まるで正気の沙汰ではない。
これが神が命じたものだとは到底思えない。
7/13日、カルザイ氏の弟が暗殺される。
9/13日に起きたアフガンの首都カブールでの米大使館襲撃だ。
タリバンはロケット弾なども使用。
米軍のマレン統合参謀本部議長は22日の議会証言で
「パキスタンの情報機関ISIの支援を受けた武装勢力ハッカニグループ
(タリバンと同じパシュトゥン人)
が計画・実行した」と断言した。
パキスタン側は23日にキアニ陸軍参謀長がマレン証言を「正しくない」と否定。
レビン上院軍事委員長(民主)は
(1)パキスタンをテロ支援国に指定する
(2)同国への年25億ドル(約1900億円)の援助を停止する――などを要求。
※ちなみに我が民主党政権は鳩ぽっぽちゃんのときにアフガン政権に5000億円の支援を約束。
9/20日、ラバニ氏殺害事件
「ラバニ氏が直前にイランを訪れ、多発する自爆テロ犯に対する
(否定的な)宗教令の布告を求めたことがタリバンの逆鱗(げきりん)に触れた」と指摘。
「軍や政治家と良好な関係にあったラバニ氏の死は、和平プロセスに大きな打撃。
9/25日にはカブールの米大使館の別館で、
アフガン人職員が米中央情報局(CIA)契約職員を射殺する事件も発生。
“大量虐殺”から“ピンポイント”作戦へ
(兵士の士気をそぐ→政府の士気をそぐための作戦に)
9/26日、オバマ政権はロシアの隣国ウクライナと
廃棄核兵器の安全処理などに関する協力協定を締結。
親米路線への引き戻しに懸命だ。
グルジアへの支援も続け、ロシア包囲網を構築したい考えだ。
■ブッシュ大統領時代のポーランド、チェコのおけるMDシステムを
オバマさんは戦略兵器削減条約を優先するために、
ルーマニアとトルコへとその機能をうつした。
ところで2012からロシア大統領になるプーチンさんは力を必要以上にひけらかす権威主義だ。
9/27日、メドベージェフロシア大統領は、クドリン副首相兼財務相を解任。
厳しい「財政規律論者」で市場の信頼も厚い改革派副首相の解任で、
ロシア経済の信認に傷が付く可能性が。
大統領の方針に同意できないなら
「分かっているだろうが、辞めるべきだ」
と同日中に進退を決めるよう要求。
氏は新政権移行計画が発表された24日に、
2011~20年に20兆ルーブル(約55兆円)の
軍備費計上を決めたメドベージェフ氏への反発を示した。
9/27日、イスラエル政府は占領地東エルサレムの南部ギロで
約1100戸のユダヤ人住宅を建設する計画を承認した。
東エルサレムを将来の独立国家の首都と見なすパレスチナ自治政府は声明で
「これ以上の一方的行動はない」と指摘、
和平プロセスを無視した動きだと非難した。
日米同盟はブッシュお父さんの湾岸戦争の時もそうだが
もはや極東を意味するものでないことは確かになっている。
※海部さんは=1兆円を超える現ナマを米国に提出。
9/25日経
日本とフィリピン両政府は中国の海洋進出を念頭に
海上防衛・保安の連携を強化する方針を決めた。
海上自衛隊とフィリピン海軍の定期協議を年内にも始め、双方トップによる相互訪問に乗り出す。
フィリピンの沿岸警備能力を向上するための協力も進める。
27日に都内で開く野田佳彦首相とアキノ比大統領の会談で合意する。
9/25日経
来年1月の台湾総統選に独立志向の民進党候補として出馬する蔡英文主席は24日、
台中市で開いた党大会で演説し、民主的な手法で台湾の地位を再定義することを公約として強調。
「92年コンセンサスは国民党と中国共産党が合意したにすぎず、
民主的な過程を経てはいない」。
蔡主席は党大会で馬政権を批判したうえで
「台湾内部でまずコンセンサスを確立したうえで中国と協議することが重要だ」と強調。
24日、党大会で手を振る蔡英文・民進党主席
■92年コンセンサス
台湾の国民党政権と中国共産党政権が1992年、
初めて交流窓口機関を通じた対話を実現する条件として一致したことを指すが、合意文書はない。
主権問題を玉虫色に解釈して棚上げし、実務的な協議を実現するのが狙い。
馬英九政権はその内容を
「中国大陸と台湾は不可分の領土であるとする『1つの中国』を互いに認めるが、
その内容はそれぞれが定義する」としており、
台湾側は「1つの中国」を「中華民国」、
中国側は「中華人民共和国」としている。
野党民進党は「92年コンセンサス」は存在しないという立場。
■80年代の初め頃、改革・開放政策の導入に伴い、
中国政府は台湾に関し「一国二制度」構想を打ち出して、
台湾政府に対し「三通(通信、通航、通商の直接的往来)」要求を含めた
中台間の経済交流の拡大を呼びかけた。
これに対して、台湾政府の警戒感は強く、中台間の直接交流は認可しないものの、
香港など第3地を経由した間接的な人的交流・経済交流を認めることにした。
■中国との関係改善を掲げて2008年に発足した馬英九政権は、
