ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
少年は靴が重くなったので、学校に足が向かわなくなった
おれはやくざになるから絵はもう描かない
この絵はあげるよ、
と云って、
それから金田くんには二度と会っていない
胡同(フートン)と呼ぶ路地もBeijingで壊された。
「9.11」の時は3歳だったけれど今は皆の前で祈りを捧げられるよ。
海を渡って木っ端舟がやって来た。
ものすごく近くて、あり得ないほど酸っぱい
クサヤには滅法うるさいがドリアンにはさうでもない
ものすごく近すぎて、うるさいほどに臭い
「パンガプスムニダ(お会いできてうれしい)」
38度線に立てば兵士の股座の間を
蟻が境界を越えて歩いていって消えた
地球はものすごい勢いで廻っている
まるで何かに取り憑かれたやうに
その勢いで宇宙の果てまで吹き飛ばされさうだ
ルガー、とか、ワルサーとか、コルトとかはもう古いのだらうか
黒い硝煙の匂い
黒い、ガーター
たくし上げて
世界は回る
金田くんはやくざになれたのだらうか
後悔することもなく、後ろを振り向くこともなく
アフガンや胡同や清津チョンジンをグラウンドゼロを巡る
天と地ほどのこの貧しさと世界との落差
ぼくはやくざになる
真っ白なTシャツ
真っ白な歯並び
青い海原
木っ端舟でやって来た
パンガプスムニダ
境界を黒い蟻が越えてゆく
ものすごく近くて、あり得ないほどとほい
胡同(フートン)と呼ぶ路地もBeijingで壊された。
「9.11」の時は3歳だったけれど今は皆の前で祈りを捧げられるよ。
海を渡って木っ端舟がやって来た。
天と地ほどの差の、
世界のどこかで爆弾が破裂する、
金田くんとはあれから会っていない、
将軍が指を立てるたび、また命が蛍のやうに消えた
クサヤは好きだがドリアンはたまらない
「パンガプスムニダ(お会いできてうれしい)」
ものすごくうるさくて、あり得ないほど酸っぱい
ものすごく近くて、あり得ないほどとほい
「お別れしたくなかったから」
そうノートに書くと涙がドーッとあふれた
僕の右手でも
僕の左手でも
たくさんの命が攫われていった
倉石智證
どなたかの───
「お別れしたくなかったから」
そうノートに書くと涙がドーッと出た、
をインスピレーションに。
「金田くんの絵」は鈴木敏夫さんの「心の玉手箱」(11,9/12日経)より。
チョンジンは北朝鮮の昔からの漁港。
旧日本軍の港でもあった。
国家と民主主義について───
最初の国家論とはたった二人のおそらくあなたと私の均衡状態からはじまるだろう。
効用(見返り)であったり幸福度であったりするだらう。
主観的私とは何ぞや、そして集団的われわれとは何ぞやが国家の淵源にあるようだ。
主観の安定や安寧を保護、保証してくれるのならば、
我々は国家の存在(父性)を権利として認めるのだ。
■国家とは負託を受けた権力(法)
(11,3/9日経)
「北朝鮮やリビアなどまた中国などの一党独裁の開発経済国家の特殊性」
国家とは、政府と民間主体との間での、
何らかの合意による一種の均衡状態だという考え方がある。
これによれば、政府が広く国民と合意し、
政治的・経済的な権利を保障する民主的な国家以外に、
特定の集団の利害と結びつくケースがあり得る。
この場合、指導者と特定の集団は、お互いに利益が得られるかぎり、
国家の存続について合意しているにすぎない。
いったん、利益が得られる見込みがなくなれば国家は非常にもろい存在になる。
また、国家を政府と国民との合意、ないしはルールに基づいた1つの制度だとすると、
国家が崩壊した場合には次の制度作りが急務となる。
(樺山紘一・西洋史家11,5/8日経)
キケロ
若くしてローマを出る羽目になりギリシアに渡り、ギリシア人学者の薫陶をうけた。
頭脳も心もギリシア人になった。
身を浸したギリシア的な世界観とは、
個人の独立した自由を最大限、保障すること。
力による強制ではなく、思考とことばによる討議と説得によって、国家のことを決めること。
『英雄伝』のプルタークは、キケロをして、
マケドニア王国による専制支配を嫌悪したギリシアの弁論家デモステネスになぞらえた。
■第1回三頭政治の後、カエサルの独裁と共和制の崩壊が目の当たりにする。
紀元前44年3月15日にカエサルが暗殺される。
カエサルの死後、キケロはオクタウィアヌスを立ててアントニウスと対決した。
オクタウィアヌスの裏切り。
ローマから逃げざるを得なくなったキケロは
ブルトゥスらが勢力を持っていたマケドニア属州へと向かったものの、
紀元前43年12月7日、アントニウスの放った刺客により殺害された。
このときキケロの首だけでなく右手も切取られて、ローマのフォルムに晒されることとなった。
キケロはルネサンスやフランス啓蒙主義、更にはフランス革命に至るまで、
知識人たちにおける必読文献とされ、
ニッコロ・マキャヴェッリ、フーゴー・グローティウスやシャルル・ド・モンテスキュー、
ヴォルテールの思想にも大きな影響を与え、
キケロを以て共和主義、民主主義の象徴とする動きが連綿と続いた。
「多重に位置付けられた自己」あるいは
「自由に選択する自己の権利の擁護を正義の原理として全てに優先させる」
それらが一般的に民主主義的国家では実行されている。
(マイケル・サンデル11,8/28日経)
リベラル派は、独立した個人の自由に重きを置く。
