まこちゃんは私の姉になる。

家は貧乏でまこちゃんは中学に入学早々隣りの村の別な中学へと転校していった。

隣り村のある人にもらわれていくことになったのだ。


息を止めてあそこまで歩いていけば幸せになれるよ。

息を止めて歩いて行けるほどに、それには注意深く熱心で、辛抱強くある必要がある。


11/20(日)雨、

夕食はおでん、カンパチ刺身。野沢菜漬け、茗荷の甘酢漬け、紫蘇の実の醤油漬け・・・

───秀国さんだよ。

おら、恥ずかしかったな。

兄貴の結婚式にな、蔵春閣でな、みんな兄の同級生がいるなかで、

「俺、まこちゃんね、初恋だったんだぞ」てな、

まあ、勇気あるってか、頭可笑しいぞ。

まあ、わたしが集団就職で名古屋に出る時だって、

あのぼろぼろのガラス戸開けてな、まこちゃんどこ行くんだぁ、つぶれた呉服店開けてな。

おらんとこで働かねか、て云ってくれたら働いていたかもな、

縁がなかったんだ。

雨宮のばーあさんも、一宮の伯父さんも来てたな。

まだちっちゃかった娘のマユミや、みゆきのリボンからみんな揃えてな、兄の結婚式に。

秀国さんは、おらのことかあいらしいな、ていつも見ていたんだ。

おめ、秀国さんち(行)えってねが。

いや、えってるさ、絶対。

山働きの帰りに、だって、みんな行動一緒なんだもん、あのころは。

納豆屋は、えらいもんだよ、

機械が動いて藁苞じゃなくてあの発泡スチロールのあの器に納豆が次々と収まっていく。


秀国さんちのとーさんはハイカラだったな。

あのころ乗馬ズボンみたいの穿いて、きゅっきゅっきゅっと歩いていた。

たっちゅうさん、覚えてねが。

そのたっちゅうさんが佐藤病院に入院してきた。

何十年かぶりで秀国さんが来たな。

「まこちゃん、いるかや」

不思議なもんだね。


長い紆余曲折の後、まこちゃんちの鋳物工場兼自宅が、工場団地の造成のため売れることになった。

そのころ佐藤病院には脳梗塞を発症した後のわたしたちの父親が入院していた。

リンゴ畑の外れの奥に、新しい家を建て始める。


「まこちゃんの家触ってから死にてえ」なんて云っていたけれど、

あれは頭脳犯だな。

入院してきてからわたしはまだ病院で働いていなかったけれど、

なにかの本で読んで松葉を噛ませたら云いという、

オヤジも真剣に松葉を噛んだ。

芝のちくちくしたところもさんざん歩かせた。

父がよくなってきたときはほんとうに嬉しくて、病院にお礼を云うと、

「医者が治したんでね、オメサだ。おめが治したんだ」って云われた。


あんなオヤジねど。

貧乏のどん底だったけれど、修学旅行、みんな行かせなかった。

直江津も毛無山も行ってね。

おめ、行ったが。

おふくろの実の母が死んでもな、オミトばーさんだよ、

まったく60歳で畑で農作業の最中に死んでしまった。

心臓だな。

その実の母親が死んだっていうのに、あのえっこくオヤジは自分の妻に、

実の母親の葬式に行くなって。

おふくろはほんとうに可哀想だった」


外は氷雨が降っている。

窓ガラスには細かい水滴が無数に張り付き、いつ雨が雪になってもおかしくない。

RIEさん、腹、いっぺえだぞ。

TOMOもそんなに注がねえでくれ、何杯呑んだんだかわがんねぐなる。

まあ、心配だったけれど、今年の野沢菜漬けもまあまあだ。

野沢菜漬けな、水から顔出さねえようにしてな。


父ときたら、煙草ばっか吸ってら、

酒もほぼ朝からと呑んでたな。

あんなんでもおっかさんが居なくなってさみしかったんだ。

そのオヤジも最後のときが来る。

トイレに入って気張った瞬間に脳の血管゛切れたらしい。

「何かせわっしゃい、何かせわっしゃい」って

わたしなんか父の脚を叩いて声をかけ続けて焦ったものだけれど、

兄は、まだ息してるんがい、

と無情なもんだ。

