異種分子間の相互作用(エントロピー・混合)
同一種分子間の相互作用(凝縮・相分離)
ぼくはwebを読んでいて不思議に思った。
人は川上(理念、理想)を目指せ、というが、
流れに身を任せるしかないということもある。
「安定する」=分子相互作用(分子間力や静電気力など)により凝縮するか、
異種分子間の相互作用乱雑さ(エントロピー)が増大する方向に自発的に変化する、
つまり混合して均一となる。
しかし、分子間相互作用があり、凝縮相となる実在分子において、
異種分子間の相互作用より、
同一種分子間の相互作用のほうがはるかに強いとき、
混合するよりもそれぞれが相分離して、同
一種同士の相互作用で安定化するほうが有利となる。
このとき、相分離した二つの相の境界が「界面」である。
例えば、水分子同士には分子間力よりかなり強い水素結合が働く。
油の分子同士では互いに弱い分子間力しか働かない。
ゆえに、水は水分子同士で固まっていたほうが安定であり、
水と油は混ざり合わないのである
(ただしそれでも超音波細動などで水素結合を切って分子レベルで均一にすることはできる)───
ヨーロッパ大陸はエントロピーの乱雑さに任せて行った方がいいのか。
或いは再度、同一種分子間同士で寄り集まった方がいいのか。
川上を求めて1950年ころより先人たちは頑張って来たものだが、
宇宙が存立する多分ずっと前から、
原子、分子間ではとっくにそんなことは日常的に行われていたわけだ。
量子力学的に人間の自由とか、権利とか、義務などのことも考え直さなければならない。
人々はまったく思いがけなく、それぞれに微分学的に振舞う。
界面はむき出しになり、奔放な自由エネルギーが突っつきあっている。
北と南では界面の自由エネルギー耐えられず凝縮して縮まろうとしている。
界面の高エネルギー状態を緩和させようと「界面活性剤」、
両親媒性構造を持つもの、EU委員会や、理事会や、欧州首脳会議や、
ECB、EFSFなどが必死になって間を取り持とうと徹夜の会議を続けたわけだ。
政府部門(拡張的財政)とともに民主主義の弱点が改めて浮きあがって来た。
民主主義と金融市場の間にもただならぬ緊張関係が走っている。
財政民主主義とはほとんど社会保障を意味するようになった。
バベルの塔ではないが、人間はいつからか勤勉を投げ捨て、怠惰に、
天に唾するやうになったのだ。
政府部門(税-政府支出)
■(拡張的財政)政府部門とはEUではそれぞれの国の固有の社会保障。
民主主義と金融市場に緊張関係が奔っている。
徴税の権限を持ち、ユーロ圏全体に資源を配分する強力な中央財政当局が模索されている。
■(拡張的財政)に対し日本は「税と社会保障の一体改革」
日本モデルのいくつかの分母、つましさ、勤勉、あるいはお伊勢さん(融通無碍)、
江戸しぐさとかの礼節、・・・いやしかし民度が下がり、同時に生産性も下がって来た。
■(拡張的財政)米国は11年夏、
債務不履行の瀬戸際まで追い込まれた「国債限度額の引き上げ」を巡るすったもんだの末、
再び赤字削減策について議論するため
米議会超党派委員会(Super Committee)が設立されたが、
全く成果が上がらないまま期限切れになった。
英国───
民間部門(柔軟な労働市場←法人税率下げ=競争力を高める)
労働市場(雇用)とはつまり=法人税を下げるということ。
借金に依存した経済から脱却し、
民間部門(貯蓄-投資)+政府部門(借金に依存しない)=経常収支(輸出)・・・
(ジョージ・オズボーン英財務相)
「貯蓄(節欲・消費)・投資・輸出(経常収支)の均衡取れた経済モデルを目指している」
スペイン───
■政府部門(あらゆる行政レベルでの財政赤字の削減)
■民間部門(教育、労働市場、エネルギー部門の構造改革→成長・競争力、雇用を)
