恋は成就したか

胡瓜の青臭さゝ

トマト色のgradation

南瓜の愛嬌

悟り澄ました西瓜


むかしむかし

いや、そんなにむかしのことでもないか

残念なことに血を吐いた若者たちがゐた

それこそ残念なことだが・・・


恋は成就したのか

障子をしめ切って夜具の中に

お願いだから丸裸になっておくれ

さうはいかじ

さうはいかじと女の子は乳を隠し

下穿きを手で押さへ

赤い眸をしてをの兒を誘った


けふも来る

けふも来る来る蝶が来る

波状に仕掛けて妻を惑乱させる

恋は成就したか

相変わらずヴェランダをやすやすと飛びこへて

いつのまにか山椒の木に

葉裏を覗くと卵がびっしりと

やるもんだ蝶の母たちの

暑い盛りは葉の裏に潜み

涼しくなるともこもこと枝にお出かけ

やるもんだ虫虫を

妻は鳥肌立ちながら

尺取る虫虫を

葉裏の黄金の卵を

そっと、

そっとつまみ出す

恋は成就したか


お願いだから丸裸になっておくれ

それはとても喜ばしいことなんだから

障子に唾で穴を開ける

をの兒と女の子はくんずほぐれつの相撲すまひを致す

昔の裸電球の下で

部屋中がうっすらと汗をかいた

おねがいだから

それはとても喜ばしいことなんだから

をの兒は懇願し

女の子は誘った

ここよ、こっちなんだわ

をの兒は血を吐き

長いながひ放尿を致す

朱色に自身の体を染め上げ

グワァランス

深く体の前で印を結び

昂然と


恋は成就したのか

こんな都会の真ん中で

どこで喜ばしい婚姻を済ませたというのだらう

蝶の母たちは波状に仕掛け

せっせせっせと妻の目を盗んでは卵を産みつけに来る

どこで、喜ばしい婚姻を

まろいまろい裸になって

いたるところの緑陰の蔭で

屹度、恋は成就したものよ

胡瓜の青臭さゝ

トマト色のgradation

南瓜の愛嬌

悟り澄ました西瓜

けふも都会の空は真っ青に晴れて


倉石智證

1902年、正岡子規没、翌日35歳に。

1910年、石川啄木は「一握の砂」を、すでに病は進行している。

青木繁が死の前年、姉と妹に手紙送っている。

志半ばで倒れた身の不運を繰り返し嘆きながら

「満足して目を閉づる可(べ)く候(そうろう)」と結んでいる。

1911年、青木繁没28歳。

大逆事件死刑執行がこの年の1月早々に行われた(幸徳秋水など)。

村山槐多は早熟な14歳。


1913,10/5日、夜、

代々木の停車場で田中恭吉は血を吐いた。

「自分にはもう『習作』といふ語はいらない」


斎藤茂吉「死にたまふ母」の連作を。


1914年、

「蛭が取りし血のかなだらひ日記帳学校ばかま夕暮れの家」

宮澤賢治は盛岡中学を卒業した18歳ころか。

賢治は病を得て療養、高等農林への進学は1年遅れる。


1915年、田中恭吉

「傷みて なほも ほほゑむ 芽なれば いとど かわゆし

こころよ こころよ しづまれ しのびて しのびて しのべよ


更けなやむ よるの そこひに かすけくも うたへる 

孤り そのうえに 笑めるもの あり ほしかげ たかく きららか


瀬繰りくる なやみを 換へて あらたなる よろこびと する

さびしくも 生きて 甲斐ある いのち ただ ひとつのいのち


くちびる ひとつ 笑まへば 身の めぐり なべて 和〔やは〕らぎ

ただ ひとしづくの なみだに わが世 なべて 潤〔うる〕ほふ

・・・・・

この年10/23日没、23歳


吉井勇

「命短し 恋せよ乙女───」ゴンドラの唄


1916年、「日蔭茶屋事件」

大杉栄の一本の男根をめぐって、

伊藤野枝と神近市子が・・・

「フリイラブ」の時代でもあった。


1917年、宮澤賢治21歳

ほんのばこ(少し)

夜あげががった雲の色

ちゃんちゃがうまこは橋わだて来る


はしむっけ(向こうの)

やみのながから音がして

ちゃがちゃがうまこは汗たらし来る


ふさつけだちゃがちゃがうまこはせでげば

夜明けの為か泣くたよな気もする

(1917年6月中)


1917年、村山槐多「バラと少女」

1918年、喀血。

「血染めのラツパ吹き鳴らせ

耽美(たんび)の風は濃く薄く

われらが胸にせまるなり

五月末日日は赤く

焦げてめぐれりなつかしく

ああされば

血染めのラツパ吹き鳴らせ

われらは武装を終へたれば」(槐多「四月短章」)

17歳ころの詩であるらしい。


1918年、竹久夢二

大正7,8/13日、

夢二は長崎・島原半島の雲仙を訪れた。

雲仙に宿泊した翌日、夢二は島原の町に赴いた。

安養寺という寺院でお茶を飲み、求めに応じて自作の歌

「定めなく鳥やゆくらむ青山の青のさびしさ限りなければ」

を半折りの神に書き付けた。

夢二は福岡で美貌の歌人、柳原白蓮に会った。

長崎では夢二は斉藤茂吉と会い、着物の帯に二人仲良く歌を書き付けている。

夢二の九州ロマン紀行であった。

夢二は一夏かけて福岡や佐賀や、長崎を巡り、

大きなインスピレーションを得ていた。


1919,2/18日、槐多没22歳

ためらふな、恥ぢるな

まっすぐにゆけ

汝のガランスのチューブをとって

汝のパレットに直角に突き出し

まつすぐにしぼれ

そのガランスをまつすぐに塗れ

生のみに活々と塗れ

一本のガランスをつくせよ

空もガランスに塗れ

木もガランスに描け

草もガランスにかけ

○○もガランスにて描き奉れ(伏字2字)

神をもガランスにて描き奉れ

ためらふな、恥ぢるな

まつすぐにゆけ

汝の貧乏を

一本のガランスにて塗りかくせ

(肺病で死ぬ2ヶ月前の冬の詩でした。web)


肺病、結核は当たり前の時代。

才能ある若者たちが、

烈々と、列列と死んでいった。

孤独、絶望、悔しさ・・・

死出の病に孤影のいや深く・・・