お一人様いらっしゃい

どうぞお入りになって

寄っていっておくなんなさい

ささ、どうぞこちらへ

寒かったでしょうね

お連れの方は、なんて聞きませんよ

こんな暗い夜に、お連れの方だなんて

ささ、熱いおしぼりですよ

少し気を付けて下さい

ゆっくりしていって下さい


お鍋はどうかしら

文字通りお一人様鍋

牡蠣も入れましょうね

お豆腐も入れて醤ひしお

春菊を飾れば少しは元気が出るでしょう

寒いことは寒いですね

後ろから抱き抱えてさし上げてもいいのだけれど

それだときっと気持ちがぐらついてしまうから

そんなことは男の人にはきっとたへ切れないことでしょうから

私はここで我慢するわ


牡蠣も、お豆腐も浮き上がってきたら召しあがってくださいね

きっと大丈夫ですから

信じていただいても結構ですよ

他言は無用に

牡蠣をいくつ召しあがったとか

お豆腐の掬い方に多少難点があったことなど

どなた様でも経験することでしょうから

云って見てもつまんない


さあ、そんなことよりも阿弥陀にしましょう

あなたが一杯飲んで

次にわたしが一杯飲んで

勝った方がまたすぐに負けになる

阿弥陀籤くじに入ってゆくと

すぐに迷路になって

出てみたところがまっさらになって

孤独がいや増す

いやだ、いやだ


阿弥陀はでもすっきりしていていいじゃありませんか

嘘もいつわりもなくまっさらで

白い紙に書かれた線と線が

まあ、ひょっとして手が震えているじゃあありませんか

何か不吉なことでも

鉛筆の線が濃く薄く震えて

まるであなたの人生そのもの

かすれて左右にぶれたりする

いいえ、なにもそのようなことじゃあありません

何も詰なじっているわけではありませんよ

ただ、あなたは不安で

あなたの不安がわたしのようなものにもきまって不安で

でも、だからといって誰か呼ぶような真似をしませんよ

そんな卑怯な、

人を落とし入れるような


あなたが何かを云おうとするとざわめくようなやじに見舞われた

不慣れな受け身になった

あなたは固唾をのんでゐる

それが唾液なのかアドレナリンなのか分からない

こんな日には本当に心細くなって

心底誰でもいいからそばにいてほしいと思う

だって右がいいのか左の方がいいのか本当に運命の分かれ道

地獄が天国のことだもの


なんでずっとそんなに長いこと黙ったままでいらっしゃるのかしら

長いこと俯いたままで湯気があなたの顔を隠す

怒っているのか喜んでいるのかさへ分からない

でも、何度もくどくなってごめんなさい

お豆腐が鍋の中でくらっと浮き上がると

あなたもどういうわけかくらっと傾く

何度もくどくいうけれど

でもそれはあなたを別段詰っているわけではなく

ただお豆腐が崩れて少し残念だな程度のことで

気に障ったらごめんなさい


いじれったいわね、もう

どうなさるおつもりなのよ、一体

お連れの方がいらっしゃらないのは分かっているけれど

でも、どうしてこんなに待たせるのかしら

もう、12時を過ぎれば明日になる

明日になれば事がまたいっそう面倒になる

そうおっしゃってたのはあなた自身だったわよね

「時に、我々は別々だった方が良かったのではないかと思う・・・

同じ道を歩むのに似合いの相手ではなかった」と(太い声がする)

「それははっきりしない」と連れが言う

すると(あなたは)は

「そう、確かなものは何もない」と言うのだ


ずいぶん長いこと黙りこんでいたわよね

明日になった

とうとう12時を回ってしまった。

お勘定は、とあなたは突然言う

私ははじめてその時あなたの顔をまともに見たような気がして

でもそんな真剣な顔つきをいままで見たこともなかった

私がさっとレジのところへ行って戻ってきたら

でもあなたはもういなかった

腰をおろしていた辺りはすっかりもぬけの殻で

私が玄関に行きかけたら

ドアが少しばかり開いていて

そこからひゅッと風が入って来て一瞬渦を巻いた

「お勘定は」、と云ったら

心底そこには紅葉の色をした葉っぱが一枚落ちているばかりで

ドアを開けて外へ出る

通りには顔が薄暗がりになった大勢のお一人様が

ざっ、ざっ、と行進しているばかりだった。


倉石智證