みんな、おかしいさ。

父だってね、お袋が死んだすぐ2、3日もして、

まこは知ってるのに隠してるってな、

ふざけたごとせってるさ、

箪笥やらなにやらあちこちを探し始めた。

何処から漏れ聞いたのか知らないけれど、お袋は父に隠してお金を仕舞っているというんだ。

確かに探していたら40万円が出てきた。

それはお袋の弟の、当時事業で絶好調だったエサあんちゃんという叔父さんが、

これもまた50歳の男盛りのそのときに野沢温泉で倒れ、

これが最後かというときに姉であるお袋に託したお金だった。


まったく、ふざけてるなぁ。

お袋が死んだあとも年金かな、7万円ほども出てな、

お宮さんの下の足袋屋にわたしが毎月もらいに行ったもんさ。

なんなんだろうね。あそこが窓口になっていた。

お袋なんかずっと働きづめさ。

柳沢の引き込み線路の外れの上野さんの袋工場がつぶれたあとでも、

今度は岩井の袋工場まで働きにえってたからな。

「えー、駅は田上しかないんじゃないの」

「そうさ、あそこの駅からまた歩いてえったんだ」

「雪の日なんかえらいなぁ」

岩井の隣はもうすぐあの豪雪地帯で有名な飯山になる。

お袋はそれから最後に自分の弟の事業会社、エサあんちやんの工場で働き始めた。

体調はしょっちゅう具合が悪く、お腹が慢性的に張って微妙に痛かったようだ。

最後の最後というときに自分で北信病院まで歩いていって、

そこの玄関で意識不明になって倒れた。

盲腸が破裂し、すでに腹膜炎を発症していた。


煙草ばっか吸ってら、酒も朝から呑むし・・・


まこちゃんが佐藤病院で今度働くようになった。

まこちゃんは父の面倒をみるようになった。

ちんちん掴んでな引っ張り出してやって、おしっこまらせてやって、

ウンコだったな詰まったら、指で掻き出してやった。


家は貧乏のどん底になり、

まこちゃんは隣の地区の学校の小使いさんちにもらわれてゆくことになった。

それてまこちゃんは隣の科野中学に通うようになった。

今まで通っていた倭中学の山本先生も心配になって科野中学まで足を運んだ。

まこちゃんは小使いさんちの貰いっ子になったけれどストライキを起こし、

すぐに柳沢の自分のうちに戻ってくることになったが、

中学校だけは科野中学にそのまま通うことになる。

いずれにせよ村のはずれからの通いになった。


中学3年になった。

貧乏は相変わらずで、父も相変わらずの酒浸りである。

担任の先生が云った。

「高校へ行けなかったら、せめて日赤受けろ」

そうしたら父が云うことには

「そんなんしたら、男みたいになっちゃうからいけね」って、

まったくわけ分がんねな。

中野実高あたりならすぐ受かったらしい。

日赤に行っていたら今頃わたしは婦長さんさ。

それが今では佐藤病院で介護のお仕事。

看護師がほいよ、と出していったゴミを、

夜中の11時や朝の4時にゴミ捨て場に捨てに行かなきゃならない。

寒いときなんかはな、

「この馬鹿おとっつぁん、てせってやるんだ」

科野中学の担任の先生だって、柳沢の家までわさわさ来てくれて、せってくらったんだ。

まったくな、さんざん苛めた子供に助けてもらうなんて、おかしいな。


わたしが紡績工場に行ってるときだってそうさ。

能天気なもんだ。

名古屋の一宮に伯父さんに会いに来る用事の方々、わたしのところにも来た。

一宮の伯父さんにはほんとうに可愛がってもらったものだが、

それでね、さて帰ろうというときにお土産選びになる。

赤いスカート選んでな、

「まこちゃん、これがいいがな。やっちやんにはこれが似合うな」

「かあさんには、これがいいやな」

やっちゃんは11歳離れた妹のことである。

みんなわたしが払うんだけどね。

故郷には止むにやまれぬ妙な桎梏というものがある。

