さくら、さくら、ただ愛すだけ

ただ咲くだけにまかすだけ

さくら、さくら、ただ愛すだけ

ただ、散るだけにまかすだけ

さくら、さくら、その桃色のまま

まだ知り初めぬ色のまゝ

風を聞け

あゝ水音を

眼を覚ます君をまた枕に

さくら、さくら、ただ愛すればこそ

花の散るをこそまたそのまゝに

空を見て、青空を見て

笑みかはす野の原の下

きみかへすこともなきかな

ひがなひと日

泡立てる空を愛せよ

その花びらの一片ひらのまた一片を

あゝ、きみの吐息の甘き

紫雲英げんげ田の蒲公英も忘れる

 

さくら、さくら、ただ愛すだけ

ただ咲くだけにまかすだけ

さくら、さくら、ただ若いだけの日々もあったね

あの坂の上の桜に

手をとりて睦まじく

ただ、茫然と空を仰いでいた

甍に触れる桜の

肌へに滑りゆく花片ひら

かたへに

自由に

そして気まぐれに

ただ肌ゑの桃色に染まりゆくを

鳥が歌ふ

そこかしこに

鳥がついばむ

花片が散りつづく

さくらさくら、今は君を僕の体のうへに乗せ天にも昇る

そんな日々もあった

 

さくら、さくら、ただ愛すだけ

ただ咲くだけにまかすだけ

日々は流れ

あゝ、それなのにいままた茫然と坂のうへに佇むとき

あゝ、桜.

一風が吹きやると

すべての相貌が蒼褪める

耳を寄せれば確かに幹に水の流れる音の聞こへ

手を握れば確かにきみの拍動もしろき肌ゑの下に今また知る

さくら、さくら、どこへゆくのか

風のまにまに漂ひ

かへりたくないほどに

あゝ、かあさんの呼ぶ声がする

 

さくらさくら、そは懐かしきあまりある思ひ出よ

さくらさくら、そは咲く度に散りゆく度に

あなたを打つ、その内戸と外戸を

ヒルズの甍のうへ

碧き大海原のうへ、波のまにまに

はた土手の長きに

水と戯れる櫂の捌きよ

いしのうへ

一人歩まするよ

花の意のまゝに青空に溢れかへるよ

花の意のまゝに黒い土にかへる

花の意のまゝに水に流れる

あゝ、そして花の意のまゝにいままた海に出る


さくらさくら、そは懐かしきあまりある思ひ出よ

さくら、さくら、ただ愛すだけ

ただ咲くだけにまかすだけ

さくら、さくら、ただ愛すだけ

ただ、散るだけにまかすだけ

さくら、さくら、その桃色のまま

まだ知り初めぬ色のまゝ

あゝ、だから

風を聞け

あゝ水音を

 

西行さん以来、桜は日本人の感性の普遍となった。

1930三好達治「測量船」のなかの

「甃(いし)のうへ」

をみなごたちのみどりなす黒髪に桜の花片が舞ひ散りかかる・・・


あはれ花びらながれ

をみなごに花びらながれ

をみなごしめやかに語らひあゆみ

うららかの跫音あしおと空にながれ

をりふしに瞳をあげて

かげりなきみ寺の春をすぎゆくなり

み寺の甍いらかみどりにうるほひ

ひさし々に

風鐸ふうたくのすがたしづかなれば

ひとりなる

わが身の影をあゆまする甃いしのうへ

 

日本人に生まれてよかったと思ふ瞬間である。