「小辺路は信仰の道であるとともに、

十津川の人間にとっては哀惜(あいせき)の道でもあるのです」

途中まで同行してくれた地元の語り部集団「十津川鼓動の会」の今西芳民会長が、

そんな言葉を漏らした。

1889年(明治22年)、168人が亡くなった大水害で村は地形が変わるほどの被害を受けた。

約2600人が小辺路を歩いて村を出、新天地の北海道に移住(北海道新十津川町)。

家族を失い故郷を後にする悲しみの記憶が石畳に残っている。


1896,6/15、今度は三陸大地震と津波がやって来る。


11,9/19(月)晴れ

100㌔の黒潮をゆく台湾へ水尾の青潮なゐの東北

180億円のダントツの援助支援に感謝して、若者たちは海流を台湾へ渡った。

台湾でも大きくニュースに取り上げられた。(9/19ニュース)

東助先生より葡萄・巨峰が届く。

お礼の電話をする。

北信濃は大分寒くなって来た様子である。

お元気であった。


世界は詩で満ち満ちている。

諸田玲子さんの場合───

祖母は入浴中に亡くなった。

水音一つたてないほどの静かな死だった。

母とわたしは号泣したが、父は涙を見せず黙然としていた。

その父の詩が目撃される。

(父には姉がいて、その姉は9歳の時に亡くなっている)

「窓」

ある朝 付き添いの母に言った

暗くなったら 窓をあけてネ

そして小鳥のように死んだ

眼はひと足先に死んでいて

雨戸をあけた窓の明るさが

識別できなかったに違いない

そのことを話すたびに

母は肩をふるわせて泣いた

その詩の最後で、父は我が家の五つの窓をあける。

それから

しずかに

誰にも見えない六つ目の窓を

あける

ただ黙然として泣かなかったから何もなかったわけではなく、

その時には自分の母に対していそいで泣けないほどの悲しみがお父さんにはあったのだ。


栩木伸明さんの場合───

シェイマス・ヒーニーの「カキ」という詩を読むと、

口中がカキ殻の内側の星空となって、涎が出そうになる。

いよいよ水揚げされる9月からのカキ、海のミルクの名にふさわしい。

「皿の上で殻がかたかた音を立てた

わが舌は潮が満ちてくる河口

わが口蓋は星明かり満ちるドーム

・・・わらぶき屋根と冬季も涼やかな日陰で

一日の行楽の完全な思い出を肩から下ろして

わたしたちは友情に乾杯した」


11,9/21(水)

累卵のあやうさ蛇の腹ならば

(水)台風15号夕刻、関東を通過中。


11,9/22(木)晴れのち雨

こっぴどくやられたものよ曼珠沙華赤い花なら秋になまめく

台風15号が日本を縦断して択捉の方に抜けた。

東北では仮設住宅にまで浸水した。

死者行方不明者はすでに15人ほどに。

東京は晴れた。

3時近くになってまた雨が降ってきた。

棚田の土手に咲いた曼珠沙華が稲穂と共になぎ倒された。


11,9/25(日)晴れ

マリヤの胸にくれなゐの乳頭を點てんじたるかなしみふかき繪を去りかねつ

(葛原妙子)

処女のままイエスを身ごもった聖母に、赤い乳頭を描きそえた暗い情熱。

そこに人の悲哀を見て、妙子は絵に釘付けになったのだろう。

愛憎の人である。


虫の音に坐す不思議かな虫月夜


鮎落ちて山一村の秋の暮


世にかくてつながるる身もすくはなん生けるを放つ神の恵みに

■放生会。室町初期の歌人の冷泉為秀


柚子坊の星降る夜は眠られず(作者不詳)

芋虫にして乳房めく足も見す(山西雅子)

乳房から暮れて砂丘にある余熱(高木葵)


「芋虫」でエクササイズ

ときじくの芋虫の葉の天をゆき

芋虫をイモムーと呼ぶかはゆらし

虫殺すての云い分や秋の暮れ

サコケイタイイタイ柿の葉の青く

山梨の方言では「サコケ」と云ふ。

柿の葉っぱにたかり、表面に生えている毛に刺されるとものすごく痛い思いをする。


オノマトペ四文字五文字や赤トンボ


秋めくや謎めくや帯婀娜あだめくや


ナロウパス砂の器や空高し


11,9/26(月)晴れ

かまへなくさくさくとして永平寺玲瓏として奕保遷化す

宮崎奕保えきほ不老閣猊下2008,1/5日、108歳(茶寿)だったといふ。


集い来て祝ふ今宵の誕生日真帆といふ娘のひとりなりけり

まだ嫁にもいかない一人のことと、

世界の中の唯一の個性ある人格の一人と。

チャコちゃんは家族の東北の旅から帰ってきてお祝いしてくれた。

妻は朝からテンパッテ料理の数々をこさえてくれた。

手羽先のオーブン焼きとポテトフライ、握り鮨の

ウニ、イカ、鯛、秋刀魚、甘エビ、卵、マグロ、ホタテ。

ローストビーフサラダ。

チーズスフレケーキ、枝豆。

隆正が進呈したワイン「オチョア」。妻

が云ふにはスペインのアラゴンのワインだと云ふのだが。


次々と席立つ人や国連でデビューと云ふも野田のしょっぱい

(9/26)野田総理の国連デビュー。

さて、演説を始めたが、みなさんの関心は地震を離れて、EUのソブリン危機に。

次々と席を立ってゆく。

■TPPの裏側は農業、というのも可笑しい。


泣き相撲子が泣かなくて親泣きぬ

生子神社


花道で花束渡す白鵬の俵に固き木村庄之助

庄之助固き俵に白鵬の花束渡す行司花道

(9/25)

