最初の人類はアフリカの森に住んでいた(トゥーマイ)600-700万年前とされ、
すでに立ち上がっていた。
草原で暮らしていた約200万年前には脚が長くなり直立が完成したという。
進化した理由で有力なのが手でモノを持ち運ぶようになったからという運搬説。
直立はモノが体の重心の上に来るので中腰より楽に運べる。
オスはメスに気に入られようとモノを持っていったのだ(プレゼント説)。
樹上で暮らしていたのも良かった。
股関節の柔らかさが直立歩行には必要だった。
(賀川雅人・編集委員09,3/9日経)
1978年、タンザニア北部のラエトリで「アシアト」が発見された。
これこそが人類の足跡であった。
アウストラロピテクス・アファレンシス(初期人類※「猿人」とは云わない)。
この人類にはチンパンジーと同じ大きさの脳しかない。
顔かたちは私たちよりもチンパンジーに近い。
石器さえ知らない存在ながら、彼らはなんと立って歩いたのだ。
「猿よりも脳が大きくなりそれを支えるため立ち上がったのが人類」
と言う説が覆った。
「アシアト」は初期の説は2人だったが、
(大柄な男=150㌢ほどと赤ん坊を抱いた女=120㌢程度が歩いているという仮説)
3人であることがわかってきた。
先頭を行った大柄のほうが(=150㌢)、
その大柄な足跡のなかに、もう一つの小さな足跡(=140㌢ほど)が点々と見つかったのだ。
つまり妻は先に行った夫の足跡をなぞり
子ども(=120㌢)を連れて夫のあとを追いかけた。
同時期にヌーに似た動物の大群が通った足跡も前方に発見されている。
男性の使命は狩りだ。
先に獲物を追いかけていったお父ちゃんを妻と子が追いかけていった。
近くに噴火する火山があった。
地面はぬかるんだ火山灰で覆われていた。
スコールがやんだばかりで、地面には雨粒の迹も残っている。
そこに通りかかったのが三人である。
彼らが通り過ぎた1,2時間あとに大きな噴火が起り、
新しい灰が彼らの足跡を=360万年間保存することになる。
現地で発見された足跡は全部で=54。
足型は二筋になって並行に伸びていた。
彼らは歩調を合わせて歩いた。
身長とその歩幅から類推すると急ぎ足である。
曇天で火山で振動する大地を家族はくっ付きあって寄り添うように歩いていった。
(藤原智美・作家09,3/8日経)
私たちの先祖は大昔、すでに家族という形を持った。
飢えがいつも家族の上に覆いかぶさり、
獲物を求めて先に行ったお父ちゃんのあとを追って
妻子は寄りかたまるるようにあとを急いだ。
「火」の原型はすでに危険極まりない火山とともにあった。
二足歩行する人類は、骨盤の形が四足歩行する動物より出産に不向きになる。
胎児は未熟のまま産み落とされ、つきっきりで長い間育てなくてはならない。
それには育児、狩りという分業が必要になった。
経済厚生=分業と云う形。
TPP=世界分業へと引き継がれてゆく。
「果実食者」としての森林のチンパンジーは個人主義、
地上に降りた猿人は狩猟採取時代において
食べ物は公共財、協力して狩猟する、木の実を植える、蓄える。
どこかに就業することでそこに社会が誕生する。
また子育てに関しても子どもが自活できるまでに時間がかかる。
生存率を高めるために特別な行動が見られ、教育はその一つ。
チンパンジーでは積極的に教えるということはない。
子供は親を見て自分で学びとるだけ。
知恵を共有することや、分配やごまかしの峻別などの能力を磨くにつれて
脳の発達も促されることになった。
僕らが持っている心のつくりはそもそも進化の過程で利他など社会的基盤から発展した。
■コンビニでも(個食化)核家族や独身世帯化などは
人間の心の作りからは本来そぐわない発展経路である。
(長谷川寿一・動物行動学者11,8/6)日経
火と石器を使い始めた「原人」は200万年前~、
死者を埋める風習はネアンデルタール人ら「旧人」にも10万年前~。
「猿人」「原人」「旧人」「ホモ・サピエンス(ヒト)」を含めて人類とくくる。
ヒトが海へ進出(海産物の利用など)12万年前~、
身体の装飾品7万年前~、
芸術作品(壁画など)4万年前~。
「技術(文明へ)」「宗教」「文化」めいたものがでそろって来た。
現生人類に特徴的な遺伝子として、