■金融部門(公的債務や民間債務への対応能力の信頼向上を)
(スペイン元外相 ジョセップ・ピケ)
予算をただ使うのではなくどう使うかを知っている。
ポルトガル───
「マネー(期待、不安)は自己増殖する」
自己増殖的に高まる投資家の懸念。
国がひとたびジャンクに格下げされると、市場に戻る簡単な方法はなかなか見つからない。
1/13(金)、ほかの格付け機関に続いてスタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が
ポルトガル国債をジャンク(投機的等級)に格下げし、
多くの投資家はこれを機に、ギリシャだけでなくポルトガルも
デフォルト(債務不履行)が不可避と思うようになった。
「The end of the Free market」
と云われて久しい。
民主主義的資本市場VS社会主義的資本市場。
あからさまに中国の中央集権的資源配分、
なりふり構わぬ国際市場への進出である。
国内にあっては───
■輸出
■社会インフラ
■不動産
■財政出動
人口ボーナスの国にあってねこれらがうまく作用している。
過去4~5年の中国の需要膨張の評価だ。
自動車の年間販売台数は2007年から10年の3年間で1000万台近く増加。
時速250キロ以上の高速鉄道は07年に営業運転を始めてから4年で5000キロを突破した。
住宅や液晶テレビも異常な伸びを示した。
これを人口大国の高成長期だから当然とみるのはやはり無理がある。
長年、蓄積されてきた中国人の購買欲求のダムが解き放たれ、一気に現実化しうえ、
エコカーへの購入補助金など政府の支援策、
北京五輪、上海万博と続いた国家的イベントに伴う高揚感が膨張を手伝った。
★高速道路、鉄道、電力などインフラ建設ではリーマン・ショック直後の
08年11月に打ち出された4兆元(当時のレートで57兆円)の財政出動がブームを生み出した。
政府部門(税-政府支出)→に関しては
もっとも雇用のすそ野が広いとされる自動車に補助金を付与、
財政制約のない中国ではリーマン後、57兆円ともいわれる財政出動が可能になった。
中国「人口動態」は(農村から→都市へ)となっている。
(雇用を生み→賃金・所得が発生し→新たな住宅需要や消費)
■人口移動による不動産価格の維持がおカネの循環を守っている。
GDPを一気に押し上げるには都市の集積度を高めるのが一番効果があるとされる。
都市国家と云う概念のもと、
東京も、大阪、福岡などが試されるわけだ。
「結ばれる」と云う概念───
中国政府がASEANとの経済連携の核として特に開発を進めるのが、
ベトナムと国境を接する広西チワン族自治区・省都は南寧市。
中国とASEAN主要6カ国は10年1月、
自由貿易協定(FTA)に基づいて双方の貿易品目の9割超に当たる約7000品目の関税を撤廃。
貿易量は年々伸びている。
中国側はASEANとの貿易をテコ入れすることで、
発展が遅れてきた南部地域の開発につなげたい考えだ。
経済面で結びつきを強めれば、
ASEAN側が南シナ海問題などで中国と摩擦を起こしづらくなるとの計算も働いているようだ。
■南寧市と保税区のある憑祥市を結ぶ高速道路はすでに開通した。
中国政府はさらに、15年までに156億元(約1900億円)を投じ、
両市間に高速鉄道を建設する。
将来的にはベトナムのハノイやタイのバンコクなどを経由し、シンガポールまで結ぶ構想だ。
いかに結節点に付加価値を持たせるかの地政学。
列島に再び付加価値を持たせる施策を。
保税区は特区だ。
法的空間によるオフショア、出島造、
外との接点、羽田などをビッグターミナルSTなど大きい構想を、
リニアと、すべての新幹線の始発駅にすべく、都市計画を練らなければならない。
センターピンはどこにある。
羽田だ。
豊洲に築地と金融オフショアを一緒にした特区を作り、