愛憎は裏腹になってときにひっくり返る。

息をつめて歩いてゆかなければならない。


翌日になった。

冷たい雨はまだ外に降り続いている。

カイチが猛然と寝床から飛び出してきた。


カイチ、ゴセンジャーも叶わんな、雨が降って、今日のお出かけどうしようか。

まこちゃんは孫のカイチに話しかける。

お山には紅葉が来ている。

杉の林の黒い緑の間に紅葉山が黄色や深く橙色に色づいている。

窓から見やるとグランドには、潦にわたずみが白く鈍く浮いて、

テニスコートのずっと向こうに山が白く靄の中に霞んでいる。

さらに奥の方の神立や、

そのまたずっと奥に聳えているはずの神楽三椏の連山は白いガスの中に隠れている。

雨かとしばらく見ていたら、雨粒の中にどうやら白い雪片が混じってきているやうだ。

おばあちゃん、雪が降ってきたよ。

襖越しにカイチが声をかける。

だめだめ、きょうはゆっくり休んでもらって、な、

おねーさん、未だいいですよ、ゆっくりしていてください。

5時半ころ一度カイチとお風呂に行ったらしい。

でもそれから、カイチはお布団の中にいられなくなった。

まこちゃんはまた布団を少し頭の方に引っ張り上げた。


カイチ、カイチ、カイチ…

4歳になったカイチも必死になって頑張ってんだ。

昨晩はさすがに夜遅くなって泣いたものな。

大人と大人の間に挟まって、

自分でも聞き取れない話ばかりが永遠と続くので急に心細くなったんだ。

寝てんのかと思って炬燵にうつ伏せになっているカイチを起してみたら涙を浮かべている。

「カイチ」、と抱き起してみれば、そのままわッと泣き出した。


朝は「3.11」の話で始まった。

まこちゃんはその時、佐藤病院にゐる。


しかし、ふんとにすごかったなぁ。

ほんとにざーっとな、黒い水があふれて流れてきたな。

病院では手分けしてみんな上のほうから患者さんを1階へ降ろして、

それからみんなでTVを見ていたらさ、

すごかったなぁ、この世の事には思えない、

あんなことは見たこともない、えらかったなぁ、

それから、原発だなんて、踏んだり蹴ったりだ、

原爆、受けていたというのに、どうなってんだ、懲りないんだな、

誰か云ってたな、天罰だってな、

えらかった、家がひし形になって、ついにダメかと思った。


おねーさん、どうですかこのサラダ、

おねーさんとこの白菜でサラダをこさえてみました。

やっこくてうまいじゃない。

白菜使うにはエーハン(かなり)皮むかなきゃだめだ、

だいじょうぶだったが、

新鮮なんだなやっこくてしゃきしゃきしている。

さてまた朝から乾杯だ。

げんき、げんきでありがと。


ドコ、ドコ、ドコ、チカ、トォー。

ゴセンジャーのカイチが炬燵にようやく座る。

カイチ、パン食うとき顔を前出せって、せえってるのに、パン食べなきゃ。

また賑やかになる。

顔、前へ出せってせってるのに。

もう、どっかべちゃっとく(捨てる)とこねえがや、きょうはその穴探しだ。

カイチがいないと平和だ、おばばに平和がやってくる。

云うこと聞かないとおばばはカイチを小包で送り返しちゃうぞ、

静かになっていいな、おばばは平和になる。

だが、カイチはそのおばばの2枚も3枚も上を行くさらに心理学者になる。


玉ちゃんの妹の康子ちゃんちのあそこの石垣の下でよく遊んだもんだな、

「なすの皮引ん剥いた」

「なすの皮引ん剥いた」

何が面白かったんだろな、鬼になると腕を前にして顔を隠し、

それからべっッと後ろを振り向く。

後ろの人たちはざっ、さささと鬼の後ろに迫って動くのだが、

べっッと鬼が振り向くときには立ち止まりここんだり、立ち上がったりして、

みんな何食わぬ顔をしている。

鬼が振り向いたときにぐらりとでも少しでも動いてしまっていたらその人が今度は鬼になる。