就任直後に交流窓口機関のトップ会談を10年ぶりに再開。
・中台直行旅客便の開設や
・中国人の台湾観光解禁などを実現し、
昨年6月には中台自由貿易圏の確立を目指す経済協力枠組み協定(ECFA)の締結も実現した。
2011,7/1日より発効。
一連の中台交渉の基礎となってきたのが「92年コンセンサス」。
馬政権は「1つの中国」を認めるものの、中
国とは台湾が「国号」とする「中華民国」を示し、
「台湾の主権は一切損なわれていない」としてきた。
■馬総統は「3つのノー(統一せず、独立せず、武力行使せず)」と
「92年コンセンサス」を認めなければ
「両岸(中台)関係は不確定な状態に陥り、双方に大きな衝撃を与える」と指摘する。
ちなみに08,9/15日にリーマン・ショックが発生する。
中国は「北京コンセンサス」とて、約50兆円規模の景気対策を打ち出した。
馬英九さんはよくこの危機を乗り越えたというべきだらう。
どちらが「世界理性」に近いかは明らかである。
国=人口は理念だけでは食っていけない。
台湾は多くの結びつきを実現することで、
購買力平価ではすでに日本の一人当たりのGDPを抜いている。
米国抜きの安全保障は考えられないが、
すでに凋落著しい米国一極のスーパーシェリフは考えられない。
中国の覇権主義はいよいよ明らかになり、
ロシアの権威主義は眼を覆いたくなるほどの現実感が伴って来た。
2008年とは初春に、中国ではチベット地区ラサでは大規模騒乱が発生し、
中国政府は厳しい強硬姿勢をとった。
米欧ともに、オリンピックに参加すべきかどうかの意見も議会に出てくる。
5/12日、四川大地震が発生し、死者・行方不明者は約7万8000人に及んだ。
しかし、一方では復興のための巨額な公共事業が動き出した。
2008,8,8
私は妻・ローラとともに中国・北京市内の五輪開会式場にいた。
傍らにはロシアの大統領から首相へと肩書を変えたウラジーミル・プーチンが座っている。
正面から我々を撮影するテレビカメラを意識しながら、
私は作り笑いを崩さずに
「グルジアから撤退しないとロシアは孤立することになる」
と彼に警告した。
この時、すでに私のもとにはロシアが
グルジアの南オセチア自治州に軍隊を送り込んでいるとの情報が届いていた。
旧ソ連を構成する共和国の一つ、グルジアでは
若き民主運動指導者、ミハイル・サーカシビリが03年に無血の「バラ革命」を起こし、
ゴルバチョフ・旧ソ連書記長の右腕としても知られていた
シェワルナゼ前大統領から権力を引き継いでいた。
親欧米路線をとるサーカシビリ政権に対して、
グルジアからの分離独立を主張する南オセチア自治州は独立運動を加速。
これを容認せず、強硬姿勢を貫くグルジア政府に対して、
ロシアは電撃的に軍事介入し、オセチアの独立運動を支援した。
歓迎式典と開会式の合間を縫うようにして、私は電話外交に没頭した。
まず、ロシアのメドベージェフ大統領に軍事行動の段階的縮小を求めた。
メドベージェフはサーカシビリをサダム・フセインに例え、自らの行動を正当化した。
次いでサーカシビリと電話をつなぎ、
「グルジア崩壊を望んでいない」と支援を伝えた。
具体的には欧州連合(EU)議長国だったフランスのサルコジ大統領に働きかけ、
ロシアへの国際圧力を強めることを約束した。
この頃、プーチンは急きょ、
同自治州に隣接するロシア南部・ウラジカフカスの作戦司令本部に入り、
誰が「最高司令官」であるかを国内外に明確に示そうとしていた。
これに対して、私は帰国後に緊急声明を発表し、
ロシアの軍事行動について
「国民に民主的に選ばれた政府へのこのような行動は、21世紀には容認できない」
と非難した。
その上で、ロシアに対して即時の停戦と撤退、
さらに領土問題についても侵攻前の「原状回復」を求めた。
現在もロシアの実質的な指導者とされているプーチンとの最初の出会いはうまくいったと思う。
だが、会うごとに彼は変わり、ロシアも変わっていった。
彼はお金持ちになり、ロシアのバランスシートも劇的に変わった。
イラク問題では独仏と手を組み、
私の任期の最後にはグルジアに軍事侵攻するという暴挙に打って出た。
「サーカシビリは熱血漢だと言っただろう」
北京五輪の開会式の席上、私はプーチンにこう伝え、冷静になるように促した。
即座にプーチンは
「私だって、熱血漢だ」と言い返してきた。
「いや、ウラジーミル、あんたは冷血漢だ」
私がそう言い放つとプーチンはじっと私を見つめ、その場を無言で立ち去って行った。
以来、私は自分の退任を告げる電話を除き、プーチンとは一切、話をしていない。
2008年の北京五輪開会式。
ロシア軍のグルジア侵攻をまだ知らなかった当時のブッシュ米大統領は
近くにいたプーチン氏と笑顔で肩を抱き合った。
「あとで大事な話がある」とも言わず、
雑談に興じたプーチン氏の非情さは米国民の脳裏に焼き付いている。