リニアを羽田から延ばし、
さらに東京ディズニーランドまで延伸する。
お客様は膨れ上がるASEANの中間層のボリュームゾーン。
人々は希望に飢えている。
眼に見えるスカイツリーを見ればわかるというものだ。
もうすでにものすごい産業資本が吸い寄せられているではないか。
東北復興はもちろん大事だが、
逆説的にもっと儲かるところに資本誘導しなければいけない。
すでに資本集積がなっている富士五湖周辺とか、
資本ストックがすでに稼働している黒部ダムから立山辺りまで、
どうして羽田発リニアから
既存の資本関係に結ぼうという発想が持てないのか不思議で仕方がない。
東京―名古屋間の286キロを40分。16年後の開業に向けスタート。
南アルプスの地下深くトンネルを掘る。
全区間の8割を占めるというトンネル、JR東海が見積もる建設費は5兆円を超える。
■明治5年、新橋―横浜間にはじめて鉄道が開通、
29キロの道のりを53分で走る
乗り物など見たこともない人が陸(おか)蒸気にどれほどたまげたか。
文字通り魂消たのだ。
何が悲しくて・・・名古屋まで40分。
速さだけならもうネットの時代にはかなわない。
人々はもっと大きな感動と満足やエクスペリエンスを求めている。
その人々とは雪のない東南アジアのグレートゾーンの人たちのことである。
デフレのおさらいを少し。
日本では
明治の松形デフレ、
昭和初期の井上デフレ、
終戦後のドッジデフレ、
それから長引く平成のデフレ
ということになる。
はたしてマネーだけによる貨幣的現象により引き起こされるのだらうか。
西南戦争の戦費支出(結局、戦争)や、その直後に
大隈重信蔵相が実施した殖産興業のための積極財政で生じた
インフレ的物価上昇の処理にかかわる松方デフレ。
■西南戦争の戦費調達のために不換紙幣が濫発された事によって、
戦争後に大規模なインフレーションが発生していた。
当時の大蔵卿大隈重信は、このインフレーションの原因を、
経済の実態は紙幣流通量に近く、正貨である銀貨が不足しているだけだと考えて、
「積極財政」を維持して外債を発行して
そこで得た銀貨を市場に流して不換紙幣を回収すれば安定すると主張した(大隈財政)。
一方、次官たる大蔵大輔の松方正義は
単に明治維新以来の政府財政の膨張がインフレーションの根本原因であって
不換紙幣回収こそが唯一の解決策であると唱えた。
松方の主張は長年財政に携わってきた大隈の財政政策を根幹から否定するものであり、
大隈の激怒を買う。
この対立を憂慮した伊藤博文が
松方を内務卿に抜擢するという形で財政部門から切り離して一旦は事態収拾を図った。
ところが、1881年の「明治十四年の政変」で大隈が政府から追放されると、
松方が大蔵卿に任命されてインフレーション対策の責任者となる。
※不換紙幣とは政府の信任のことである。
裏付けのないマネーは減価する。
(webより)
大隈重信との対立により、大蔵官僚からの移動を突きつけられた松方正義でしたが、
明治14年の政変により大隈は失脚。
1881年(明治14年)、松方正義は大蔵卿(大蔵大臣)に就任し、
「インフレ」の解決に全力を注ぎます。
市場に出回っている紙幣を回収するために、増税を積極的に行うのです。
特に、娯楽品に占める増税の割合は大きく、
・「煙草」の値段が約7倍に、
・お酒は2倍以上に跳ね上がったそうです。
(お菓子税なども創設しました)
政府は出費を減らすことに力を注ぎます。
財政は厳しい状況に追い込まれていたので、
民間でできる事を民間に委ねるために、官営企業を民間に売却したのです。
これにより、運営費の経費を節減する事となります。
(払い下げられた企業は財閥として成長していきます)
さらに、
・地方税や
・国税の増税を行い、
・金融の引き締めをさらに強化します。