気付かれずに誰が鬼の背に一番早く近づいて鬼の背にタッチできるか。

ばらばらと隠れたり、さっ、ざっざっと現われたり近づいたり、

いったい何があんなに面白かったんだらうね。


カイチは心理学者になる。

ますます無邪気に、だが注意深く耳を済ませているやうだ。

無邪気な眼が見開かれておはばや妻の顔をかわるがわるのぞいている。

明おとーさんは中野の茸培養会社に勤めている。

ある朝おばばが夜勤明けから帰ってきたら、明は家に子どもを連れて座ってた。

女房と別れて来たんだ、と云った。

カイチはまだ2歳で、それからずっと明おとーさんとカイチはおばばの家に住むようになった。

夜はお化けが来るからおとーさんを呼ばなければならない。

悲しくなった時なんかはカイチはいつも心底そう思っている。


おっかさんにいろいろもっと聞いておけばよかったな。

おっかさんのおやきこんなでっかくてな、

真似してつくって病院にもっていったらわぁー、爆弾だって。

おふくろのはナスが丸々一個おやきに入っている。

茗荷の葉っぱや桑の葉っぱ引っ付けてな、いい風味が付くんだよ。

でっかいと蒸かすのに時間がかかる。

おっかさんのなすの焼餅、どっから食うかいつも迷っちゃう、

皮を先に食おうか、実を先に食おうか、

どっちもうまいんだもの。

まったくな、間に合わなかったな。

鼈甲色になった野沢菜漬けも、茗荷の甘酢漬け、紫蘇の実の醤油漬けも、みんなだな、

梅漬けなんてあのでっかい豊後の梅漬け、7月近くにならないと売りに出ない、

何回も何回もやってみる。

おやきはお袋の味じゃなくてなんだか市販されているお店の味になっちゃった。


ヘルパーさんが見付けてくれたんさ。

兄の方じゃなくてな、私の方に電話があった。

若かったんだ、あんな重いおっとさんを2階までおぶって運び上げたんだものな。

しゃべんなかったからガムを口に放り込んで噛ませ続けた。

やっと喋れるようになったら今度は周りの人たちを馬鹿にするやうなことを喋った。

まったく偏屈なへんな親父だった。

先生に頭は洗わないでくれって云われてんのに、毎朝水道で頭洗った。

内緒でこっそりストロー付きの日本酒を差し入れたのに、

バカオトッツァン、隠してちょこっと飲めばいいのに、どうどうと飲んで、

気持ちは分かるけれどさ、と先生に云われた。


わたしやTOMOたち子供たちに道祖神に出るなって、

あんな偏屈いないよね。

それで村長選に出るなんて村の人たちに受けるわけがないよな。

最後まで支援してくれた炭焼きさんちの屋根の棟の下に、

父の選挙ポスターがずっと貼ってあった。

雨風に叩かれてしまいにははがれてしまったけれど。

莫迦なんだかお利口なんだかさっぱり分からない。

水道で頭洗う自分がえらいと思っている。

ぼんやりと自分の周りで寝たり起きたりしているほかの患者仲間を馬鹿だと思っている。

みんなちょーっくれえだと自分のことを棚にあげて。

あのころの佐藤病院なんてでも、

たしかに呑んびりしていたもんさ。


カラッコロ下駄穿いて行ってコンクリートにオシッコぶつけてまるようなトイレだったもの。

今は病棟だけでも5つも6つにもなって、

なあ、介護は儲かるんだな、

ケアハウスに別館に精神科に、他の場所にも今計画中にもあるらしい。

おっとつあんが入院した。

冬になると寒くてな、豆炭熾こしてアンカに入れてやって眠えらしてから帰った。

トイレにだって未だ新聞紙が積んであって、

お尻を拭く新聞紙がぼっとん便所に前の人がしたのが落っこちている。

酒なんかどうどうと飲めるわけさ。


あのころ中学の時の先生の云うことを聞いてたら今頃日赤の総婦長さ。

そしたら今みたいに看護士さんたちが出すゴミの始末なんかもしないで済むし、

患者さんのウンコやオシッコの付いたものの洗濯だってしないで済むし、

