11,4/2(土)晴れ

新宿東口発7:30。

那須高原でガソリンを補給する。

スタンド待ちは15分くらいか。

鶴巣PAで五百樹くんに運転を変わってもらう。

泉のあたりから高速道は大分傷んでうねっているようなところもある。

運転走行には差し支えないが、五百樹くんの運転は少しきまぐれであらい(?)。

金成PAで再び運転交代。

花巻南で高速を下りる。

一般道を志戸平温泉へ、途中JAのスタンドでガソリンを入れる。

給油の女性に聞くともうガソリン不足は全く解消しているとのことだった。

左側に川が下り、流れに沿って車を走らせるとまもなく志戸平温泉に着いた(13:30)。

雪が駐車場の脇や、道端にまだ残っている。

車から降りると首を思わずすくめるほどの寒さだった。


志戸平温泉ホテルは8階建てほどの立派なホテルである。

花巻温泉街からは南に少し離れ、少し山間に入りかけたあたりに立っている。

駐車場は広々としてそれほどではないが、中には雪に汚れた泥だらけの車も数台止まっていた。

震災地との関係か、少し緊張が走る。

フロントに行きかけて振り返ると、

駐車場の向こうにはイーハトーブと名前を冠した養老施設が目にとまった。

志戸平雪このくらい雪ちらちら

荷物を部屋に置かせてもらって時間があるので宿の前の坂道を川の方に下ってみた。

雪が風花みたいにちらちらちらちら降ってくる。

妻は早速蕗の薹を見つけた。

民家の土手や、別のホテルの土手沿いにも薄黄緑色の蕗の薹が咲いていた。


早池峰山は左の奥の方にあるのだろう。

遠野に入った。

冬ざれが少し残った様子の寒々とした道を三陸の方に急ぐ。

道のかなりの先で、

「ここでトイレにします」と高宮さんと伊藤さんが云った。

コメリのホームセンターの駐車場に車を回しこむ。

ここから先に、また震災の現地に入ってもトイレは無い、ということのためだった。


車を走らせていると携帯が鳴った。

「ああ、なんでも云ってくれ。なんでもするから、手伝うよ」

高宮さんは車の中でもはっきり聞こえるほどの声で、何度でも繰り返した。

現地の方から電話が入った様子だった。


道路に沿って右側に川が流れはじめる。

流量はそれほど多くはないのだが岸辺や川原の草がなぎ倒されている。

あれ、と思う間もなくその中に流木がまじり始めた。

まだ海から10㌔ほども奥に入ったところなんですがね、

伊藤さんはハンドルを取りながら説明する。

これからもっと凄くなりますよと高宮さんが付け加えた。

風景が突然歪んでくる。

建物が傾いでいる。

車がひっくり返り、あらゆるものが放りだされ無秩序に積み重なり始めた。

泥だらけのものが空間に引っかき傷のように押し出されている。


避難所となっている陸前高田中は海辺から上がった奥まったところの高台にある。

集落の坂道を登って校庭の駐車場になっている開いているところに車を止めた。

東京から運んできたわずかばかりの野菜を車から降ろし、

退避所の入り口の脇のコンクリートの敷地の上に置いた。

車に積む時はいっぱいかな、と思ったものだが、

こうやって並べられてみるとささやかなものだ。

すぐに現場にとどまって活動しているJCの人たちが集まって来た。

こんなところでと思って名刺をいただいたりするのだが、

どの人たちの顔も緊張に引き締まり、目だけが一種異様に元気に輝いている。

もう時間は4時半ころだ。

寒気にうすい夕闇が入り込み、

建設中の仮設住宅や、幌のかかった自衛隊車、

赤十字のマークが付いた車などに陰影を深くしていく。


安否情報、尋ね人の紙は壁面を満たしている。

給食センターの建物が陸前高田市の仮市役所になっていた。

狭い玄関は入ってすぐ左が事務室になっていて、

玄関から覗くとペパー類が雑然としていて、机の上には数台のパソコンしか見当たらない。

五百樹くんや高宮さん伊藤さんが部屋に入り、市長さんと面談。

だがその市長さんは憔悴の極にゐる様子で、

聞けば37歳の奥さんも行方不明のまま、まだ探しに行く事さへままならないということだった。


4/2日、けふこの日、菅直人首相が首都からヘリコプターで陸前高田に降り立った。

市長は何を答え、何を説明し、何の不足を訴えたのだろうか。

後ほど新聞で見ることになるが「(復興するまで)死ぬ気でがんばる」と述べていた。

すべてのデジタルは押し潰され、寸断され、流されて消滅してしまった。

足りないものは食べ物や衣類、暖房ばかりか、届かない情報である。

安否を尋ねる書き記された無数の紙片はすでに時がたつにつれて色褪せて、

ますますはかなげに壁を埋め続けている。

残されたアナログばかりが深刻な物語や符牒のように

「足りない」と詰り、詰め寄り私たちを追い詰める。


道なれた人しかそこへは入っていけない。

「私が感心するのは自衛隊の方々です。

12日の日に避難所に来ましたが、

助かった人たちのなかでも高齢者や疾病を抱えた人など寒さで凍えて亡くなる方も多く、

そんななかで皆さん遺体の傍らでてんやわんやと活動を進めている。

たった2日で陸前高田のあらかたの道路だけは片づけて通行を確保したんですから」

坂を車で下っていくとその瓦礫の高さは次第に嵩を増していく。

すでに時間は夕闇に近く、

「ほらあれが」と高宮さんが指さす方に、

テレビによく映し出されるアングルに高い塔屋があって

パステルグリーンの看板が夕暮れに浮きたって見えた。


街の中ほどで左に曲がる。

まだあまり片づけてない道に出たようだ。

釘を拾わないようになどと高宮さんは伊藤さんに云うが、無理だよね、この瓦礫では。

道のような狭いところを進んでいくうちに胸がうっと詰まるような悲しみが襲ってきて、

胃液がせり上がってくるような思いにとらわれた。

こんちくしょう、こんちくしょう、こんちくしょうと見えないもの向かって云うしかない。


また坂を上がって高田中の校庭に出ると、高橋祐樹さんが校庭に待っていた。

「なんでもするからな、なんでも云ってくれ」

高宮さんが若いJCの高橋さんを励まして云ふ。

「子供たちが最近喧嘩するって、

そうだよな、避難所にずっといれば子供たちだったストレスがたまるんだ」

「プロジェクターか、あれを何とかしよう。

子供たちにマンガでも見せれば少しは楽しめるかもしれない」

高橋さんはほとんど直立不動のような姿勢で無精ひげの顔に笑顔を浮かべていた。

さよならの握手をした。

着の身着のままのジーンズは膝が抜けて笑っている。

アンダーーパンツを穿いてきたのに寒さが足元から腰のあたりまで上がってくる。

車に乗って見送る高橋さんを見ると、

ガニ股に長身を伸ばして、両の拳は寒さもあるのかきっちりと握りしめたままだった。

そして、あの高橋さんもお母さんが津波に攫われたままだ、ということだった。

残されたものは途方もない空虚に置き去りにされた。


倉石智證