その結果、1881年から1884年までに3000万円弱の貯金を作る事ができました。
民間部門(国営から払い下げ→民営化)
政府部門(税収増・財政規律、均衡化)・・・政府の信任(対外国に対しても)
しかし、急激なインフレ対策の結果、今度は「デフレ」に陥ってしまい、
人々の生活を苦しめるのです。
厳しい増税の結果、庶民の手元にお金が残らず、買い控えが起きてしまったのです。
そのため、商品をなかなか買ってくれず、値下げをせざる負えない状況に陥ってしまいます。
特に米の値段が大幅にさがってしまい、農民達の生活を苦しめるのです。
明治初期のデータですと、
働いている人の約70パーセントが農林水産関係の仕事に就いていました。
国民の混乱を招いた松方批判は相当激しかったようです。
農民達は、生活をするために土地を売却して小作人になったり、
仕事を求め都心に移り住んだりすることになります。
一方政府は、一部の企業や払い下げられた企業に対し、保護政策をとっていました。
例えば西南戦争では、すべての輸送を担当したのが「三菱商会」という会社です。
この戦争で使われた金額のうち、1500万円が三菱商会に流れたと言われております。
農民の一部は都心に流れ、
こうした保護政策で運営している体力のある会社に就職することになるのです。
結果的にみると、日本の産業は農業から新しい産業に人材が移動していくことになり、
近代化に発展していきます。
当時の紙幣は不換紙幣という「金や銀」に交換できないものが主流でした。
松方正義は金や銀に交換できる紙幣「兌換紙幣」を目指します。
インフレで「紙幣」に対する信用が低下していた状況を打開するために、
「銀」との交換のできる保障がついた紙幣の発行を目指します。
そのためには、交換するための銀の保有量をふやさねばなりません。
緊縮財政によりデフレを招いた結果、財政は豊かになり銀の保有量は増えていきます。
そして、1885年日本銀行券(銀兌換紙幣)が発行される事になるのです。
信用を取り戻した紙幣の流通により、産業はさらに発展していくのでした。
松方は不換紙幣を回収・焼却処分にし、
1882年に日本銀行条例を公布して日本銀行を設立する。
国内的に余裕があった銀貨に基づいた銀本位制を導入をめざして、「緊縮財政」を実施した。
また、これに要する政府資金調達のために、
・政商への官営事業払い下げ、
・煙草税
・酒造税などの増徴による歳入増加策、
政府予算の縮小(軍事費を除く)行って、紙幣発行量を縮小していった。
■この結果、 明治14年(1881年)度の
紙幣発行高1.5億円に対し、
正貨(銀)の準備高が0.1億円(準備率8%)だったのに対し、
明治18年(1885年)度には、
紙幣発行高1.2億円に対し、
正貨(銀)準備高は0.45億円(準備率37%)まで恢復し、
銀本位制導入への基礎が成った。
同年(1885年)には満を持して銀兌換紙幣(日本銀行初の発行紙幣、大黒図案)が発券され、
銀本位制が導入された。
また日清戦争の賠償金による金準備を元に、
明治30年(1897年)には、松方念願の金本位制が導入されることになる。
松方財政が日本の産業革命の基礎を形作ったことは評価される説とそうではない説も有力である。
つまり、不換紙幣を回収し、市中に兌換紙幣を流通させたことにより、
紙幣の信用は著しく高まり、経済活動は活発化したという説もあるが
デフレーションによって経済調整を著しく遅らせ経済停滞を長引かせ経済成長を阻害したとも言われる。
しかし、実際金融とはその目的は公共善に向かっての社会インフラにあるわけだ。
秩父ではお蚕の生糸が大打撃を受けた。
映画「草の乱」で有名な実在の主人公井上伝蔵らは立ち上がり
秩父事件(1884)が引き起こされる。
松形デフレは自由民権運動とも激しく結び付いていた。
倉石智證