タレカ来テヰル
古いお屋敷の台どころの流しの下
それはまた人間そのものの気配をして
幣ぬさ下げて、
幣奉りて、のよさ
茅の輪を潜り抜けるのをこけたおばあちゃんが
石の上に腰をおろし
氷水をひしゃげた匙でしゃくっている
おばあちゃん、スーッとするねえ
と笑いかけた
どこかに目に見えない
風の通り道があるのかもしれない
こんなにも墓石がいっぱい並んだ脇に
古い大きなお寺が建っている
屋根瓦に草が生え
寺は自身の重さに胴震いする
陽が影と表を晒して
鳩の群れが何度も何度も屋根瓦の上に渦を巻く
住み暮らすこの家に
けふはどうしても眠れないのだ
先祖代々からの書きつけが束になって
仏壇の奥からかさこそと忍びわらひをする
裸電球の下でしばらく立ちつくす
何年も何年も前の人たちが
けふは打ち揃って頭を垂れて
幣は裏の玄関にも
幣は掘り抜きの井戸にも
幣は土蔵の重い引き戸の上にも
そんな幣の下を通って
あんな山の奥に入って
あんな山の村中が見渡せるところに
寒く
一人で
細いワイヤーが一気に───
棺の中に入ってまで
なにも笑うこともないじゃないか
棺を皆で持ち上げると
きみは本当にさみしい笑いをかへした
豊受神とようけのかみの社やしろの後ろにまはる
桃の花咲く
豊受神の社の後ろにまはる
水田みずたに余り苗が
豊受神の社の後ろにまはる
柿の若葉が光る
そんな季節が過ぎて
そんな季節がめぐり巡って
タレカ来テヰル
住み暮らすこの古い家に
古いお屋敷の台どころの下
人間そのものの気配をして
悪いが
でも、今夜はきみと話しする気にはなれないよ
幣下げて、
幣奉りて、のよさ
茅の輪を潜り抜けるのをこけたおばあちゃんが
石の上に腰をおろし
氷水をひしゃげた匙でしゃくっている
おばあちゃん、スーッとするねえ
と笑いかけた
どこかに目に見えない
風の通り道があるのかもしれない
歯もないおばあちゃんは顔中を皺だらけにして
スーッとするねえ、と、笑い返すのかと思ったら
おばあちゃんの顔は急に深刻な影になって
「息子はほんとうにおおきな我儘をした」
息子はほんとうにおおきな我儘をしたんだ
と───
幣が震へた。
倉石智證