───ブッシュ元大統領の「私の履歴書」より───
ロシアの大衆のゴーゴリ的体質。
腐敗や汚職や、賄賂が横行しても、国民は往々にして強いロシア、
安定したロシアを経済の効率性以上に望むことに。
ところでついでながらオリンピックの開催される前の年、
2007年、ブッシュ政権は対中国にこのようなお付き合いをしていた。
(以下ブッシュ元大統領の「私の履歴書」より)
政権発足当初、私は中国を「戦略的競争相手」と呼んだ。
その言葉で意味したのは
「米中間には多くの相違点もあるが、共に協調できる機会も多い」
ということだ。
貿易・金融の分野などでは中国と協力できる。
意見相違がある分野でも話し合いで平和的に解決できると考えた。
その典型例がチベット問題に代表される信教の自由や人権の問題だった。
米中首脳会談でも私は信教の自由を信じるが故、
チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世に面会すると言明した(07,10月)。
もちろん、中国側はチベットにおける「国家分断」について、強い懸念を表明した。
私は彼らの言葉を注意深く聞きながら、ダライ・ラマは
「平和主義者」だと反論し、チベット問題への善処を求めた。
米中関係で最も難しい台湾問題についても私の立場は明確だった。
政権初期の頃は台湾の陳水扁総統は、
米国が一方的に現状を変更するのではないかと危惧していた。
だから、私は米歴代政権が取ってきた
「戦略的あいまい政策」の精神を改めて強調した。
「戦略的あいまい政策」とは、
中国に対しては「台湾に武力侵攻すれば、米国が報復するかもしれない」と思わせ、
台湾には「一方的に独立宣言しても、米国は守ってくれない」と思わせる。
つまり、中台のいずれもが一方的に現状を変更することを米国は受け入れない、
と私は明確にしたのである。
政権後半、ゼーリック国務副長官(現世界銀行総裁07,5,30に)は
中国を「責任ある利害共有者」と呼んだ。
私から見て、それは中国が貿易分野で知的財産権を重視し、
市場原理に基づいた通貨(人民元)政策を取ることを意味している。
それが「責任ある利害共有者」のあるべき姿だと信じている。
(「私の履歴書」11,4/27)
07,9/29日に中国投資有限公司(CIC)は公式に運用を開始しはじめた。
市場原理資本主義的経済を強力に推し進める一方、
中国は1840年のアヘン戦争以来の屈辱感を忘れていない。
中国共産党指導部の底辺に通奏する歴史観は商売と裏腹に───
(山内昌之11,8/25日経)
2007,10、
日中歴史共同研究で訪れた中国浙江省の天一閣(16世紀に建てられた書庫)。
06年には政府プロジェクトだった日中歴史共同研究に参加、10年に論文を発表しました。
日本や中国の歴史学者とともに各地で会合を開き、両国間の歴史問題を議論しました。
そこでわかったのは、中国の歴史学者は
・中国と日本、
・中国と朝鮮半島というような2者間の関係で歴史をとらえがちですが、
日本の研究者は
「東アジア全体の中で中国や日本を位置付ける地域の視点」
を持っていることです。
当初は「歴史を政治と切り離し学問として議論する」という意気込みでしたが、
実際には困難でした。
中国共産党の政権発足後に起きた
・文化大革命、
・天安門事件などについて中国側は党の公式見解を捨てません。
2007年、対韓国ではこんなこともあった。
(瀬戸雄三・元アサヒビール社長11,5/28「私の履歴書」)
07年終わり頃、日本サムスンの李昌烈社長から
「聖火ランナーになってくれませんか」と連絡があった。
同社は北京五輪のワールドワイドスポンサーで長野市街を走ってほしいという。
サムスンとアサヒはビジネス上の関係はなかったが
李さんは韓国や中国での経済協会の取り組みをご存じだった。
当時78歳。自宅近くの隅田川沿いで練習し、
08年4月26日、250㍍を走り、無事トーチを次のランナーに渡すことができた。
瀬戸さんは経済協会を通じて日中や日韓の若者たちの交流の場をつくる活動を続けられた。
キャンプは両国の経済協会の大きな柱となり今までに16回、
1500人が友好の輪を広げた。
毎回、最終日には「また会おう」「連絡してね」と固く抱き合う姿も。
キャンプを経験した高校生が大学生になり、自発的に「日韓学生未来会議」という会を開催している。
お互いを理解し合った彼らは実社会に飛び立ちリーダーとなる。
「近くて近い国」になるのは間違いない───
とは瀬戸さんの心からのつぶやきである。
主題を忘れるといけないので途中だが繰り返すと、
「武器輸出三原則」の見直しではないのである。
やらなければいけないこと、
した方がいいこと、
“日米基軸”を維持したままでももっと日本のオリジナリティを発揮できる、
世界からなるほどと尊敬の念で見つめられる、
そんなやり方があるはずである。
倉石智證
・・・続く。


