分配面から見た

「国民総生産(GNP)=消費+貯蓄」の公式から、支出面から見た

「GNP=消費+投資+純輸出+海外からの要素所得」

★「貯蓄―投資=経常収支」


国民総所得(GNI)=税金+民間消費+民間貯蓄」が成り立つ。他方、支出面に注目すると

国民総所得(GNI)=民間消費+民間国内投資+政府支出+経常収支」も成立する。

両式を等号で結び、

「民間貯蓄―民間国内投資」を貯蓄超過、

「税金―政府支出」を財政収支と定義すれば、

★民間部門(民間貯蓄-民間投資)+政府部門(税金-政府支出)=経常収支

★(民間部門)⇔【金融】⇔(政府部門)=経常収支

【金融セクター】金融機関や中銀が(民間部門)と(政府部門)に関わってゐる。


2点間を結ぶ最短は直線になる、というやうな公理と同様に、

この公理の中に様々な要素を落とし込み、分解し、イメージしてみる。


すごい時代があったものである。

わくわくするやうな魅力的な時代であった。

世間にマネーの量が増えると一般的にはインフレになる。

1960年代の終わりのころから日本には明らかにインフレの要素が溜まっていた。

国内では物価と直接関連する購買力平価では円安(国内では物価高=インフレ)に振れてゐる。


(昭和25→45年)通関ベース輸出額(㌦表示)の伸びは、

米国が=4.2倍、

英国が=3.1倍増えたのに対し

日本は=23.4倍。

360円はきわめて輸出刺激型の超割安レートであった。

ニクソンショック(1971年)ころまでは労働力過剰であったから、

輸出が激増してもインフレにはならなかった。

しかし、それ以降は

・労働力不足の局面に移行、

・逆に外貨準備が増大し、

→インフレ率が高まる局面となった。

■私が経済企画庁(現内閣府)に移ったのが昭和45(1970)年、

消費者物価指数が年率=10%前後の上昇を示す時期もあった。

→360円のレートを

→250円に切り上げるべきだと提言する。

(篠原三代平09,6/10日経)


「亭主の好きな赤烏帽子」
■為替「ドルと金と円と」

戦後の通貨体制下では、

金1オンスが35ドルで固定され、米国はドルと金の交換に応じていた。

円は360円の固定相場制で、金という実物資産が秩序ある通貨政策の重しになっていた。

それが一変するのが71年夏だ。

ベトナム戦争で疲弊した米国が一方的にドルと金の交換を停止し、

ドルは重しを失い変動を始める。

■あれから約40年。リーマン・ショックや欧州財政危機を経て、

金は35ドルから1300ドルに上昇し

ドルは360円から83円へ下落した。

金との交換義務を放棄した米国が、

基軸通貨の特権を利用し大量にドルを供給し続けた帰結だ。

(住友商事理事 金融事業本部長 高井裕之)

米国はインフレを経済合理的に自国に作り出せるわけだ。

したがって米国がインフレ気味になると

日本は円高傾向に→デフレ傾向になる。

購買力平価との乖離が始まった。

「亭主の好きな赤烏帽子」

■95年ころを境に株式市場の投資家比率が国内と国外とで逆転する。


「亭主の好きな赤烏帽子」

1995労働力人口(15歳からおおむね64歳)が減少し始めた。

ロバート・ルービンと榊原英資→ドル高・円安

1997消費税増税5%に。

山一証券ほか国内の金融危機が連鎖

アジア通貨危機

ロシアがデフォルトに

1998日本版“金融ビックバン”が始まる。

1999ゼロ金利導入→2000,8月

米国で銀証の垣根を取っ払った「金融資本主義」システムへ。

2000米国でITバブルの崩壊

2001,3量的緩和政策→06,3解除

2003日本の不良債権問題が解決(小泉政権竹中平蔵)

・・・・


なぜ1998~2003ほぼ慢性的にマイナス圏に物価指数があるのか。

①人口動態

・少子高齢化(稼ぐ人よりもぶら下がってゐる従属人口が増えた)

年寄りはそんなにものを食わない。文字通り、「口」が減った。

・ガラパゴス的内向き値引き合戦の結果ますます→デフレ化が。

・明らかに社会保障費の支出が増大の一途に。

②国民総所得(GNI)のことである。

・バブルがはじけた。家計も企業もバランスシート調整。

民間部門(貯蓄(⇔消費)-設備投資(設備、人、負債の過剰))←信用収縮【金融セクターの機能不全】

GNI=GDP+経常収支(海外への所得の流出入)

