その道の入り口には白くニリンソウの叢が花咲き
その脇を登ってゆくとすぐにきれいなブナ林に入る
際限なく無秩序に降りかかる陽の光のやうな言語
春蝉が潮騒のやうに鳴き出してわたしたちを取り囲む
ブナの葉が風に揉まれて零れてくる蒼い陽光
ベートーベンの6番が流れ、聖パウロの言葉からはじまる
「心に愛がなければ どんなに美しい言葉も 相手の胸に響かない」
賢しらがほどけて両手に零れてくる陽光を掬おうとする
突然あまりにも耳の近くでカッコウが啼いた
谷川の川縁べりに羊歯の葉が緑に広ごり
まるで音楽のやうに水流が岸辺を打ち続ける
画用紙に水平線の高さを置く
森の中に漂っているのは不思議なキリスト教だった
高さでいへば眼の辺りか、口の下や喉仏の辺りとか
雲か気体かエーテルのやうに漂って
私が歩くに従って左右に分かれわたしについて来る
サンクチュアリ、そこはまさしくわたしたちの聖地になった
人も踏まなくなった道を蛇が横切って草むらに消えた
独活を手に採ろうと草むらに足を踏み入れると
枝の上に腹をくちくした蝮がこんもりとたかっている
サンクチュアリに蝶々が群れ翔び
乾いた石の上に集団で羽を広げ
おお、その賑やかなそびらが揺れ羽が微風をおくる
吶喊と鬨の声をあげてあらゆるところから微細に攻め上がって来る
胞子も蔓も橡の木の葉もスカンポの葉もあらゆるてっぺんに目覚めて
それぞれの脳が、
脳ましい、脳ましい、脳ましい・・・
うっかり転寝でもしたらそれこそ、取り囲まれて鼻面の先まで
緑の脳が迫り、
さんざめき騒ぎ
アンリ・ルソーの緑の館に深々とかがみこむと
春ゼミがまたわっと耳の上から降り注いできた
なんて切なくなるのだらうか
おもいきり与へられ、供せられ、奪ひ、胃の腑に
心に愛がなければの調べに乗って
かけ下る水流の途切れなき調べに
たへ切れずに麓に降りる
未来は疑ひやうもなかった
わたしは空を翔ぶ雲雀ほどにしあわせになった
倉石智證