お疲れさまでしたと。


11,9/27(火)晴れ

只管ひたすらにコスモスが揺れ赤とんぼ

すごいこほろぎ。虫の坐。

(火)乾いて晴れ、うすら寒いくらいである。

義憲くんは「strange fruit」を話したくて来た。

穂苅氏は槍ヶ岳のCDのオンエアー。

義憲くんは生ビール3杯で帰った。

少しさみしそうだった。

CDは2回半観た。

相変わらず素晴らしかった。


気は急くものの脚なへにしてとろろ汁

昼のおうどんに妻はとろろを摺って入れてくれた。


「忽然と打てなくなりしイチローをわが身の上に重ぬるこころ」(小池光9/29)


11,9/30(金)晴れ

ジンベエ(サメ)の海へ帰りぬふるさとのアクアマリンの水槽出でて

2011,9,29大阪市港区の水族館「海遊館」で約3年10カ月間飼育され、

7月に引退したジンベエザメの「海くん」(雄、推定年齢9~10歳)が太平洋に放流されることになり、

高知県土佐清水市にある同館の海洋生物研究所以布利センターの港から29日、

専用の水中担架ごと漁船にえい航されて沖に向け出発した。

5.5㍍の体長に。


色よりも香こそあはれとおもほゆれ誰袖ふれし宿の梅ぞも(古今集)


「牀前しょうぜん月光を看

疑うらくは是れ地上の霜かと

頭を挙げて山月を望み

頭を低れて故郷を思う」

李白の「静夜思」

■おしむらくは=惜しいことには、残念なことに

■のぞむらくは=望むことは。願わくは。どうか…であっ てほしい。

■うたがうらくは=疑ってみることには。恐らく。ひょっとして。


「鵙」

舌打つて鵙もずも月日も逝く如し 

河原枇杷男(びわお)

蹉跌の繰り返しの日々の人生の中ではたと思いを致す心の居ずまい。

千載集に、夏の頃の鵙を詠んだ藤原俊成の歌がある。

「頼めこし野辺の道芝夏深しいづくなるらむ鵙の草ぐき

草ぐきは草をくぐること。くく(漏く)という古いことばからだ。

草木の繁茂する季節には、茂みがくれにその姿が見えないというのである。

(横川放川・俳人11,10/1日経)

【通釈】 約束をあてにしてやって来た野辺の道芝は、

夏も深いこととて深く繁っている。

あの人の 住まいはどこなのだろう。

まるで百舌が草の繁みに潜り込んだように行方が知れない。

「鵙日和」「鵙の晴」


秋の野の尾花が末に鳴く百舌鳥の声聞くらむか片侍つ吾妹(作者不詳『万葉集』)

「うぐひすは今は鳴かむと片待てば/万葉 4030」ひたすら待つ


春されば百舌鳥草潜き見えずとも吾は見遣らむ君が辺りをば(作者不詳『万葉集』)


11,10/2(日)晴れ

moderate acceptable,quite comfortable 為替のことは皆おとななり

QE2は2010年11月3日、FOMC(連邦公開市場委員会)が決定し、

FRBは6,000億ドルの米国債の買い入れを行って大量のドルを市場に供給。

11,6末で終了。

(QE2)FRBとしてはきわめて快適(quite comfortable)だった。

ドルの減価は緩やか(moderate)で、許容可能(acceptable)。

結局はドル安を黙認する姿勢を。

円高独歩について同情的なそぶりを見せるものの

「単独介入はとても高くつくうえに、成功が実証されたことがない」とも指摘した。

自分のところはやさしく、他には厳しく・・・。


ゆりあげの門に水あり700の次郎流るる海の彼方に

閖上(ゆりあげ)


「鹿」でエクササイズ

鳴く鹿や尾瀬に雨降る杣の道

鹿鳴くやわれも泣きたくなりにけり

鹿鳴くや妻呼び寄せる傘の内

鹿鳴くや夜具を顎まで引上げぬ

岩冷へてカモシカの肌紅になり

曼珠沙華鹿踏み荒らし色もなし


蕎麦太きもてなしぶりや鹿の声(漱石)

新米の其一粒の光かな(虚子)

時計屋の時計春の夜どれがほんと(万太郎)


栗えびた孫子も笑ふ空笑ふ

丹波栗。


蒼穹にフォックスフェイス然れども


大陸に雲湧き原発の咄

中国の原発開発。

風は西から吹く・・・やれやれ。


家揺れればラジオの声も揺れにけり


列島の晴れゆき運動会の日に


大太鼓鳴りよき高き昔かな

子どもたちが小さい頃はみんな自分の体より大きいやうな太鼓をおなかに抱え。


早々と勝ち決めソフトバンクかな

王さんもゐて孫さんもゐて。


智笑