GNIを増やさない限り需給ギャップは消え去らない。

GDPはまた現在1992頃の=470兆円くらいに戻ってしまっているといふ。

③阪神淡路大震災があって、消費税増税や社保料アップも重なって民間消費を冷やした結果に。

④金融セクターが機能せず。

・政府はしかし貨幣的現象(不良債権)であるにもかかわらず、

“遅れて来たケイジアン”こと宮澤蔵相は

民間の需給ギャップを政府の独立支出で埋め合わそうとむなしい努力を続けていた。

結果、政府債務は膨大なものに積み上がった。


・潜在成長力は=供給力過多=需給ギャップ→デフレ

・米国との自動車通商摩擦

・冷戦終結直後から何よりも政府も民間も内向きで、

政府は特にグローバル化の意味を理解せず、

アジアを含め多くの地域でアーリーエントリーに出遅れてしまっていた。


経済は期待収益率で目覚める。

期待収益率→投資⇔交易(経常収支)

民間部門(貯蓄-「投資」は大きな固定費用と不確実性と)

■経済開放・交易は⇔情報(価値)や技術や人材《資源》提供→大きな生産性の改善に結びつく。


IBMの例では、

IBMは(2012)3月、創業101年で初めて株価が200ドルを突破した。

20年前(1992)の危機で22万人にまで減った従業員も、今は43万人とほぼ倍増した。

米国ではもちろん、インドや中国で優秀な人材を雇用し、

米国のコンピューターメーカーから、

グローバルなIT(情報技術)サービス会社へと生まれ変わった。

■一方、日本電機メーカーは

旧日本電信電話公社(現NTT)や地域を独占する電力会社を取り巻くように群生し、

密接な関係を築いてきた。

NTTや電力各社の設備投資は年間で計4兆~5兆円。

交換機や発電機など一定の受注が見込めるので

「半導体や携帯電話で海外メーカーに負けても経営はできた」(電機大手の幹部)。

公的色彩の強い企業の呪縛が今なお影を落としている。

「亭主の好きな赤烏帽子」

■お隣の韓国は1997年の通貨ショックの後屈辱のIMF指導のもともあったが、

非効率な財閥解体後、さらなる国内同業種の“ビッグ・ディール”が行われた。

これによって国内における消耗戦の徒労から解放され、

いたずらな国内デフレからは浮揚出来たと思われる。

消耗戦に掛かるコストを再投資に投入し、付加価値化とウォン安輸出によって、

格差をもたらせたとは云われるものの、1950頃には日本のGDPを追い抜くとも云われている。


2003~

2001,12中国がWTOに加盟。

→おかげさまで日本の輸出が回復してくる。

2001マエストロ・グリーンスパンがものすごい勢いで政策金利を下げて行った。

この点は三重野日銀元総裁とは手法が決定的に違う。

■原理原則=引き締めは比較的ゆっくりと、緩和は一気に数回に渡って、

日本のバブル崩壊後、三重野日銀総裁の金融緩和はいかにも遅れ遅れのことだった。

さて、

米国への輸出も順調に。

2002,1ユーロ流通開始。

通常の現金、とくに紙幣の流通は2002年1月1日から開始された。

ユーロ圏への輸出。

■デフレからの脱出は高橋是清以来、

為替安の輸出増大の通り、歴史が証明しているところである。

2003何よりもりそな、足利銀行への公的資金投入を最後に不良債権処理がほぼ完了したことだ。

信用創造へと辛うじて足がかりを得ることが可能に。

しかし、金融セクターのマネーは容易に民間の設備投資には向かってゆかない。


「亭主の好きな赤烏帽子」

■「貸出」と「国債消化」

マネーは貸し出しによって(民間の「借りる行為」)のみ増えてゆく。

「借りる行為」とは資本性リスクマネーのことである。

一般的にはマネーの量が世間に増えるとインフレ気味になる。

国債は政府の借金(将来世代の現役世代への所得移転)で、

政府による独立支出(政府は目利きでもなければ資本家でもない)と

社会保障などは一般予算の半分以上だが、フリーリスクマネーとして支出されて消えてしまう。

要するに腹に入って消えてしまうような経済は長屋の“花見酒”経済そのもので、

新たな産業創造にはとても結びつかないもの事であることは明白だ。

民間部門(貯蓄-投資「リスク資本」)⇔信用創造に向かわず【金融部門】⇔国債(ノンリスクマネー)

民間部門(リスクマネー=成長へ)

政府部門(社会保障費や箱モノや補助金=売り上げに結びつかず雇用、所得を満たさず→消費)

政府部門をいかに糊代を持たして(税-給付抑制)、余らせた部分を、官民一体で、

→民間部門へ投入するかである。


ところが2004年ころから台頭するG20、

一つとして新興国需要が輸入物価を押し上げてくる。

2005の初頭からは明らかに日本の所得流出(交易損失)が明確になって来る。

逆に世界のグローバル、フラット化の前、

「要素価格均等化理論」通りに輸出物価は下げっぱなしになった。

もう一度、

GNI=GDP+経常収支(海外での稼ぎ)
「亭主の好きな赤烏帽子」