5/3日には栄村に入る。
津南からの国道を飯山方面に向かって、
新潟県と長野県の県境の千曲川にかかる橋の手前を左に、
そしてすぐに右折すると極野という村落に至る道に入る。
極野と書いて“にての”と読む。
野の果てのごとくで、すぐ隣にある山深く平家が逃げ込んだとも云われる秋山郷とも似ている。
地の果ての辺りはいたるところに平家伝説にうずもれているかのやうだ。
「3,11」が東北を激しく襲った翌日、
かの地からこんなにも離れた雪深い里に突然震度5強のマグニチュードが襲った。
飯山線の鉄路の下がざっくりと攫われて、線路が宙ぶらりんになる。
千曲川の崖は激しく雪交じりの土砂を水流に揺り落とした。
今こうして見やると、崖が土の崩れた痕もなまなましく、緑が濃くなる今の時分にも、
土色を露わにしているだけにショッキングである。
この5月の日本でも春の一番いい季節の出だしは、このやうな歌が列島に立っていた。
カーナビの案内通り進みても信号もなし陸前高田市(田村弘子)
零歳も一歳もある悲しさの棺を作れば如何に小さき(田村精進)
顔立ちの異なる千の観音に万の冥福祈る春なり(森秀人)
天に地に海にひろごる欝と欝ベクレルを知るシーベルト知る(佐藤幹夫)
節電の噴水とまる花の雲(大澤都志子)
原子力止めよ変色する穀雨(尾形ゆきお)
避難所の老母と遊べや雀の子(伊東伸也)
少年の日の世界地図夕桜(大谷昌弘)
花冷えや万蕾の息ひそめをり(上原康子)
分別のいづれ可なりや紫木蓮(村田差久子)
揺れやみし畳に跳ねる金魚かな(村上幸次)
福島に初音や耳を疑ひぬ(林ふゆ子)
春暁や伸びして欠伸して生きて(大川隆夫)
そしてこんなのも───
水牛の余波かきわけて逢いにゆく(小池正博)
廃線の枕木たちのアルタイ語(小池正博)
一斉に場外からは鹿の笑み(小池正博)
プラハまで行った靴なら親友だ(小池正博)
不思議な転調、言葉の斡旋。小池正博句集「水牛の余波」
ほんたうに家が倒れてお社も傾ぶきゆかん極野部落に
雪除けのシェイドを抜けて谷の上に出ると、
谷の上には額ほどの田んぼや畑が山際からそこそこに広がり、
集落には春ののんびりした陽が射し、
道路が割れてさへいなければ長閑なそれはそれなりの桃源郷の気配、
先ほどくぐりぬけて来たシェイドの
壁際に崩れて道路の端に積った土砂の赭々とした色も忘れてしまう。
先生が指さすと山肌に一面にカタクリの花が咲いていた。
先生の奥さまは3年前に亡くなられて、去年もおととしもセンチメンタル・ジャーニー。
お骨をお二人で野遊びをしたゆく先々に撒いたものだった。
カタクリの花の頂の丘に80歳にそろそろ手が届こうといふ嫗がまるで女学生のやうにはにかんで、
おみ足をゆるやかに横座りになられた。
春になるといほり様はそれこそ幼児のように無邪気に先生を野に誘う。
小型車にいほりさまを乗せて、中野から北信濃のここいら界隈を、
まるで二人の弱法師のやうに梅の香が鼻先ににほふころからもう待ち切れずとうろうろなさる。
先生は今日もセンチメンタルジャーニー。
極野に向かって車を走らせると村落も野もいよいよ春の兆しに輝きだし、
カタクリのむらさき偲ぶいほりかな
美代ちゃんはいつもの鼻緒じょじょ履いておんもに出たい春の芽を摘む
春愁、少しばかり愁いが過ぎてゆく風に交じった。
名残の桜が道のべにはらはらと散ってゆくところもあった。
春の野辺春の道らし春ゆけば桜の花の少し散りゆく
登り来て山に迫りて肩寄せぬ山路は村の掟なりけむ
背籠を背負って急な山肌に取り付いてるのが反対側の集落の道から遠めに。
眼下には谷川が流れ下り、対岸の下の方に極野温泉が見下ろせる。
震災につき営業は見合わせてます、
という看板が入口の道路に出てはいたが。
栄村南部曲がり屋地に墜ちる
ここいらあたりの肩を寄せ合うように建っている家々、昔風の古びた南部曲がり屋が散見される。
それらの何軒かの壁が突然崩落し、
とっぱらわれた壁の向こうに無残にも家の中身が書割のやうに曝け出ていた。
あらゆる断片は、深い森の一部である。
だが写真のフレームに収まりきれない風景が瓦礫となって途切れなく続いている。
決定的である、何かの狭間にあるモノに衝突しつづけるためには移動し続けるしかない。
そして道を踏み迷わないためには枝折が必要である。