精神や認知の発達、代謝、頭骨や胸骨の形成に関わるものなども見つかった。
オノマトペは感覚による抽象。
オノマトペが伝える感覚(人間)の深部をのぞく。
『「ぐずぐず」の理由』鷲田清一著。
(オノマトペ)ぐずぐず。ふわふわ。わくわく、ぼろぼろ。
いらいら、しとど、しっとり、かさこそ、ぽっくり、だらりの帯、
「ジリジリとベルが鳴る」「じりじりした思いで待つ」
■世界の感触に対する越境する感覚の総動員がなされ、
まぎれもなく他者への働きかけのために、
絵や歌が生まれる時と同類の衝動から、
音は最初に在った、意味が後から生じた。
概念が自己リレーする。
オノマトペでしか表せない「世界の感触」、
人間が人間となる瞬間なのかもしれない。
(蜂飼耳・詩人11,11/13日経)
人類の文化依存性が他との生物との生存の違いを形作り、種の存続を可能にした。
幼児期が長いということがある(幼時形成熟「ネオテニー」)。
大脳皮質・前頭葉を発達させ概念化思考は言語の獲得に成功した。
シンボル化などの価値判断は「文化的」メッセージとなり、
他の生物との差を圧倒的にした。
遺伝によらず、学習によって集団内部に広がり、
価値判断により選択され、世代を超え伝えられる。
(生物学的遺伝から集団社会的遺伝へ)
集団内で正しいアルゴリズムを獲得できるかどうかがその集団の存続維持につながる。
それは生活様式であったり伝統、および産物となった。
しかし、このころはまだ狩猟・採取の時代でもあった。
やがて人類は農業と、牧畜と貨幣によって文明を形作るようになる。
プロメテウスの「火」を得るようになって果たして人類は幸福になったのか。
アウストラロピテクス属(猿人)とホモ属(原人)の混淆・平行は約200万年まえ前後。
ミッシングリンクがあって
ホモ属(ホモ・エレクトスなど)がはっきりと現れたのが180万年前ころで
彼らは石器と火を使うようになっていた。
原人の「アウトオブアフリカ」はそのころ(約180万年前)から始まり、
中国(北京原人)やインドネシア(ジャワ原人)まで広がった。
一部は欧州に進出し、約20万年前に旧人のネアンデルタール人に進化した。
ネアンデルタール人は現代人より脳が大きく、がっしりとした体格で、
毛皮をまとっていたとされ、西アジアまで広がったが絶滅した(約3万年前)。
彼らは未分化の言語のようなものを持ち、
赤ちゃんをあやしや恋人たちを誘うとき歌うような声を出した。
死者を埋葬する風習も有していたとされる。(11,4/23倉石)
旧人と現生人類(ホモ・サピエンス)は
数十万年前にアフリカで共通の祖先から枝分かれした近縁種で、
ある時期、地球上で共存していたとされる。
そして現生人類のゲノムにも旧人由来のゲノム配列が見られることが
最近解析され(2010,5月)、
つまり、ゲノム解析からは少数ながら現生人類と旧人の混血の存在が確認されたのである。
だが、アフリカで枝分かれした現生人類(ホモ・サピエンス)は
7,8万年前ころからまず中東に進出し、
他の人類を圧迫、征服しながら世界に広がっていったようだった。
分捕り経済、征服経済が始まった。
大航海時代から植民地主義、帝国主義の原型がすでに人類には内含していたということだ。
(11,4/23倉石)
松沢哲郎著「想像するちから」という本がある。
冒頭のエピソードに心が和む。
著者が初めてチンパンジーのアイと会った日のこと。
アイの目を見ると、アイも著者を見つめ返した。
袖当てを腕からすーっと抜いて渡すと、すーっと自分の腕に通した。
驚いていると、すーっと腕から抜き、はい、と返した。
この瞬間、「アイ・プロジェクト」が始まる。
そしてプロジェクトの究極り目標とはやはり「人間とは何か」という問いかけである。
アイが言葉を覚えたことで有名になったように、
私たちは彼らがいかに優秀であるかに目を奪われがちだ。
だが著者が示すのは、逆に人間のユニークさ。
見つめ合い、模倣し、手をさしのべ、欺くなど、
人間が4、5歳までに行う過程のほとんどがチンパンジーにもある。
だが明らかにないものがある。
役割分担や利他性の先にある互恵性。
自分の命を差し出してでも他者に尽くす、自己犠牲だ。
手掛かりの中にチンパンジーが
人間の成人より瞬間的な記憶に優れているという研究成果があった。
「トレードオフ仮説」を立てると、