前掛けだってなんだって洗濯して大変だよ。

それを洗っていちいち干さなければならない。

入浴のお世話も大変だ。

1日12人くらい。

今では看護椅子のまま風呂場に連れて行って入浴させられるけれど、

それでも認知の入った呆け老人は大変だ。

噛みつく人もひっぱたく人もいるからね。

お尻の穴洗ってやったり、おちんちんの皮引ん剥いて滓を洗いとってあげる。


カイチ、こら、カイチは左手どうしたん。

左手さんいらねえの。

いらなくなったんがえ。


どうしたら下着からウンコがよく離れ落ちるのかばっか考えている。


カイチは左手を食べ物のお皿にちゃんと添えなくてはいけないよ。

お行儀よくしなければならない。

ほら余所を向いて食べ物をぽろぽろ下にこぼさないの。

顔前へ出せってせってるでしょ。


ほんとだよ、病院で患者さんの面倒見たり、

家に帰ってきたら息子やお気楽とうちゃんや孫の世話まで見なくちゃならない、

毎日がわたしにとって仏滅だな。

まったくな儲ける人たちはコンピューターの人たちか介護の人たちだな。

呆け老人たちはたいていは子供たちにも見放されて、

夜になるとベッドに結わえ付けられたり、

首んとこのここまてだよ、チャックをずーッと上げられて拮つくなって眠るんだ。

それでも朝になって血だらけになっている患者さんもゐる。

まったく儲けてばかりいる。

まったく空とぼけてらっしやるよなぁ。


72歳くれのこんじゃねがえ。

眼の白内障がひどくなってきてものが見づらくなって来た。

北長野の長田さんとこへ連れてったさ。

評判の眼科だったからな。

一週間くらいだったけれど付き添いでベッドの横で寝た。

おとっつぁんは

「こんなに世の中よくめえるもんか」と喜んだもんさ。

でも、時々そういうことをおとっつぁんは全部忘れる。

おっかさんにあれほど迷惑かけたことも、

最後まで少しもやさしくならなかったことも、

兄をろくすっぽ中学に行かせられなかったことも・・・

わたしは科野中学に転出して、中学を卒業したら紡績工場に行った。

父はわたしが未だ小学生の小っちゃいときに

足の甲にあっちっちの薬缶の湯をぶちまけて火傷をしてしまったことがある。

わたしは学校で劇の練習の最中だったのに呼び出されて早引け。

家に帰ると、わたしが隣村の薬局のオコウさんまでダマリンを買いに行かされた。

村はずれから田んぼの中の県道をずっとだよ。

子供の足で片道急いでも40分だな。

帰りももちろん歩いて帰らなくちゃなんないし。


うちの反物商売がうまくいっていたのはわたしが小学校4年生のころまでだったのでしょう。

おべぇて(覚えて)ねが、おっかしいな、二つしか違わないのに、

TOMOなんかしょっちゅうわたしんとこ引っ付いていたのに、

おべぇてねが。

あのころ倉石さんちの呉服店でたくさんお買い物をしてくれたお客さんに籤引き出してな、

1等からなん等までかしんねけれど、上位のお客様たちを中野の中野館という料亭に招待した。

中野館は大湯の隣さ。

ずらりとお膳が並んだお座敷、

わたしはあの時初めて秋刀魚のフライというものを食べて

世の中にこんなにうまいものがあるんだと興奮した。

1階のな、ちょつとした座敷に襖が少し開いていて、

覗くときれいな方がなにか爪弾いている。

あれが後で分かったことだがずいぶんときれいな調べてお琴であることが分かった。

しばらくずっとあこがれたもんさ。

おべえてねがね。

ボテ屋さんの娘さんの仲介をしたときなんか中野の蓬莱屋からお寿司の出前まで取ったんだ。

親父は見栄っ張りだったけれど、あのころはまだ羽振りがよかった。


世の中がどんどん進歩して行くにつれてわたしんちはどんどん傾いていった。

屋根瓦の上に据えつけられた拡声器から