「吉野山 去年の枝折の道かえて まだ見ぬかたの花をたずねん」
西行がうたったように枝を折ってつくる道しるべは、
同じ道へ導くだけでなく別の方を教えるサインにもなる。
(港千尋・写真家11,5/8日経を参考に)
途中から道幅も狭くなって谷川を深く下に見てだんだらの道を上って行った。
あるところの田圃の肩にある墓地では墓石が無残にもあちこちに倒れ、
ブルーシートで覆われているところもあった。
道は相変わらずひび割れて、いたるところに赤いコーンが置いてある。
杉の大木に囲まれたかの神社があった。
ここがとうやら“のよさ”の里であるやうだ。
暗闇祭りではないが、みんな程よいころに男女は手に手をとって、
神社の後ろの暗がりに消えてゆく。
子供や子孫を残すことが如何に大変だった時代に
しのぶれどのよさの戀や花しのぶかがいの里も極野部落の
祭があって、男女の放埓な恋があって子供が生まれる。
神社の裏のくらがりへみな手と手をつなぎ合い消えて行く。
貧しい厳しい自然環境の里では人口の維持がまず第一であった。
子供が生まれたらそれぞれの家庭の子になり、子供は村全員で育てる。
神の拠り代になる桜の花が満開になるころ、
村中で食事を戴き、お酒を飲んで環になって踊り、豊作と豊穣を祈願した。
webを参考にすれば───
万葉集巻九の
「〈……率(あども)ひて 未通女壮士(おとめおとこ)の
行き集(つど)ひ かがふ刊歌(かがい)に
人妻に 吾(あ)も交はらむ 吾が妻に 人も言問(ことと)へ……」
は、筑波山の歌垣で高橋虫麻呂が詠んだ歌であり、
当時の歌垣の様子を伺い知ることが出来る。
山をはさんだつい新潟県寄りの秋山郷では、
冷害で一村全部が消滅してしまったこともあったやうだ。
過酷な自然状況の中では
村落はお互いがお互いをいたはるやうに愛を自在に発展させたのだらう。
村落の一番奥のどん詰まりに来た。
ひときわ小高いところにやはり杉林に囲まれて神社が建っていた。
こちらは地震のすさまじさについ、がけ下にそのまま崩落してしまうのではないかと、
建物ごと傾き、それを何本もの太いロープで、あちこちの境内の太い木の幹に結ばれて、
木の幹を廻り下の鳥居のところに立つとその赤い色がかへって不安を誘ふ。
どん詰まりから向こうを見ると道はさらに細くなり、山へと消えて、
先生が云ふにはこの崖下には春先にこごみがたくさん採れるのだよと、
あれはいほりがね、と、懐かしげに後ろ手をなさった。
山は急激に上へと迫り、そこから先は山仕事ばかりとなる。
翩翻へんぽんと鯉のぼり舞ふ曲がり屋に母は小さき子に指をさし
どこにでも救いはある。
庭先に出た母子はゆるらかな風にふと舞い上がる鯉のぼりに眼をうつし、
なにやらお話をかはし、しばらくすると家に入っていった。
道々には何人かの村落の人たちが出て、崩れかかった家などの手入れにかかっていた。
わたしらは車をゆっくり走らせてまた野の道を下っていった。
震災の凄まじきかな橋脚のずれて罅割る道傾きぬ
青倉と横倉集落でひときわ激しく。
先生が云ふにはむかしから「青」という字は何かがあったところで、
冷害とか災害などに何度も襲われた場所なのだよと、
さらに「倉」とは深い切り立った崖のこともさすらしい。
国道の橋脚はずれて、いっとき30㌢ほどの道路との隙間が生じたというのだった。
厚い鉄板の上を車を走らせるととごっとん、という振動が尻に伝わる。
家見れば家の軒見る癖になる張り紙がある赤や黄色の
赤い貼り紙は「危険、立ち入り禁止」、
黄色は「要注意」、といったところだらうか、
道行くあちこちの建物の玄関あたりに貼り付けてある。
納屋に住むことにならうか二人して青倉のなゐ山深くして
栄村、倒壊家屋手つかず。
半数高齢者、全壊認定で300万円もらっても
「ローン組めない」
「土地も離れられないしみんな他の家がどうするかじっと見てるんだ」
3/12日未明、震度6強の地震だった。
栄村を過ぎて、飯山方面へ、
千曲川沿いに戸狩の方に向かうと、田圃が広がり、
その平野の中を飯山線が走っていく。
千曲川は翠色にゆったりと流れ、田圃の中の一両列車はあくまでのんびりだ。
枕木の春の調べやローカル線
飯山線が復旧した。
戸狩のルートを常盤平はこの地域の米の産地になる。
そこを真っ直ぐに横切って飯山線は走っていった。
倉石智證