人間は瞬間的な記憶を失う代わりに言語をもち、
対象をシンボル化する能力を得たことになる。
子育てや狩猟など、必要な情報を仲間と共有するにはそのほうが好都合だからだ。
「今ここ」を生きるチンパンジーは、だから明日を思い煩うことはない。
一方、明日を想像することができる人間はたやすく絶望する。
だが絶望するのと同じ能力、つまりその未来を想像するという能力があるからこそ、
人間は希望も持つことができるといえよう。
タンザニア北部のラエトリで「アシアト」、360万年前の足跡である。
火山の噴火が鳴動する。
おまけに大粒の雨まで降って来た。
ヌーら式獲物を追いかけてとーちゃんが先に行き、
その足跡をたどるようにかーちゃんは子どもを抱きかかえるやうにして後に従った。
最初の家族かもしれないし、
最初のプロメテウスへの予兆かもしれない。
家族を得て人類はまた深い混迷に陥ることに、
火を得て人類はまた文明の混沌を知ることになった。
「悪いとは云っていない、怖いと云っているんです」
原発における問題は「接近」か「回避」かの問題である。
「回避」は心理であり、短期的な情動に近く、
あるいは「接近」は長期的物事の考え方で前頭葉に近い。
人間の行動では心理的要素は重大であるが、
経済合理性は暮らし向きに直結する。
そして、プロメテウスの「火」以来、「接近」か「回避」かのせめぎ合いが人類の歴史となった。
ところで日本人は歴史的には物事を回避するのではなく、物事に適応してきた。
日本人には古くは藤原家と天皇家との補完関係があり、
後には武家と天皇家の並立的存在関係が維持される。
そればかりではなく、仏さまと神様さへも時に神仏混合、
権現様やお狐様も、その位置をくるりくるりと行ったり来たりしている。
一軒に神棚があり、祖先を祀る仏壇がある自在さである。
つまり、かっても現在でも日本人には外つ国のやうな二項対立は見られず、
一貫して“いかようにもご調整致します”という態度だったのである。
西欧はどちらかというと回避姿勢である。
西欧の石やコンクリートの建造物には自然を回避、
ないしは支配するという物事の考え方が根底にあり、
対して、日本は容易に建て直せるように作られた住宅、
交換可能な障子や襖、畳など、
極端にいへば日本の文化的特性は「式年遷宮」などの核心へと落ち着く。
なにしろ原則として20年ごとに、
内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)の二つの正宮の正殿、
14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷し、
このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、
装束・神宝、宇治橋なども造り替えられるという盛大な神事なのだから。
しかもここで肝要なのは、式年遷宮は
単なるコピーではなく日本人固有の記憶や歴史を潜り抜けさせる作業が伴う、
ということなのである。
自然や物事に対しての日本人の態度は基本的に受け入れる、受容する、
ひどく云へば諦める、根底には自然との一体化を前提としているかのやうだ。
ビル・エモットさんはこのやうな日本人の特性は
すべての原発を閉鎖してリスクを避けるというドイツやスイス、イタリアなどと違い、
国民的コンセンサス合意のプロセス(醸成)の過程で、
安全メカニズムを強化改善してリスクに適応していく方法を模索するのではないかと想像している。
さらにいへば、ここにこそ東北復興のヒントが隠されているのではないか。
西欧的剛構造ではなく日本的“やはらかさ”、
八百万的調整型復興を理念の基本に据えるべきである。
1000年に一回とは1000年に一回のハードではなく
ソフト面の対策を考えた方が
(伝承、基金、保険、自治体のバックヤードシステム、ライフラインの地下への埋設化)
有用なのではないか。
復興と云ういかにも正義で、ものごとを大上段に構えてしまってもいけない。
田圃の中に自販機を置くような資本主義の定理に逆らうやうな分配は慎むべきだ。
復興会議に企業家が入っていなかったことがますまず残念なことだった。
そしてここでもまた文明論が持ち出されることになった。
倉石智證
続く・・・