口の端から歌いだされる唄は、幼なじみて
少し頼りなげで、
懐かしい
おゝ、おゝ、どんな長い朝と昼のことだったのか
おゝ、おゝ、どんな長い昼と夜のことだったのか
どんな風に住み暮らして来たといふのか
心細げで頼りなく
今は老女といふ名の口の端からチチポポと唄いだされる
まるでおぼこの声だ
ふっと、思い出される
それは、6年生になろうとするとき
中学生になるお兄さんやお姉さんを送り出す時の歌だった
「さやうなら、おげんきで」
あゝ、あれからどのくらいの年月が過ぎていったものだらうか
紅いおちょぼな唇からチチポポと歌が零れ出る
白い喉頭がふれ
「さやうなら、ごきげんやう」
少年や少女たちの
こんなお互いに齢になって
山の湯宿に集まって
どんな長い年月が過ぎたといふのか
あゝ、そは君らの口からチチポポと
まるで母の子守唄のやうに聞こえるのだ
倉石智證
孝義くんは松屋の鮮魚で板前をしていたのだが
なにか脚を壊して、“いじゃり”になってゐる。
何度誘っても来ないね。
「パチ中毒だよ、あれは」・・・
事故や、病や、自死も含めて亡くなった仲間がすでに7人に。
小林東助先生(陸士第61期生)は19歳の年の
1945,8/15日、鴨緑江で終戦の詔勅を聞き、そのまま奉天へ。
そこから16日朝、内地に引き返した。
そのまま進んでいたら3ヵ月後くらいには哈爾濱から特攻で散っていたかもしれなかった。
このたび5/8日に横浜を出発して8/10日まで世界一周のクルーズに出かける。
現在86歳、これを第4のスプリングボードにしたいと挨拶での言葉であった。
スプリングボードの着地は今のところ見えない。
水葬になるやもしれんね、と冗談に笑い飛ばされる。
鶯は啼いたかと聞く朝の風呂
俊信くんと、健ちゃんと一緒。
昨夜は東助先生が大変だったよ、と俊信くんは。
先生は湯船の中でどうやら立てなくなったようだ。
水を首筋や顔にかけて、湯船から出す。
ほんとに大丈夫かいな。