真情あふるる
だ、な・ん・て。
浴湯があふるる
とか
ビールの泡があふるる
なんていふのはいいとして
味噌汁があふるる
とか
愛情がいっぱいに溢るる
は困りますね
わが愛は星空いっぱいに溢れては
すぐに泣けてきます
列に並ぶな
列にかってに並ぶんじゃない
物乞いではないのだから
少しはまともに毅然として立ちたまへ
座るんじゃない
引きはがさうとする
黒い官憲がすっ飛んできていきなり
こん棒でやらかす
止めてよ
血がだらだら流れて
痛いじゃないか
ほんたうに眼にしみる
死ぬかもしれないのに
あゝ、また並び始めた
しつこいね
列は崩れてもまたいつの間にか元に戻っている
誰か聞いて来いよ
この列の先には何があるのか
えっ、食いもんじゃあないの
えっ、サーカスがあるからと
喉が渇いています
ビールなりと火酒でもよろしいんでずが
ぜいたく云っちゃいけないよ
ただこうやって並んでいられるだけでもたいしたものなんだから
今に、あの人が来ます
鋭い笛の音が鳴り響いた
橋のガード下に入った
ワイパーで雨の一滴を掻いて止める
降りろと云ふから下りて
フーセンをふくらました
だめだ、だめだ、だめだ
もっと真剣に
おおきく吐いて
立てと云ふ
てきぱきとやりなさい
今日は何日、何曜日
おもしろいなぁ
にやにやするんじゃありませんよ
はい、その白線の上に立って下さい
両手を広げて真っ直ぐ前に歩いて
さう、立ち止まって
眼をつむって
はいそのまゝ
片足で立つように
で、今日は何月何日かね
はっきり答えなさい
わたしはガード下の案山子
マリオネットに流れるテールランプが虹色に照らす
小雨がけぶり
みんな窓を少し開け
みんな物珍しさうに見てゆく
鋭い笛の音が合間会いに夜の闇に鳴り響く
飼いならされて
ぎこちなく
でも、すべてに「考えるな」と云ふから
それはあなたが云ったんです
並んで、電車に乗って
並んで、映画を見て
並んで、笑ってみた
よく考えたら何が可笑しかったのかさっぱり分からない
ただ、だって笑へ、と云うんだもの
笑いと忘却の
こうもり傘の下の痙攣する笑い
スクラムを組むとまた体当たりされ
こん棒でひっぱたかれる
少しもいいことないね
唐獅子牡丹、business goes on
少しも止めてくれるなと、
また鋭い笛の音が
愛情あふるるおっかさんの
田舎へかへろうとしたら
今度は突き返された
結局、
列からなんとか離れやうと色々考えたあげく
箱男とか、
棒男とかになったんだ
いろいろ考えた
なに食わぬ顔して
女を騙すから
俺にもくれろと舞台はしからにじり寄ると
嘘ばかり
蹴飛ばされる女の赤いズロース
ようしそれならと今度は俺がその役をとかわるがわるに
息が苦しくなって、
息が臭くなって来て、
「ウジ虫」と痛罵され
吐く息さへも結局体制側だとののしられ、
軽薄を肩に担いで一夜をいち抜け、
新宿の伊勢丹の角に立ったら
朝陽がほんたうに黄色く見えた
倉石智證
■1969,9蜷川幸雄さん演出「真情あふるる軽薄さ」脚本清水邦夫
60年代は演劇集団が叢生する。
体制を離れて、アンガージュマン、一人ひとりが個を目指せよと、
社会主義リアリズムがある一方、
独創と好き勝手が入り混じったどぎつい時間が新宿の街区を覆った。
生産をしない人たち、学問をしない学生たち、怠惰で少しアナーキーな連中、
すぐにタダ酒を飲もうとする奴ら、
節操も、根底もない多くの熱に駆られた若者たちがいて
終夜オールナイトや居酒屋やjazz喫茶に入り浸り、
かたわら列を組む膨大な大衆が生産され、
経済の滔々とした流れは巨象の群れやうでもはや止めやうもなく、
そして、もっとも複雑怪奇な政治の季節は
案外若者たちとは無関係にその外側を流れ去って行った。
真情あふるる軽薄さ、とは何だったんだらう。
「マルクス」を全部読み通した全共闘は何人居たんだらうか。
自立できずにお芝居の中にたかろうとするもの、
訓練された者、それを心から愛している者、職人、
それらの人たちにだけ唯一天職、とされるべきものを、
みなさんは演劇空間の中で、いい加減にし、ただの時代のエネルギーに任せて放擲した。
“ウジ虫”と云われるわけである。
1970年も過ぎていよいよ大衆消費社会が列島を浸し始めると、
ジグザクをしていた連中も、お芝居の架空の世界に酔いどれていた連中も、
ほとんどのみなさんはきれいなネクタイを締めて、
改めて匿名、というマスの列に並び始めた。
1960年代から猖獗した若者のいわゆる反体制デモは、
世界のの冷戦構造や、ベトナム戦争、
日本のエネルギー転換などの中でのふっとわいた麻疹はしかのやうなもので、
あるところでは免疫寛容が滞り、自傷や破壊行為が行われた。
1970三島由紀夫
1972浅間山荘事件
1974三菱重工爆破事件・・・
1970大阪万博
多摩ニュータウンへの入居開始は1971年(昭和46年)から、
高島平団地への入居開始は1972年(昭和47年)から始まった。
1973,6渋谷パルコがオープン。
時代は“もうれつからビューティフル”へ、
列島改造(田中角栄)と消費は美徳の社会の中で
イデオロギーは陽炎のやうに立ち消えてしまった。