父はレコードで子供の童謡や三橋美智也の「別れの一本杉」、ときに観音経まで流したりする。

そしてその合間合間に、みなさまきょうもお仕事、勤労ご苦労様でございます。

地下足袋は「旭地下足袋」、学生服は「東郷学生服」、などとやっていたもんだが、

モータリーゼーション、県道の砂利道に次第に自動車が走り出すころになると、

舞い立つ真っ白な土ぼこりの中に店舗も埃の中に薄汚れてきて、

たちまち商売は左前になっていった。

やがて、差し押さえの紙がぺたぺた貼られるようになった。

裸電球の下でおおきい大人が泣くのをわたしも初めて見た。


農協に借金していたんじゃねえの。

わたしが子供なのに三郎さんちに保証人の判子をもらいに行った。

子供なのに。

自分でやれって。

みんな神様みたいなもんだ。

今じゃ人にそんなことしてられねえな。

でも、あれは今考えるとみんなおっかさんの人柄で動いてくれだんだ。


柳沢のたこちゃん、みどりちゃんの上の方の家だよ。

おとっつあんと二人くらいの子供が暮していた。

満州から引上げるときに、そのんちのおっかさんは子供を負ぶったまま敵兵に囲まれて、

ベベッて殺られちまったんだ。

うちのおっかさんは見かねて

引上げてきたそんな子供たちの散髪やらなにやらやってあげたらしい。

田上にもあったんだ。

満州から引上げてきた貧しい人たちの長屋が駅の近くに列になっていて、

そこでもお袋は何かと面倒をみてあげたらしい。

それなのにうちの親父ときたら、

遊んじゃいけねって、

そういう子供と遊ぶと虫が付くって。


みんな仏様か神様だ。

みんなよくしてもらった。

えらい時代だったもん。

お隣が三井さんち、土間を上がると板敷きですぐその奥がひと間、窓が一つ開いているだけ。

清子ちゃんと正夫ってのが居たな。

TOMOより下だ。奥さんきれいなひとだよ。

でもトイレがないから夜中なんかションベン桶にでもひり出してたんがえ、わかんね。

しばらくしてから耕造さんちの離れに引っ越していったな。

道上のユー坊んちの離れ家族もえらかったな。

やっぱし土間から上がると一間だ。

風呂はユー坊さんちに借りにいったんだ。

みんなよくやってたさ。

貧しい長屋みたいな部落は、村のはずれに寄り添うように固まっていたりして、

千曲川の北の岸辺の上の方にもあった。

穢多、非人ほどではないが、村八分のような付き合い方をさせられた。


二度寝しろカイチ、そうすればはばに平和が来るから。

ところがカイチは眠るたびにさらにエネルギーに満ち復活してくる。

いい時代になったさ。

カイチはおばばの股座に入り込み、なかなか出ていかうとしない。

カイチはときにわがままに振舞うが、

笑い、泣き、すねて、喜ばす、心理学者そのものになった。

まこちゃんが云ふには中野のえびす講にジンタの調べが流れ、

小雪がちらちら舞う中に白衣の脚のない人や、眼に眼帯をした人たちが物乞いに佇つ。

まこちゃんが云ふには終戦後、十三崖には引上げの人たちも大分住んでいたと、

「あのチョウゲンボウの」わたしが聞くと、

さうだ、と答えた。

何しろ今は平和に豊かになったものだけれど、あのころはみな紙一重で暮らしていた。

よくやってたもんさ、とまこちゃんはまた繰り返した。


えっこくな親父は佐藤病院にゐる。

夕食も済んで家にゐると

「まこ、まこ」と電話があった。

「まこか、来てくれや、うんこ洩らしちゃった」

夜になっているのに駆けつけると、

おとっつぁんの股引の足首までウンコがびっしょりと洩れていた。

不思議に汚いとは思わなかったな。

へんなもんだね、やっぱり親子なんだらうか。

親父は機嫌よくなったが、すぐ翌日からはけろっと忘れてまた

「まこ、まこ」とひとのことを顎でこき使う。


倉石智證