自分の人生の目標はそれぞれの個人が自由に設定すればよいのであり、
他人がとやかく言うべきものではない。
そのような個人主義を保障するためにも、
国家が権利や自由について公正な枠組みをしっかりと作り上げるべきであるとする。
これに対して共和主義は、
人間は歴史や地域の共同体から切り離された「負荷なき自己」ではないと主張する。
人間は、家族の中での自分とか、
コミュニティの共同生活への参加者としての自分とかをイメージすることなしには、
自分自身を思い描くことすらできないのであり、
その意味で、国民が共有すべき市民道徳を涵養することこそが大事であるとする。
憲法上の権利、それが民主主義だ。
民主主義は議会によって決定される。
政治は世論(選挙)と市場(国債)の反目によって時に立ちすくむ。
■ギリシャ(社会福祉低減に反対)、
■ドイツ(メルケル首相の税金のギリシャ支援など)
(11,6/8日経)
生存権や表現の自由など基本的人権を尊重するのが民主主義だ。
日本は戦前の軍国主義の反省もあって、とりわけ個人の権利を大切に扱ってきた。
ただ、ややもすると、一人の反対で前に進めなくなる袋小路に陥っていたのも事実だ。
政治が難しい利害調整を避ける。先送りで傷口が広がる。
巨額の借金も、長引くデフレも、無関係とは言い切れない。
いまこそ悪癖を改め、怖がるだけで何もしない悪循環から抜け出す起点にすべきではないか。
「優しい政治」「国民目線」といった言葉だけではない。
臆せず難題と向き合い、真正面から解を探す。
民主主義の強さが試される。
国民に一県優しい政治が孵って深い仇になる。
社会福祉費の増大は静かな津波に劣らない公共災害である。
「民主主義は効率的でないし幻滅的だ」
「貧乏でも自由がいいのかそれとも」
(ラザリ・イスマイル元マレーシア国連大使11,3/6日経)
インドネシアのスハルト政権は典型例だった。
形式上は民主主義でも、実際は軍が国を統治していた。
ミャンマーはかつてのインドネシアをモデルにした。
ASEANの民主化推進にはただし書きがつく。
個人の自由よりも国家統治の方が重要で、
国の安定を脅かさない範囲で民主的権利を認めてきた。
ASEANが基本原則として掲げる加盟国どうしの内政不干渉の裏側には、そんな思想がある。
ASEANがミャンマー国民に力を貸せなかった理由のひとつだ。
『おカネを稼ぐ権利は、最も大事な基本的人権だ』と語っている。
この考え方は正しい。
貧困層が個人の自由を保証されても、どれほど意味があるだろう。
中国はいい例だ。
共産党は一党独裁下の強い統制で人々の生産性を向上させ、所得を増加させた。
貧困層はまだ多いが、それを上回る数の人々が豊かで幸せになった。
『国の発展・安定に比べれば、個人の自由は重要ではない』とする中国の成功は、
他の新興国に影響を与えている。
ピルグリム・ファーザーズ以来、
また「大草原の小さな家」のドラマにも通奏するプロテスタンティズムは、
米国のリベラリズムを育て上げ、市場主義資本主義を強力に後押しした。
その米国のプラグマティズムはいかにも米国的な思想であり、
教育、民主主義、自由、正義、寛容をめぐる解釈に影響を与え、
米国流の産業発展やライフスタイルを下支えしていった。
「9.11」事件について───
(アンドルー・カード11,9/10日経)
「我々の生活の秩序が脆弱だということを、忘れないでほしい。
政府は人々に秩序を与え、安全、法の支配、希望の機会などを提供する。
※今回の北朝鮮の難民舟
アルカイダは無政府状態を求めており、秩序の敵だ。
米同時テロを実行したテロリストは米国だけの敵ではない。
秩序そのものの敵なのだ」
「地球上のすべての国家がテロを許してはならないという責任を認識するまで、
幕を下ろすべきではない。
テロリストをこの世界から廃絶することはできないが、
テロリストが活動し、訓練し、テロを計画する場所を見つけることを難しくすることはできる。
安定的な政府の存在はそのためには不可欠だ。
北朝鮮にしろ、イランにしろ『もうこれ以上、ばかなことはしません』というのを聞きたい」
■アンドルー・カード氏 レーガン大統領の特別補佐官、
ブッシュ(父)政権下での運輸長官などを経て、
2000年から06年までブッシュ政権の大統領首席補佐官を務めた。
現在、テキサスA&M大学公共政策学部長代行を務める。64歳。
「人々は自分自身の運命の主人公である」
さてその民主主義国家アメリカでは───
(11,9/15日経)
デトロイト、ジェファーソン通り、車いすの物乞い・・・
商務省は13日、米国の貧困層(4人家族で年収2万2300㌦以下=約170万円)が
4600万人に達したと発表した。
統計がある過去52年で最多。
世界最大の経済大国で、7人弱に1人(人口約3億人)が貧困層と定義されたことに驚きが広がった。
ただ「貧困予備軍」も含めると実態はより深刻だ。
豊かなミドルクラス(中流階級)が消えつつあり、
そのかわりに「ティア2」(第2階級)と呼ばれる組合員がUAWの内部でも急増している。
時給は14㌦である。
1日8時間、週5日働き続けても、年収は約2万7000㌦。
「貧困層」をわずかに上回る水準である。
新しい貧困が病のやうに先進国にも蔓延し始めた。
地球の最良であるとされる欧米の民主主義、その文明の行く先が急に暗んできた。
Quo Vadis !?
である。
倉石智證

